13 彼の告白と家族と少女
「あれは冷た過ぎるんじゃないか?」
「……隼人」
優弦と別れ、廊下から階段へ行こうとしたその階下に隼人が立っていた。先程の大輝と優弦のやり取りを見ていたようだ。
「別に、隼人には関係ないだろ」
気まずそうに顔を逸らし、友人の横を通り抜けようとする。
「何とも思ってないような感じでいるけどさ、きっと傷ついてるぜ」
「…………」
優弦の心情について予想する隼人に、大輝はその場で立ち止まった。
「……じゃあ、望月に慰めてもらえばいいんじゃないかな」
「大輝」
自分の優弦に対しての良くない態度を認めているのだろうが、隼人への返答は投げやりだ。自分以外の事に関しては放任主義の隼人が思わず大輝の名を呼ぶ。
「一人で不貞腐れるのは勝手だけど、誰かにそれをぶつけるなよ。蓮見さんの事好きなんだろ。簡単に引くなよ」
「……言うだけだからいいよな隼人は。彼女が望月を選んだんだから何も言えるわけない。……諦めようとしてるのに、決心を鈍らせる事言うな」
「…………」
大輝も正直ショックを隠しきれない。
一緒に話をしたり帰ったりして距離を縮めていたと思っていた所にこの事態だ。しかも優弦と健が自然な感じで恋人同士となっているので悔しかった。
口角を下げて諦め切れない感情を曝け出す大輝に、隼人は短く溜息をつく。
「…………はぁ。いつもの天真爛漫さはどうしたんだよ。張り合いねーなー。……今回の真相教えてやろうとしたのに」
「……真相?」
思いがけない隼人の言葉に大輝は聞き直す。
「や、いいよ、いい。大輝が蓮見さんの事忘れようとしてんならもう俺は何も言わない」
しかし隼人は足を玄関の方へと向けようとした。
友達に八つ当たりのような態度を見せていた大輝だが、自分を煽る隼人の言葉が気になるよう。
今度は大輝の方が追い掛ける形になる。
「は、隼人、何だよ。真相って何の事だよ」
「……知りたい?」
更に大輝を煽るように目を細めて隼人が言い、先程のようなふて腐れ気味だった大輝の目が真剣なものに変わった。
「蓮見さん!」
校門を出てガードレールに仕切られている歩道を歩いている優弦の後ろから、男の子の声が響いた。
自分の名前を呼ぶ声、先程まで聞いていたその声に、優弦は後ろに顔を逸らす。
「…………」
スポーツバッグを肩から提げた大輝が急いでいる様子で彼女の元へと走って来た。
こんなに慌ててどうしたのでしょう、と優弦も立ち止まって彼を待つ。
「……はぁ、はぁ……ごめん。さっき、あんな感じで別れたのに、こんな風に呼び止めて」
「…………」
優弦を突き放すように大輝は以前とは違う態度で先程彼女と対話していたが、その事をあっさり謝られて優弦も多少戸惑う。
歩道を塞ぐようにして止まっていた二人だが、優弦の肩越しに人が歩いてくるのを確認した大輝は「こっち、来て」、と彼女を横の小道へと誘導した。
「…………さっき、隼人に聞いたんだ。何で望月と付き合う事になったのか……」
「……望月君が、好きだとおっしゃったので」
健に告白される前に佳乃子に助言された事を優弦は実行しただけ。好きと言われたら付き合えばいいよ、という事を。
それを大輝も先程隼人から教えられたようだ。
「でも、蓮見さ……優弦ちゃんは望月の事好きなの?」
「…………」
「両思いじゃないのに恋人になるって、その……俺は、違うと思うんだ」
「…………佳乃子さんが、付き合えばお互いの事が分かると……」
焦れったいような顔をしながら大輝が頭を掻く。
「そういう手段を取らなくても相手の事知っていく方法はいくらでもあるよ」
「…………」
それならどうすればいいのかと優弦は思った。
自分は佳乃子の言う通りにしただけで、間違った事はしていないと美和達にも言われた。
しかし以前とは周りの様子が違ってきたのは優弦も勘付いている。素っ気無い大輝の態度、必死に自分と健の様子を聞いてくる佳乃子、静観しているようでアドバイスをしてくる美和。
そして今大輝まで優弦の取った行動を疑っていた。
「…………私は、言われた通りにしているつもりなのですが……」
「じゃあ優弦ちゃんは人に言われた事は何でもするの? 俺に言われた事でも?」
「……大輝君……?」
切迫したような大輝の言い方に優弦は訝しげに表情を僅かに変化させる。
こんな大輝は見た事が無い。何か思いつめたように唇を引き結び、続いて大輝はその両手を優弦の肩に乗せた。
「俺は、優弦ちゃんが好きだ」
「……だ…………」
名を呼ぼうとした優弦だが、それはできなかった。
声を出すにも出せない状況。
掴まれている肩が少し痛い。
しかしそれよりも気になる事……大輝の顔がすぐ目の前にあった。
至近距離。鼻先がぶつかるくらいの……いや、ぶつかった後すぐに別のものが触れていた。
優弦の唇に大輝の唇が重なっていた。
「…………」
何事にも動じない優弦だが、流石にこの時ばかりは驚き、ぎゅっと大輝の腕を握り締める。
それが皮膚を摘みあげるような掴まれ方だったため、大輝は鋭い痛みに顔を歪めた。
「っ……」
「…………すみません」
大輝が離れた後、苦痛を与えてしまった事を優弦は反射的に謝るが、大輝は静かに笑う。
「……はは…………酷い事してるの俺の方だと思うんだけど……優弦ちゃんが謝るんだ」
「…………」
自嘲気味に言ってから、大輝の顔から笑みが消えた。その顔が優弦にはどこか悲しそうに見えた。
キスをされた驚きよりも、そちらの方が彼女は気になるようで……。
「大輝君……大丈夫、ですか?」
心配だったからただ聞いただけ。
単純な気持ちからだったのだが、大輝は酷く取り乱した。
「っ……何でキスされたか分からないの? 優弦ちゃんの事が好きって言ってるのに、それについては何かない? 望月っていう彼氏がいるのに、俺にこんな事されて……なのに、何で俺の心配してんの……」
「…………」
優弦は大輝が何を望んでいるのか分からなかった。
心配した事を問い詰められるのなら、怒れば良かったのか。悲しめば良かったのか。
しかし、優弦の中には怒りも悲しみも浮かんではいなかった。
「…………隼人から今回の経緯聞いて、もしかしたら考え直してくれるかもって思ったけど……そうだよね、優弦ちゃんは俺の事を好きっていうわけじゃないし……。ごめん、変な事言ったり、したりして……」
「…………大輝君」
悲しそうな表情で謝る大輝に、優弦の方も胸が締め付けられる。
こんな風になるのは初めての事だった。
綺麗、可愛いと言われる一方で陰湿な言葉を掛けられる事は今までにもあったが、優弦は大抵気にした事はなかった。この前美和といざこざがあった時は物悲しい気持ちにはなったが、凄く悲しいというわけではなかった。
しかし、今は誰かに心臓を鷲掴みされているくらいギュッとそこが苦しい。
自分から遠ざかっていく大輝の背中を見詰めながら、優弦は胸の辺りを押さえた。
「優弦、高校はどう? 慣れた?」
夕食時。
両親、四つ上の兄と一緒に食事をしている優弦は、母親から質問され、口内にある物を咀嚼しながら考えた。
――慣れた……のかな。よく話す友達もできたし、授業も楽しいし。
そこまで考えてから、彼女は食べ物を飲み込んだ後にゆっくり頷き返す。
「……はい」
「そう。良かった」
優弦の返事を聞き、相向かいに座っている彼女の母、蓮見光は笑顔を見せた。
四十歳にしては皺は目立たず肌にはハリがあり、実年齢より若い印象。髪の毛も艶のあるショートカットなので、やはり若々しく見える。綺麗なアーモンド形の目は優弦とそっくりだった。
そして優弦の母、光の隣にいる男性が父親の貴則である。
母親と同い年の彼もまた年齢の割には若い印象。仕事ではきっちりしてるであろう髪の毛は若干崩れているが、それすらも整って見えるのは顔付きが見目好いからだろう。掘り深くなっている目元、高い鼻梁、まるでモデルでもやっているのかと思われる貴則の職業は普通の会社員だ。
優弦の隣に座る兄の圭も父親似の容姿。
大学二年で小中高とサッカー部に所属していた彼は体躯がとてもがっしりしている。
優弦の家族は一見すると美男美女である事以外は普通。
しかし彼女に関して他の家庭ではあまり見られないであろう様子が蓮見家では行われる。
それは……。
「……あ」
優弦、自分の分のグラスを取り損ない、倒してしまう。
テーブルに広がる液体。
そしてテーブルの端から垂れるそれに父の貴則は血相を変えた。
「優弦ちゃん! 危ない!」
反対側の席にいる彼は身を乗り出して優弦の前で滴る液体をタオルで抑える。
優弦の隣にいた圭も彼女の椅子を引き、濡れないように防いでいた。素早い行動が幸いし、間一髪、優弦の服や体が濡れる事はなかった。
「はぁ……危なかった。大丈夫? 優弦ちゃん?」
「はい。……でも……」
彼女自身に何か被害が出る事はなかったが、貴則が覆いかぶさっているそこはテーブルの上である。
そして今は夕食をしている場所。もちろん皿に盛られた物が色々置いてある。サラダや肉と野菜の炒め物が貴則の体の下敷きになっていた。
「あーあ、何してんだよ父さん」
ぐしゃぐしゃになってしまったおかずを見ながら圭が言うと……。
「ちょっと貴則さん! 何してるの、もう!」
旦那の行動に呆気に取られていた妻の光だが、ハッと我に返り立ち上がりながら貴則が起きるのを手伝う。
「あー……ごめん光ちゃん」
申し訳なさそうに言う貴則の衣服はキャベツやトマト、炒め物に使用してある茶色の調味料が付いてしまっていた。
彼はそれらが床に落ちないように気をつけながら服を脱いでいく。光は汚れたテーブルを片付け始めた。
「脱いだら一旦洗濯カゴに入れてね。これはもう食べられないし……優弦、ご飯まだ食べ終わってないでしょ? ママが違うおかず作ってあげるからね」
「…………」
優弦の茶碗にはまだご飯が残っている。
しかし残念ながらおかずは駄目になってしまったので光は別の物を作ってあげようと考えていた。
と言っても残っているご飯の量はほんの僅かだ。箸の先にちょこんと乗せ小さく口を開くだけでも終わってしまう程の量。
おかずはいらないかもしれない、黙っている優弦はそう考えるが、彼女の母親は作る気満々だ。
「光ちゃん作るの? 僕が駄目にしちゃったから僕が作るよ、うん」
「いいわよ私が作るから。貴則さんもまだ足りないようなら一緒に作るけど?」
「いいよ二人共、俺がぱぱっと優弦のために作るから」
「いやいや僕が。あ、そうだ。この前居酒屋の店主に味噌ハンバーグステーキの作り方教わったんだ。よし、それを今から皆に披露しようかな」
「ハンバーグを今から作るって……何言ってるのよ。材料が無いでしょう」
「ああ、それもそうだ」
「その間に優弦を待たせるのも可哀想だって」
「………………」
貴則の提案を却下した光や圭の理由にも突っ込みが必要だが、こうなると優弦は何も言えなくなるので、彼女はこのやり取りが収まるまで静観する事にした。
この父と母、それに兄は優弦に対して過剰な程保護意識が高い。
更にそれが顕著なのが父親の貴則だった。優弦が何をするにしても敏感に反応し、彼女に何か不幸が襲おうとすると必死になってそれを庇おうとする。
そして彼女がしたい事やりたい事を常に意識して行動していた。
なので優弦は自分が何かを喋らなくても家族がやってくれると、そういう物事の捉え方をするようになってしまった。
両親や兄がいない場合は何をするのが一番最適なのかを考えている。
その為、人と話をすると会話のテンポが遅くなってしまうのだ。
――ふぅ。結局ハンバーグを作ってもらってしまった。食べ過ぎたかな……。
お風呂から上がった優弦は少しお腹の辺りを気にしながら自室へと入り、ベッドの端にちょこんと座った。見た目はお腹が出ているという事はないが、胃が膨れているような気が彼女はしているよう。
――薬を飲んでおいた方がいいかな。でも、皆に言ったら病院に行こうとか言い出すかもしれない…………やめておこう。
また余計な心配をさせて時間を取らせたくないとも考えた優弦は、腹痛にもなっていないので今日の所はこのままにしておくことにした。
テレビも音楽もかかっていない部屋はひたすら無音。その中で一人ボーっとしていると、優弦は途端に眠気に襲われる。
そして瞼が重いなと感じたその時、彼女の携帯電話がブーブーと震えた。
――……誰……?
優弦の携帯電話に登録されている電話帳の件数は驚くほど少ない。最近では数人の名前が追加されているが、それでも身内だけしかないと言ってもいいくらいだ。
なのでこんな夜に誰かから掛かってくる事などないはずなのだが……。
優弦は勉強机の上に置いてあった携帯電話を取り、画面を確認した。
「メール…………佳乃子さん」
そこに表示されている名前を見て優弦は小さく声を出す。
『こんばんは。夜遅くにごめんね。今日帰り際に話した事、よく考えてほしいなって思います。私が一番の原因なのにこんな事言うなんておかしいけど……。でも、優弦ちゃんにとっても望月君にとっても大事な事だから。また明日お話しよう。
返信はしなくていいです。おやすみなさい』
本文を読んだ後、メール画面を消した。
――ちゃんと、考えなきゃ。……私は一体どうしたいのか。付き合うって、お互いが好き合っていないとできない事。でも私は望月君の事が好きかどうかも分からない。
「俺は優弦ちゃんが好きだ」
大輝の言葉が彼女の頭の中に蘇る。
いつになく真剣な表情だった大輝のその言葉は強く優弦の心を揺さぶっていた。
――このままじゃきっといけないんだ。私がもっと自分の、意思を持って……。
うとうととしながら、優弦は段々意識を薄れさせていった。
溺愛されすぎな優弦です。




