11 彼氏ができた少女
佳乃子はその日放課後になるのが待ち遠しかった。
テスト勉強の事など頭からすっかり消え去り、相手にどう伝えようかウキウキと考えていた。
――伊勢谷君は部活してないし、ホームルームが終わった後すぐに呼び止めよう。
今日彼女はある計画を美和と立てていた。
優弦と大輝が恋人になる、そんな計画。
優弦にはそれとなく伝えてあり、後は大輝にも知らせるだけだった。
「佳乃子、顔ニヤけてるよ。もっと普通の顔でいなよ」
トイレに行っていた美和が教室に戻ってくるなり佳乃子にそう言う。
「だって、なんかいよいよって感じなんだもん。優弦ちゃんもやっと自分の気持ち分かってきたみたいだし」
「騙してるような気がしなくもないけどね」
嬉しそうな佳乃子とは対称的に美和はどこか不安げだ。
自分達の計画がうまくいくのかどうか。良い方向にいかない場合もあるのだから。
「そんな事ないよー。絶対大丈夫。今日の放課後には、初々しいカップルが誕生…………」
「……佳乃子?」
楽しそうに語る佳乃子の表情が一変……固まった。
何かを凝視する佳乃子を不思議そうに見つつ、美和も同じ方向へ視線を移す。
「…………は? どういう事?」
「………」
教室出入口に男と女。
普通に並んでいるだけならよかったのに。
「あれも、計画の内?」
「そんな計画、立ててない……」
優弦が男と手を繋いでいた。
同じクラスの望月健と。
それより数時間前の朝の教室。
優弦は昨日大輝に対して感じたものを佳乃子と美和に打ち明けていた。
「特別な感情って、こういうものなのではないか…………って、美和ちゃん、これって、……これって」
「優弦もやっと分かってきた……のかな」
大輝にだけ抱き着きに行っている時から絶対に“ある感情”を持っていたと佳乃子と美和は考えていたが、優弦もようやく理解したのだと二人は若干感動する。
生憎まだ大輝は来ていないが、この事を知れば絶対喜ぶだろう。
佳乃子は優弦の手を握り締めた。
「良かった優弦ちゃん。これでやっと伊勢谷君もうかばれるよ」
「佳乃子、死んでない死んでない」
言葉の使い方を間違えている佳乃子に冷静に美和が突っ込む。けれど優弦は何故佳乃子が嬉しそうなのか分からない。
「……私は、どうしたらいいんでしょう」
他の人といる時では感じる事のできない気持ち。初めての経験に優弦は少し戸惑っているようだ。
恐らく彼女だけに任せておいたのでは優弦と大輝の仲は発展していかないだろう。大輝も優弦には劣るが結構鈍感だ。
「うーん……何を悩んでるの?」
「悩む……」
美和の言葉に、優弦は考え込む。
――何を私は悩んでいるのか。そもそもそこがよく分からない。大輝君にだけ感じてしまう何かというのがよく分からない。それのせいで少し気持ち悪くて、もやもやして……私は、おかしいのかな。
「……難しい数式や問題というわけではないのですが、理解できないのが私は引っ掛かっています」
「優弦ちゃん、それはもう付き合えばいいんだよ」
「…………付き合えば……?」
優弦の手を握っている佳乃子は、更に身を彼女の方へと乗り出した。
恋愛に疎過ぎる優弦をじれったく思ってきたようだ。
「うん。それが一番いい解決方法。相手の事を知るためには付き合っちゃえばいいと思うよ」
「ちょっと、佳乃子?」
傍から聞いていた美和だが、少し暴走気味の佳乃子を心配そうに見つめる。
しかし佳乃子の言葉が止まる様子はない。
咳払いをして、改めて彼女は口を開いた。
「いい? 優弦ちゃん。“好きです”って言われたら、付き合うの。恋人同士になればお互いよく理解し合えるんだから」
佳乃子はまだ誰とも付き合った事がないが、今までドラマや漫画の恋愛ストーリーで培われたものを今正に発揮した。
「…………はぁ……」
いまいち佳乃子の言う事が理解できていない優弦。けれど彼女がここまで力説するのは珍しいので、とても重要な事なのだろうなと直感的に思っていた。
「大丈夫。後はね、私と美和ちゃんに任せて。絶対上手くいくようにする」
「私も手伝うの?」
「当たり前でしょ美和ちゃん! 優弦ちゃんの為なんだから」
「…………そう上手くいくかなぁ……」
自信有り気に言う佳乃子に対して、美和は不安げな表情で呟く。
だが佳乃子は全て思い通りにいくと思っていた。
優弦は言われた事は九割信じてくれるタイプだ。だから自分が言った事を実行してくれる、そう考えた。
優弦の事を好きだと認めている大輝に、彼女に告白するよう促す。
大輝から好きですと言われた優弦は、もちろん佳乃子に言われた通りの事をするため付き合う流れになるはずだ。
そういう計画のはずだった。
なのに、その日の昼休み。
優弦は別の男子と手を繋いでやってきたのだ。
「え? え? 望月君に告白されたの? …………そ、それで……優弦ちゃん……」
「素直に付き合う事になったわけだ」
「…………はい」
まさかの事だった。
佳乃子も美和も、大輝だけでなく優弦に一目置いている男子がいる事は知っている。
中でも望月健は積極的に彼女に接していた。けれど佳乃子が計画を立てたその日に優弦に告白をするなど考えてもいなかった。
「ど……どーしよー美和ちゃん…………これってすっごく……まずくない?」
「私に言わないで。計画したのは佳乃子でしょう」
絶対に上手くいくと言ったのは佳乃子だ。
しかし誰もこんな事になるとは思わなかっただろう。
優弦を除いて……。
――二人共困ってる。私は何か間違った事をしてしまった……? でも佳乃子さんの言う通りにしたつもりなのに。
告白される相手まで指定されていなかった優弦はただ言われた通りにしただけなのだ。
昼休み、借りていた本を図書室へ返しに行っていた帰り道。廊下で健に会い、彼に話があると言われた。
「蓮見さんの事好きなんだ。……きっとそっちは違う奴の事思ってるんだろうけど、俺うじうじしたままって嫌いだから」
――もしかしてこれが佳乃子さんが言っていた事……? 好きですと言われたら、付き合えばいい……。なるほど。
「では、付き合いますか?」
「…………え?」
「…………」
「蓮見さん、本気で言ってるの?」
かなり疑い気味な健に、優弦は無表情のまま首を縦に動かした。
健は目を丸くして驚く。
優弦は大輝の事が好きなのではないか、その気持ちに気付いていないとしても他の奴からの告白に応じるなんていいのだろうか。
そもそも付き合うという意味を分かっているのだろうか。
健は疑い深くまた聞く。
「えっと……付き合うってどういう事か分かってる?」
「…………私と望月君が恋人になるという事です」
「……あ……当たり……」
佳乃子の入れ知恵があったから答えられたようなものだ。それがなかったら分からなかっただろう。
優弦の口からまともな答えを聞き、健は少し戸惑いながらも……。
「じゃあ……うん。いいのかな……。蓮見さん……じゃなくて、優弦」
「…………」
健がスッと手を出してくる。
「俺と付き合うって事で……よろしく」
「……はい」
躊躇う事なく、優弦は健の手を握った。
「優弦」
ホームルームが終わった後、優弦が帰り支度をしていると健がそう声を掛けてくる。
少しばかり生徒の視線が集中した。
「すぐ帰る? どこかに寄り道する?」
「今日は、図書室で勉強をしようと……」
「うん。じゃあ俺もそうしよう」
にこ、と笑って健はそのまま優弦の支度が終わるのを待つ。
そしてなぜかクラスメイト達は誰一人帰らない。
二人だけの世界が作られ、優弦の準備が終わったのを見計らって健は彼女の荷物を持った。
「……あの……」
「このくらい持たせて。それに、手繋ぎやすいでしょ」
優弦が言おうとする事を遮り、健は自然と彼女の手を繋ぐ。
慣れているな……。
誰もがそう思ってしまう健の行動だった。
クラス中の視線を浴びている事に気付いているのかいないのか、そのまま二人は手を繋ぎながら教室を出て行った。
…………。
…………ざわ。
「マジじゃんあれ! 蓮見さん本当に望月君と付き合い始めたって事!?」
「すげー。望月の奴やるじゃん。あの問題有り気な蓮見さんと付き合うってほんとすげーっつーか……」
男女関係なく皆二人の事を話し始める。
「でも……あれ? ……蓮見さんって大輝と仲良かったよな…………」
そして誰もが思っていた疑問を一人の男子が投じた。
その一言に伊勢谷大輝の元に視線が集中した。
こういう事態を引き起こしてしまった佳乃子も申し訳なさそうに大輝を見る。彼は荷物の入っているスポーツバッグのファスナーを閉めている所だった。
「隼人、帰ろうぜ」
「…………いいけど。皆お前に聞きたい事があるっぽいよ」
「…………何?」
今気付いたかのように大輝は自分を見てくるクラスメイト達を見つめ返す。
「伊勢谷君、蓮見さんの事好きじゃなかったっけ? あの……いいの?」
女の子が恐る恐る大輝に聞いてみると、彼は少し間を置いてからスポーツバッグを肩に掛けた。いつもの元気な笑顔はそこにはなかった。
「優弦ちゃんは望月の事が好きだったって事でしょ。それが彼女の気持ちなら、俺は別に、何とも……。隼人、俺先に帰る」
「……おー」
それ以上は何も答えるつもりは無いらしく、まだ何か言いたげなクラスメイト達の視線から目を逸らし、大輝は教室から出て行く。
三角関係となっていたその三人が全員教室からいなくなり、教室に残っている者達はまたざわざわと話し始めた。
そんな中、佳乃子は隼人へと近付く。
「西島君……あの……ちょっと、いい?」
「…………」
何かあったな、そう直感した隼人だった。
回り道をしてしまう少女。そして私……。




