03 決めかねる少女
次の日になり授業も徐々に始まりつつあるが、まだ高校生活をしていく上での決まり事のようなものが残っており、朝のホームルームが終わった後は委員などを決める時間となっていた。
「それじゃあこのクラスの委員長は伊勢谷大輝で相違ないかな」
担任教師の山田の呼び掛けに生徒達からはちらほらと「はーい」という返事が聞こえる。
黒板には大輝の他に数人の名前が書かれており、その下には正の字。投票でクラス委員を決めたようだ。そして委員長となった大輝は前へと出ている。しかしその表情は浮かないものだった。
――あー……本当だったら優弦ちゃんと一緒の委員が良かったのに。図書委員で放課後に二人っきりになったり、放送委員で密室空間に二人っきりになったりしたかったのに……。
かなり下心があるような事を考えていたようだが、その願いは自分がクラス委員長になった事で一気に立ち消えとなった。
クラスの委員長や副委員長が決まりその後の進行は大輝達に委ねられ、全員が何かしらの委員になるようにそれぞれ話し合いなどをしながら決まっていく。
そんな中、優弦は黒板に書かれたものを席に着きながら眺め、どれがいいか悩んでいた。
――美化がいいかな。花の水やりとかやるみたいだし。あ、でも定員四人……埋まってる。じゃあ図書委員は……あ、あそこも埋まってる。
ほとんどの所は生徒達の名前が書かれ、残りはもうちらほらとしか残っていない。自分のやりたいものに名前を書くようになっているので、ある意味早い者勝ちだ。
生徒達のお喋りが多くなりクラス内が騒がしくなる中、どれにするか決めかねている優弦の元にある男子生徒が近付いた。
「蓮見さんもしかしてまだ決まってない?」
「……はい。決まっていません」
優弦がそう答えると、その男子はにこっと口元を緩める。
「じゃあ同じのやらない? 今学習委員が空いてるし、あれいいと思うんだよね。テスト前は忙しいと思うけどそれも年に何回かだけだしさ。どう?」
――でも、授業の前に先生からの呼び出しがあってその準備とかあるだろうな。他に残ってるものは保健体育に生活……どれもやりたいようなものではないし……。
男子生徒の質問から数秒後、優弦はこくんと頷いた。
「私もそれにします。異論ないです」
「オッケー、じゃあ俺書いてくるね」
優弦が返事をするとその男子は即座に黒板へと向かい、自分の名前と優弦の名前を学習という文字の下に書いていく。
それを見て優弦は男子生徒の名前を思い出した。昨日の自己紹介ではあまりインパクトがなかったが、こうして話しかけられたりすると頭にインプットされやすい。
望月健。
身長は平均的な高さだろうか。無造作な感じの髪の毛だがよく見るときちんと整えられており少し茶色っぽくも見える。目元に小さなホクロがあるのが印象的だ。黒板に名前を書き終えた健が戻ってくる様子を優弦は見詰めた。
――望月健君。何で私の事を誘ってくれたのだろう。よく分からないけどずっと悩んでいるよりは良かったと思うし、彼のお陰で決まって良かった。
また優弦の近くにやってきた健は先程と同じように笑みを浮かべ、ピースサインをする。
「多分これで決まりだと思うよ。何か仕事する時はよろしくね、蓮見さん」
「はい。よろしくお願いします。ありがとうございました」
「……同い年なんだし、別に敬語じゃなくてもいいよ?」
――敬語じゃなくてもいい? 敬語以外って、彼のように話せという事だろうけど……でも私はこういう方が慣れているし言いやすいし、家でもこうだし……。けれど望月君はそれを望んでいないよう。絶対使ってはいけないのだろうか……。
色々と考えるが、優弦の中では話し方を変えるのはとても難しい事のようで……。
「…………敬語は……駄目ですか?」
きょとんとした表情で優弦はそう返し、すると健は困ったように目線を泳がせた。彼の頬が少し赤くなる。
「ん、別に、その……蓮見さんがそれ使いたいならいいけど」
「はい。じゃあ、このままで」
敬語を使ったらいけないのだろうかと思っていた優弦だったが、あっさり健から許可が下りたのでホッとしたように言った。
僅かに微笑みを浮かべた優弦に、健の顔がまた赤くなっていた。
そんな二人のやり取りを教室の前方から見る一人の男子。委員長になったばかりの大輝はギラギラとした目付きでその様子をじーっと見ていた。
――何だあの男は、勝手に優弦ちゃんと話しやがって……。くっそー、絶対負けらんねー……。
何だあの男は……というか同じクラスメイトなのだが。
しかし大輝は望月健の事をライバルというカテゴリーに入れる事にした。
委員決めが終わり、授業時間としてはまだ残っているがそのまま休み時間の流れとなり、皆自由の身となる。
優弦は定位置の自分の席から立ち上がり、教室を出て行った。ガラガラとドアを閉め、廊下を歩き出すとすぐに後ろから教室のドアを開閉する音が響く。そしてそれと同時に優弦を呼び掛ける声。
「優弦ちゃん」
男子生徒の声に、優弦はゆっくりと振り返った。
――あ、大輝君。……さっきは皆の前でも堂々としていて頼もしかったな。きっとまとめ役とかが適している人なのだろう。
人数が多い委員会の所を話し合いをしてもらって他へ振り分けたり、とてもスムーズに進行していたのが優弦には印象深い。あんな真似は自分には到底できないだろうと思いながら、大輝が近付いてくるのを待った。
「少し話してもいい?」
「…………」
大輝からの申し出に、優弦は迷う。目線をチラリと後方へ流した。大輝はすぐに勘付いたみたいだ。
「……あ、ごめん。どこか行く所があったんだよね。ど、どこ行く予定?」
「はい。トイレに」
「…………えっ! ごめん! 引き止めちゃってほんとごめん。は、話はまた後ででも……」
物凄く顔を赤くしながら大輝は謝り、けれど優弦は無表情のままだった。生理現象だから行くのは当たり前だが、異性の前でそれを言うのは恥ずかしい事になってしまう。しかし優弦は気にしていないように見える。
「話があるんですよね。…………待っててください」
「…………え?」
そう言い残すと優弦は女子トイレへと行ってしまい、呆気に取られた大輝はその場に取り残された。
すると次の瞬間彼はへなへなとしゃがみ込んだ。
――女の子のトイレ待ちって……うわぁー、俺最低だな……。
全く気にしていない優弦とは対照的な反応だった。もっと親しい間柄だったら異性でも関係ないのかもしれないが、大輝と優弦は知り合ってからまだ二日しか経っていない。
タイミング悪すぎるな、と赤面と蒼白した顔が入り混じる大輝だった。
――二人で話せるチャンスだと思ってつい声掛けちゃったけど、焦りすぎたなぁ……。
先程優弦が健と話しているのが引っ掛かった大輝は無性に彼女と話したくなったのだ。嫉妬からくるものだと分かっているが、それなら尚更うかうかしていられないと思った。
多分自分は本気で彼女の事が好きだ。
そう自覚している大輝の頭は、昨日今日とずっと優弦の事を考えていた。なぜこんなに気になるのか分からないが、説明できない程自分は優弦の事が好きだ、それは間違いないと彼は確信している。
これは、そう、一目惚れというやつだ。それ以外の理由など考えられない。
こういうのって本当にあるのだなと頭を抱えながら大輝が廊下でしゃがみ込んでいると……。
「…………」
ふと感じた自分に影が落ちる感触に彼は驚いて顔を上げた。トイレから戻ってきた優弦がそこに立っている。
「ああ、ごめん! も、もっとゆっくりしてて良かったのに」
「…………」
ゆっくりして、とはどういう事だろうかという疑問の目が優弦に浮かび上がっているようで、ますます大輝は焦った。
「うわっ、違うよ! ゆっくりって、い、色々な事をゆっくりって意味だから……えーっと、……色々な事って何? って言われるとすっごく困るけど…………と、とにかくごめん」
一人で勝手に墓穴を掘って自分で埋めて、また墓穴を掘っている大輝だが、優弦は何事もないかのようにただ頷く。
とりあえず許してくれたのだろうと、やはり勝手に解釈した彼は、自分を落ち着かせるように深呼吸をした。
「……なんか、ごめんね。俺こういう奴で……。疲れるでしょ?」
「…………いいえ」
自分の事を自虐的に言った大輝に、優弦は少し考えた様子でそれを否定する。
実際優弦の表情からはそれが本心なのかどうかは難しい所だが、大輝は単純にそれを率直な返事として受け止め、苦笑した顔から普通の笑顔へと変化させていった。
彼は感情豊かな性格で、あまり人見知りをしないタイプだ。だから委員長にも選ばれたのであるが、少々積極的にいき過ぎる嫌いがある。その欠点を自負している大輝は優弦に呆れられるのを承知で素直に聞いてみたのだ。
しかし返って来た言葉は肯定するものではなかった。社交辞令かもしれないが、そういう上辺のものを感じさせない優弦の事を彼は信じたようだ。
「え、ほんと? なんか一生懸命過ぎて一緒にいると疲れるとか言われるんだけど、優弦ちゃんはそういうの気にしないんだ」
「…………」
安心した表情で大輝が優弦に聞くが、彼女からの返事はない。しかし大輝は気にせず話し続けた。
「でもまぁ、ずーっと一緒にいたら俺の馬鹿さ加減というかそういうのがはっきり出てきて面倒くさい奴とか思うかもしれないけどね」
「…………それも…………個性だと思います」
「え?」
多分返事はないだろうなと思っていた所に優弦の口から言葉が漏れ、大輝は思わず聞き返してしまう。
優弦は大輝の目を見ながら感情を感じさせない声でまた言った。
「大輝君は一生懸命だから、クラスの人も委員長になって欲しいと願ったのだと思います。一生懸命なのは良い事だし、大輝君の長所です。それを伸ばすか伸ばさないか、決めるのは大輝君ですけど、私は伸ばして欲しいです」
「…………」
初めて聞く優弦の長い言葉。
一気に喋ってくれた事に感動している大輝だが、その内容にも心打たれたようで顔をくしゃくしゃにしながら満面の笑みを浮かべた。まるで小さい子供のように、本当に嬉しそうな顔をしている。
「すげー、もう優弦ちゃん最高だね! 俺、元気100倍になった!」
「…………」
大輝は普段から元気一杯な様子だが、それが100倍になるくらい優弦から元気づけられたらしい。
言われた優弦はどう反応していいか分からない様子だが、顔には出ていないのであくまでもそういう心情であろうという想像でのものだ。
しかし大輝の方もそんな彼女の反応は予想していたのか、返事をそのまま待つ事なく再び口を開く。
「……優弦ちゃんも、一生懸命頭の中で考えてるよね。無口に見えるけど、色んな事考えてるの分かるよ。多分こうやって一対一で話せばいい会話ができると思う」
周りからは優弦は極端に喋る事が少ない子だと思われているが、そうなる理由を大輝は察していたようだ。
そしてその通り、彼女は今も発言するべき言葉を選んでいる。
「……ここまで喋る事は、家族の前でもないです」
「……へ?」
「……不思議です」
かなりの言葉を省略しているが、優弦は気を許しているだろう家族に対してもあまりお喋りはしないよう。それが何故大輝に対してはこんなに話す事ができたのか、彼女自身も不思議に思ったみたいだ。
優弦はそれきり何も言わず、大輝も驚いているような呆けた表情で彼女の横顔を眺めていた。
優弦はお花とか好きです。