14 逃げる少女
「門限五時かー。学校早く終わったけどそんなに長い時間いられないね」
テスト最終日、通常授業は免除となり優弦達の高校は早い時間に学校が終わっていた。
そして今優弦は健と共に郊外へと来ている。
「…………」
普段通りの優弦は、やはり口数が少ない。
「優弦は木野さんや久下さん達とこうやって出掛けたりはしないの?」
「……出掛けた事はありません。お二人共私の門限を気にしていますので」
通常授業がある日だと友達と遊んでいる間に門限が過ぎてしまうだろう。
優弦のとびきり目を引く容姿も、帰る時間が遅くなってしまったら何かありそうだという考えに至らせ、佳乃子達は優弦とは遊びに行ったりはしなかった。
「へー。俺が部活してなかったらなぁ……。毎日優弦を家まで送っていけるのに」
「……望月君は私の家と反対方向です」
それはまぁそうなんだけど、と健は男女間の付き合いに未だに理解がない優弦に小さく溜息をつく。
恋人というものがどういう関係なのか優弦は分かっていなかった。
お昼を一緒に食べたり一緒に帰ったり、手を繋いだり。一応それっぽい事はしているがどれも友達同士でも出来てしまう事だ。
それがいまいち健には物足りない。
「うん。でもさ、優弦がちゃんと家まで帰れたかどうかとか心配になるんだよ」
特に優弦はその容姿が目立つので変質者に目を付けられるのではないかと思ってしまう。
大輝には話しているが、小さい時は連れ去られそうになった事もあるのだから。
――でも、両親には一人にならないようにと言われているから、有り難いかもしれない。
と思っても人には迷惑をかけたくないと感じる優弦だった。
彼氏としての見栄は彼女には感じる事ができないようだが。
「けどさ優弦と歩ってると、ちょっと有名人になった気になれるね」
「……有名人、ですか?」
「優弦が可愛いから、皆見てくるんだよ。気付いてない?」
そう言われ、周りを見てみる優弦。
「…………そうでしょうか」
優弦自身は分かっていないが、実際通りすがる人は彼女に注目していた。
街の住民にとって人形のような顔の造りの優弦は珍しく、テレビや雑誌の媒体を通してでないと目には出来ないため、より彼女は目立つのだ。
「自分がどう見られてるか全然分かってないんだなぁ。…………?」
苦笑しながら呟いた健は、優弦が自分の方をじっと見ている事に気付いた。しかし視点は彼には合っていない。健越しにどこか遠くの方を見ている。
「…………優弦?」
「…………帰り、ます」
突然優弦がそう言い出した。
「えっ!? 帰るって……」
「すみません……」
呼び止めようとする健を振り切り、優弦は駆け出す。
人通りが多かった場所からだんだん住宅地へと入って行くと、途端に人は少なくなった。滅多に息を荒げない優弦が珍しく肩で息をする程の全力疾走だった。
「はぁ、はぁ、はぁ、……はぁ……」
――なぜあの人があそこに……。
健の立つ方向に見えた、一人の男性。
まだ忘れる事ができないものが彼女の頭の中に蘇る。
(可愛い優弦)
(頭が良いね)
(本当にいい子だ)
(ずっと一緒にいたい)
「ぅ……」
浮かび上がった言葉が頭痛の種のように優弦の中で暴れ、彼女はその場にうずくまった。
――暫く、このまま……。
収まるまで、落ち着くまでじっとしていようと思った優弦だったが。
ジャリ。
しゃがんだ状態から聞こえてきた地面を踏み締める音。反射的にその方向へ顔を上げる。
「っ!」
そこにいた人物を確認した優弦は急いで立ち上がり、再び走り出した。
どこへ向かっているのか、どこまで行ったのかすら分からない。
けれど優弦は逃げるように走った。
そしてとうとう走る事ができなくなるくらい体力が失われた時……。
「あれ? 蓮見さん?」
街のゲームセンター入口。そこから出てきた男子高校生に、優弦は声を掛けられた。
「はぁ、はぁ、はぁ、西島君……」
ここは学校から少し外れた場所で、地元の人には親しまれている商店街。隼人が出て来たゲームセンターは中高生がよくたむろしている所だった。
「すごく疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
「はぁ……あ、わたし…………」
優弦は自分が今来た道を振り返りながら隼人の方へと近付く。
目の前に来た彼女を見て、隼人は気付いた。
「……何かあったの?」
「…………」
まだ息を乱しながら優弦は再び顔を後ろに逸らす。先程見えていた人は今はいなくなっていた。それを確認した優弦はホッと息を吐く。しかし完全には安心できないだろう。
「もしかして蓮見さん誰かに……」
「悪い隼人、アイツら無駄に粘ってさ…………え? ……な、何でこんな所に」
ゲームセンターから出て来た大輝はここに優弦がいる事にかなり驚く。
「ぁ……すみません、皆さんのお邪魔をするつもりはないので……」
優弦は大輝を見た途端、彼が自分を邪険に感じるだろうと思った。折角の楽しい時間を潰されたくないだろう、と。
そう直感的に思った優弦はすぐにこの場を去ろうとする。
「それでは、失礼、します」
「ちょっと待って蓮見さん。……誰かに付け回されてるんじゃないの?」
その隼人の一言に優弦の体が固まった。
「やっぱりそうなんだ」
「え? 付け回されてるって……?」
穏やかでない言葉に今度は大輝が反応した。
三人がそこで話していると、大輝や隼人と一緒に来ていたらしいクラスメイト達が出て来る。
「お前ら先に行くなよー……って、どうしたの? 蓮見さんじゃん」
「大輝、お前蓮見さんの事家まで送ってやれ」
「え?」
隼人の言葉に大輝が驚き、優弦も隼人の方を見上げる。
「このまま一人でいると危ないみたいなんだよ」
誰かに付け回されている可能性があるのだ。いくら優弦が十個の防犯ブザーを持っていても、万が一の時も考えてそうした方がいいだろう。
「蓮見さんの家知ってるんだろ?」
「……知ってるけど、でも…………」
言葉に詰まる大輝。優弦に対しての葛藤があるようだった。
「いえ。結構です。一人で帰れます」
決心が付かない大輝より先に優弦の気持ちが固まったようで、そう言い放つとさっさとそこから離れて行ってしまう。
「え、蓮見さん行っちまったぞ? いいの?」
隼人や大輝が呼び止めていたと思っていた彼女が行ってしまうので、友人達は不思議そうな顔をしていた。
二人も、どんどん遠くなっていく優弦の背中を見詰めている。
「大輝、お前蓮見さんの不安そうな顔、見て分かんなかったのかよ。暑くても汗一つかかないようなあの子が、顔に汗かいてて……」
「…………」
「……いいやもう。俺が送ってく」
何も言わない大輝に見切りを付けたように隼人は言い、大輝達を置いて走り出した。
「はぁはぁ……」
きっともう追い掛けては来ないはず……そう思っても優弦の足は自然と速くなっていた。そんな彼女の腕が、突然後ろから掴まれる。
「っ!」
まさかと思って振り向く優弦の表情はとても驚いたものだったが……。
「……はぁ、はぁ」
「…………大輝君……」
強張る彼女の表情が少し和らぐ。全く別の人物がつけていたのだと思っていた。
大輝が息を荒げながらそこにいる。
「……あの……家まで、送るよ」
「……え……」
「行こう」
腕を掴まれたまま、優弦は大輝の後をついて行った。
「…………」
「…………」
街中を抜け優弦の家がある住宅街へ入る間、二人に会話はなかった。
大輝が前を行き、後ろに優弦。手はずっと繋いだままだ……。
「……帰りは、誰かと一緒の方がいいよ」
家に着くまで無言が続くと思っていたが、大輝の方から話し掛けてくる。
俯きながらの優弦がその声を聞いて正面を向くが、大輝は彼女を振り返ってはいない。
「…………はい……」
そう答えてみたものの、健は部活が始まるから送ってもらう事はできないし、佳乃子と美和は帰る方向が別だ。健と付き合う前は大輝と一緒に帰っていたが……。
大輝の言う事はもっともだと思う優弦だが、他に帰ってくれそうな人物は思い付かない。
「でも、早く帰れば、大丈夫だと思います」
「……いや、でもさ……」
あまり良い判断とは思えない優弦の返答に、大輝は言い淀む。
その間に目的地である優弦の自宅が見えてきた。到着する前に解決策を見つけたい大輝だが、それは難しいのか言葉に詰まる。更に彼の視界にはそれを探し出すための思考を乱す者の姿を捉えた。
誰かが優弦の自宅前に立ち竦んでいるのだ。
――誰だろ、あの人。
そう大輝が思った後、彼の手が後ろへ引っ張られた。
「…………優弦ちゃん?」
彼女の方を振り返った大輝は、優弦がその場で立ち止まっているのに気付き声を掛ける。だが優弦は俯いたまま何も話そうとはしない。
「……え……あ、もしかして…………つけられてるって……」
はっとした大輝はそう呟き、再び正面を向いた。
グレーのスーツに短めの髪の毛、眼鏡を掛けている男性をそのまま見詰めると、相手も見られている視線に気付いたのか大輝の方へと顔の角度を変える。
「……優弦……?」
大輝の影に隠れる優弦の姿を発見した男性がゆっくりと二人の方に近付いてきた。
「だ、大輝君……」
「大丈夫。俺の傍にいて」
うろたえる優弦だが、大輝の言葉を聞き彼の傍にぴったりとくっ付く。
お互い手を繋いだまま立ち止まっていると、男性が大輝の前に立った。
大輝より若干身長の低いその人は見た目はまだ若く、二十代後半くらいの容姿だ。暫し対峙した後、大輝は目の前にいる人物から目を逸らさず口を開いた。
「あの、俺この子の友達ですけど……あなた誰ですか? ずっと付け回していたらしいですね」
「友達……ああ、そうか……今通っている高校は共学だったか。男友達も自然とできるよな」
大輝の言葉を聞いているのかいないのか、男は独り言のように呟く。
「何言ってるんですか。……これ以上付き纏うようだったら警察呼びます」
非常事態になった時の決まり文句だ。すると男の態度が変わった。
「ああ、すまない。久々に優弦……蓮見に会ったからかな。我を忘れていた…………」
「……で、誰なんですか?」
少しイラつくように大輝が言うと、彼の背中側からか細い声が聞こえてきた。
「先生、です」
「…………え?」
優弦の声に、大輝は少し顔を後ろに逸らす。
「上村先生…………中学の時の、先生です」
「……せ、先生…………?」
予想外の答えに思わず驚いてしまったようだ。優弦がこの人物を知っていたのもそうだし、教師という立場の人だという事も。
大輝が目を丸くしてその男、上村を見ていると、彼は小さく笑った。
「いや、今は教師じゃないんだ。田舎に帰っててね、小さい飲食店だが実家の手伝いをしてる。……蓮見とは二度と会わない方がいいと分かっていたんだけど、たまたまこっちに来る機会があって……まさか、見掛けるとは思わなかった。……元気そうで良かった」
ふっと上村が笑うが、大輝の側にいる優弦は繋ぐ手の力を強くした。
「彼女はそう思ってないみたいです」
上村の姿を見て逃げ出すような状態なのだ。優弦が快く思っているはずがない。
「……そうだね。追い掛けたりしてごめん。でも、どうしても言っておきたくて」
そう言うと上村は大輝の陰に隠れる優弦を上から覗いた。
一瞬どうしようかと考えた大輝だったが、彼女の手を握り直すと自分は少し後退する。優弦と元教師の距離が近付いた。
「あの時は、僕も初めて自分のクラスを受け持って緊張していてね……女子校で進学校だと言っても十代の子だし、僕自身若いから言う事を聞いてくれない子の方が多かった」
優弦が通っていた高校はお嬢様校と言われる所で、成績も良い子ばかりが集まる。しかしその年代の生徒を扱うのは新人教師としては難しいものがあったのだろう。
優弦は上村の言葉にじっと耳を傾けていた。
「けど、ああ言えばこう言う生徒達の中で、蓮見だけは真面目に僕の話を聞いてくれたね」
「…………」
教師時代の事を思い出したのか、ふっと笑う。
「それがすごく嬉しくてね……必要以上に蓮見に甘くなってしまって……」
手のかかる生徒達の中で唯一優弦だけが従ってくれた。特別なものとしてしまうのは仕方ない事だったのかもしれない。
「でも、蓮見にとっては僕の接し方は過剰なものになってたんだよな」
そう言うと優弦の元担任教師は僅かに顔を俯かせる。傍で聞いていた大輝もその言葉と態度が気にかかったようで。
「……過剰なもの?」
眉をひそめながら聞き返していた。
「…………自分が良いと思っても、必ずしも相手が同じような感情でいるとは限らないんだよね。自分の事しか考えていなかった。……ごめん、蓮見」
上村がそう謝ると、優弦の体が僅かに揺れる。対面した時とは違う動揺だった。
「…………」
「勝手に来て勝手に謝って……少しも成長してないな。でも、蓮見は新しい学校で友達も作れているようだし、安心したよ」
大輝の事を見ながらそう言うと、上村はどこか吹っ切れたように一つ嘆息する。
話が一段落ついた雰囲気になり、優弦の顔が少し上向いた。
「突然で悪かったな。僕の自己満足みたいなものだったけど、蓮見に直接言う事ができて良かったよ……元気でな」
そして上村の足が少し動いた後……。
「……上村、先生」
優弦の口から男を呼ぶ声が零れた。
彼女と話す事はないと思っていた上村は少し目を開かせながら驚き、優弦へと視線を向けた。彼女の瞳にはまだ戸惑いの色があるが、先程避けていたようなものではない。
「…………」
しかし話をするのは躊躇いがあるのか、意を決するように大輝のシャツを握り締めた。
その事に気付きつつも大輝は何も反応しなかった。
優弦が自ら発言するのを大輝も待っているのだ。
そしてゆっくりと彼女の口が開いていく。
「……あの……今日、お会いしたのは私も驚きましたけど…………先生のお話を聞けて良かったです……。お体に、気を付けて下さい」
少々詰まりながらだったが、自分の気持ちを伝える事ができたようだ。
優弦はそれ以上何も言わず、ただ男に視線を送るだけだった。
「まさか蓮見から労いの言葉を掛けられるとはなー。やっぱり、どんな時でも蓮見はいい生徒だよ。ありがとう」
晴々とした表情と声で男はそう言って、今度こそ優弦と大輝に背を向ける。距離がどんどん離れて行く中、その男の顔が振り返る事は二度となかった。
次で終わりかなと思います。




