12 分からない少女
「はー、なるほどねー。……とんでもない事けしかけたね」
「け、けしかけたわけじゃないんだけど。まさか望月君が優弦ちゃんに告白するなんて思ってなくて……」
誰もいない校舎三階の踊り場。隼人と佳乃子、美和がここにいる。
佳乃子は今朝の事を隼人に話した所だった。
「伊勢谷君になんて言っていいかわかんなくて……。すごくショックだろうし」
自分のせいで、という罪悪感が佳乃子の中に広がる。
「……大輝もまぁ驚いてるだろうけど、久下さんがアイツを気にする事ないよ。蓮見さんの勘違いを何とかするのが最優先かな」
「うん……そう、だよね」
隼人の言う通りだろう。
優弦と一緒に健に説明すれば……。
そう思った途端佳乃子は居ても立ってもいられなくなった。
「私、優弦ちゃん達のとこに行ってくる!」
そう言うと彼女は急いで階段を下りて行き、廊下を駆けて行った。
「……そう上手くいくかな」
佳乃子が見えなくなった後、隼人が呟く。
「望月君も一筋縄ではいかなそうだしね」
優弦の勘違いだけで済めばいいのだが、美和はそれだけでは終わらない気がした。それは隼人の方も同じなようで……。
「色々言いくるめてくると思うよ。せっかく恋人になれたのに、手放すはずないんじゃないかな」
あまり期待していない美和と隼人だが、図書室に来た佳乃子も若干同じような事を思い始めていた。
テーブルに優弦と健が二人並んで勉強をしている。
それだけなら何でもないだろう光景なのだが、その体の距離は近すぎるような気がした。
――望月君、優弦ちゃんにくっつき過ぎじゃない? 少女漫画の展開だと席は相向かいで二人共恥ずかしがって勉強が手につかなくて、そこで目が合って照れ隠しに笑う……そんな感じが理想なのに。
佳乃子のそれは全部漫画や小説からの想像にすぎない。しかし他の者から見ても、優弦と健は勉強しているような感じには映らなかった。
健の腕が優弦の肩を抱く。
――え! そ、そういう事もうしちゃうのー!?
予想外に健が積極的なので本棚の脇から覗いていた佳乃子は思わず顔を逸らした。
――優弦ちゃんも気にしないで勉強続けてたし……。望月君の事、別に好きじゃないんだよね。でも好きでもない男の子にあんな風に触られて何でもないようにしていられる? わ……私だったら、絶対無理……。
本棚の影に隠れ、ぺたりと床に座ってもじもじと考えてから自分だったらと置き換えてみる。
幸い図書室を利用している生徒は他にはいないため佳乃子の不審な行動は誰にも見られずに済んだが、彼女の観察対象だった者にバレてしまった。
「…………佳乃子さん?」
「!!!」
頭上から声を掛けられ、佳乃子は目を大きく開いてその人物を見上げる。
優弦が不思議そうな顔で彼女を見ていた。
「…………」
佳乃子の名前を呼ぶだけで、後は何も言わない優弦だが、彼女のそこには「何をしているんですか?」という疑問が浮かんでいるのが分かる。
どうしようかと一瞬迷った佳乃子だが、元々話があってここまで来たのだ。
床に座っていたが、その場で立ち上がる。
「あ……あのね、優弦ちゃんに……というか……」
優弦の肩越しに、テーブルにいる健の姿が目に入った。
彼も不思議そうに佳乃子の事を見ている。
「望月君にもなんだけど……。話があって…………」
本の貸し出しを管理している図書委員は今日はなぜかいない。委員の仕事をサボるなど許されない事だが、そのお陰でこの部屋には優弦と健、佳乃子の三人だけ。話をするには丁度いいなと佳乃子は思った。
優弦と健が並んで座り、その相向かいの席に佳乃子が座っていた。
「……優弦の勘違い?」
優弦。
健が彼女の事を呼び捨てしているのをどこか違和感を感じつつ、佳乃子はその言葉に頷き返す。
「そう、なの。……えっとね……こう言ったら望月君には悪いんだけど、本当は、その……優弦ちゃんには違う人からその……告白してもらう予定で……」
今日の放課後大輝から言ってもらう予定だったのだ。佳乃子の頭の中では優弦と大輝が一緒にいる図が出来上がっていたのに……。展開が狂ってしまった。
冷や汗のようなものが佳乃子の背中を伝う。
健の方を見るのが怖かった。
「でも、突然そんな事言われてもな。俺は優弦の方から“付き合う?”って言われたからそうしたんだし」
「だ、だから、それがその……優弦ちゃんの勘違いで……」
「俺には関係無いよ。優弦の意思でそうに言ってくれたって思ってる」
他人から言われたものだろうが何だろうが、彼女自身が口を出して言った事を信じる。
強くその気持ちを崩さない健を目の当たりにして、この相手が大輝であったらどんなに良かったかと佳乃子は思った。
「……佳乃子さん、私は何か間違っていましたか?」
不意に優弦が質問してくる。今までの流れを聞いていたのにそれはないだろうと佳乃子は感じるが、計画を立てたのも相手を指定しなかったのも佳乃子。優弦は悪くない。
けれど彼女自身が健へ言った事を取り消ししてくれれば……。
「優弦ちゃんは、何も気にしなくていいんだけど、その……望月君に特別な感情がないんだったら」
「久下さん、何言うつもり?」
付き合うのはやめた方がいい……、そう言おうとした佳乃子の言葉が遮られる。
「……も、望月君……」
「彼女にはもっと相応しい人がいるって言いたいの?」
「えっと……あ、あの」
「振り回されてるのはこっちなんだから、大人しくそうされてるよ。それに、優弦はまだそいつの事を好きだなんて、一言も言ってない」
それはそうなのだが、しかし、言葉にしなくても優弦の本心が訴えているのは間違いない。
折角付き合える事になったのに、手放すような事をしたくない健の気持ちも分かる。
「…………」
振り回しているのは明らかにこちらなので、佳乃子の説得したい気持ちも萎れてきてしまった。
「……優弦、行こう。今日はもうここで勉強できそうにないから」
健は立ち上がり、同時に優弦にそう促しながら言う。少し戸惑った感じの優弦だが、健と佳乃子を交互に見てから勉強道具を片付けた。
「では、佳乃子さん……」
「あ……う、うん……」
優弦も名残惜しい雰囲気だが、これ以上二人を留めておく言葉が見付からない佳乃子はそのまま二人を見送った。
その後も佳乃子は何度か健に説得を試みるが上手くいかず、周りも優弦と健が付き合っている事は当たり前という風に捉えられていた。
クラスも同じなので一緒に行動しやすく、移動教室へ行く時も昼も休み時間も一緒。
ただ帰りは、健が部活をしているという事もあり、別々だった。
「じゃあね優弦。また明日」
「はい。さようなら」
いつものように健と教室内で別れ、優弦は黙々と帰り支度を進める。
そしてこれもいつもの事……佳乃子と美和が優弦の元へと集まった。
「……段々本当の恋人同士になっていってるね」
「付き合ってるんだから当たり前でしょ」
しかも佳乃子が計画した事だ。無理矢理優弦と大輝をくっつけてしまおうという、安易な……。
だが健からの告白がなければ全て上手くいっていただろう。
「そ、そうなんだけどー……。優弦ちゃんはどう? 望月君といて楽しい?」
「…………」
――楽しい……のだろうか。望月君とは最近とても多くの時間を一緒に過ごしているけれど。彼は色んな事に気が付くし、委員の仕事もきちんとやってくれて……。いい人だな、とは思う。
けれど、心がわくわくするような事は健といても感じない。優弦は考え込んでしまった。
「…………」
「……優弦、先走った佳乃子も馬鹿だけどさ、」
美和の言葉にビクリと佳乃子が反応する。
「望月君とこのままずっと一緒にいたい、て彼に対して思わないようなら……今の関係考え直した方がいいよ」
良い方向に気持ちが向くのなら別だが、今の優弦を見ているとそうはならなそうだった。
「考え、直す……」
「多分優弦の方から言わないと望月君も分かってくれないと思うから」
周りがいくら健を説得しても何も進まない事は既に分かっている。
それならば優弦自身が言うしかない。
……それでも健は上手くかわすのかもしれないが。
「――美和ー、佳乃子ー、委員会始まるよー」
その時、廊下から女生徒が二人に声をかけてきた。
「あ、私達これから委員会あるの。ごめんね優弦ちゃん。もっとゆっくり話したいんだけど……」
「いえ」
優先すべき事があるのならそちらを終わらせてもらいたい。
優弦は気にしていないという風に佳乃子に向かって緩く首を振る。
「気を付けて帰ってね。ばいばい」
「ありがとうございます。さようなら」
美和も佳乃子動揺気にしているのだろう、少し名残惜しそうにしながら優弦に声を掛け、けれど佳乃子と共に教室を出て行った。
健と付き合い始めてから佳乃子達の様子がおかしい事には優弦も気付いている。
けれど自分が間違った事をしたのかと聞いても、返ってくる答えは「間違っていない」というものでいつも同じ。
“間違っていない”けど“考え直した方がいい”というのはどうも優弦には矛盾に思えた。
色々と自分の中で考えながら優弦は身支度を終え、カバンを持って教室を出る。
同級生達がまだまばらに残っている校舎。まだ優弦の他を寄せ付けない可憐さに慣れない者が彼女に視線を向ける中、下駄箱へと辿り着いた。
カタンと靴を揃えて穿いて行こうとすると、目の前に人が立ち塞がった。
「…………」
最近はあまり喋る事のなくなった、大輝がそこにいる。
大輝は靴を穿いているようだが、校舎の中へと戻って来た様子だ。
忘れ物でしょうか……そう思いながら優弦が彼へと視線を投げ掛けていると……。
「…………」
大輝の方がぱっと視線を外し、優弦の横を何も言わずに通り過ぎて行った。
何も言わず、笑顔もなく、ただ道端で会っただけのような反応。
そんな大輝に違和感を持った優弦は思わず振り返って彼の姿を目で追うが、大輝はやはり優弦の方を向く事はなかった。
「……大輝、君」
何故声が出たのか。彼を呼んだのか。彼女は大輝の名を呼んでからそう疑問に思った。
――何か、声を掛けてほしい……そう思ったのでしょうか。
優弦に背を向けていた大輝が振り返る。
「…………呼んだ?」
「ぁ……はい」
用事があるのだろうと相手は思うが、優弦が彼を呼んだのは咄嗟の事だった。このまま別れるのは嫌だなという感情がそうさせていた。
健と一緒にいるようになってからは本当に大輝とは接触する事がなくなっている。会話をする事もなく、挨拶だけをして終わるような感じだ。
それが少し優弦を寂しく思わせていた。
「…………」
「…………俺、忘れ物取りに行くから。何もないなら、行っていい?」
「……はい、すみません。呼び止めてしまって……」
何も喋らない優弦を見て、大輝の方からそう言う。
その顔はやはり無表情でいつも教室で見るような彼の顔ではない。優弦といる時はそれ以上の笑顔を見せていた大輝だが……。
――木野さんの時みたいに、私は大輝君を怒らせるような事をしてしまった……? それとも、笑顔でいるのが疲れたとか。何故だか分からないけど、大輝君は笑っていた方が、いいです。
そんな風に要求をしたい優弦だが、ピリピリした大輝を見ているとそういう発言も危ないかもと彼女なりに思った。
「ゆづ……蓮見さんはさ、」
「…………」
――苗字……。
「望月と付き合ってるんだから、あんまり他の男と一緒にいない方がいいよ。こういう風に話すのも、あんまり、さ……。多分アイツ、嫉妬深いから」
「…………」
「じゃ……」
優弦からの返事を待たず、教室へ行くのだろう大輝は玄関のある廊下からいなくなった。
いつでもどこでも優弦に対して優しい大輝。いや、他の者にも明るく陽気に接しているのだが、そういう態度も一切なかった。
――やはり、嫌われたのかな。
理由は分からないが、優弦はただ単にそう思った。




