01 熟考する少女
ザァッと春の暖かい風が吹き、桜の花びらがその風と共に空中を舞う。
新入生や在校生が新たな一年を送ろうと始まったこの日、ある男子高校生は一人の少女を見た。
梳かしたら何の力も加えないでも滑りそうな指通りの良さそうな艶やかな黒い髪の毛。きめ細やかな、白い肌。すっと伸びた眉と綺麗なアーモンド形の目、くっきりと分かれた二重。形の良い鼻に、薄過ぎず厚過ぎない、けれどぷくっと膨れた唇。
それらのパーツは一つ一つが美しく、そして目立っている。スタイルもとてもよく見え、顔の小ささがそれを際立たせていた。
風の悪戯で舞う髪の毛を抑えつつ校舎へと向かうその女の子を見送りながら、男子高校生は隣に並ぶ友達らしき男子に声を掛ける。
「ぅ……わーっ! すげー美人! でも可愛さも十分! 顔小さー……見た? 見た?」
「んー……?」
興奮気味に話す彼とは違い、その友人は携帯電話の画面に夢中になっており、生返事をするのみ。
「隼人ー! お前見てないだろー、今ならまだ間に合う、見ろって」
「どうせまた見れるだろー。待てって、美幸の奴すぐ返信しないとすっげー怒るんだよ」
「くっ……彼女ありのその発言、恨めしいっ!」
もとい、羨ましいと思っている間も、その男子は見えなくなってゆく少女の後ろ姿を強い眼差しで見つめていた。
頭の中が彼女の事で一杯になる。
心臓がドキドキと鳴って止まらない。
これが一目惚れというものなのだろうと彼は感じた。
――髪の毛が長くて邪魔だな。そろそろ短くしたい。でも家族が反対するし。
高校生活初日、初めてやってきた教室内は同級生でもあるクラスメイト達がざわざわと会話をして時間を潰していた。
中学からの知り合い、座った机の近くにいる者同士、全く知らない者同士があちこちで話をしている。
そんな中、一番後ろの席に着く女の子、蓮見優弦は誰とも話さないでじっと黒板を見ていた。そして一人、背中まで伸びた髪の毛について切るか切るまいか考えていた。
すると彼女の元に同じクラスの子らしい女の子2人がそろそろと近付いて来る。
「ね、ねぇねぇ、蓮見さん、だよね? 中学ってどこだったの?」
「…………」
――クラスメイト? 話し掛けるって事はきっとそうだと思うけど。何で私の苗字を知っているんだろう。……あ、席順の名簿を見ただけか。所でこの人の名前は何て言うんだろう。自分で名乗らないって事は私が聞けって事なのかな。それで、何で出身中学を知りたいんだろう。
質問されたにも関わらず、優弦は頭の中で自分の中に浮かんだ疑問を羅列させた。
「……えっと……中学って……」
最初に質問した以外の女の子が再度聞く。
「…………鶯林中学校」
色々考えた挙句、優弦は最後にはきちんと答え、そしてじっと彼女達の事を見上げた。
外国の人と思わせるくらい薄い色の瞳、長い睫毛、純粋な眼差しが2人の女の子に注がれる。優弦に見詰められた女の子達は揃って頬を赤く染めた。
「あ、あ、ありがとう!」
そして脱兎のごとく優弦の前からいなくなった。
また一人になる優弦。しかしその事については大して気にしておらず、また考え事に耽るのだった。
――もしかして今のが友達を作るチャンスだったのかな。でも彼女達の方からいなくなってしまったし。中学名を聞かれただけで会話も終わってしまった。けれどこちらから名乗ったから知り合い程度にはなれたかもしれない。うん。一歩前進。
と、とても前向きに今の件を自己分析しながら優弦は黒板を眺め続ける。
するとそんな彼女の前にまた一人、今度は男子が近付いてきた。優弦の視線を遮るように目の前に立ち、そしてしゃがむ。目線を優弦の高さに合わせながら、その男子はニコニコと微笑みながら彼女を見て、口を開いた。
「蓮見優弦ちゃん? 俺、同じクラスの伊勢谷大輝。出席番号一番、よろしくね」
「…………」
――新たな人登場。でも今度は自分から名乗ってきている。私が何かを聞くという場面ではないかもしれない。それにしても何で皆既に私の名前をリサーチして来るのだろう。初対面なのだから目の前に来てすぐ話せばいいのに。……あ、よろしくと言っていると言う事は私も同じように返した方がいいのだろうか。
「よろ……」
「っ……ぅうっ!」
よろしく、と返そうとした優弦だったが、目の前にいる大輝が突然頭を抑え、視線を逸らしてしまった。顔も歪んで何か苦しい発作に耐えているような感じだ。
――な、何っ? 私が挨拶をしようとした瞬間何でこの人は苦しそうにしたのだろう。突然の腹痛? でも頭を抱えているから頭痛かもしれない。保健室? それとも救急車の方が良いかな。
唖然としながらも優弦は懸命に対処について考える。しかし彼女が思っている程大輝の症状は重くない。そして頭痛ではない。
「……はぁ……すごいね、その破壊力。やっぱり目の前で見るとよく分かる」
「…………」
――破壊力? 破壊って、私が何かを壊すという事だろうか。今私はこの人の何かを破壊した? 謝った方がいい?
「……ごめんなさい」
「えっ!? あ、別に優弦ちゃんが謝る事じゃないよ、こっちこそごめん。勝手に色々言って」
優弦が考えた結果の謝罪であったが、大輝の方も逆に謝る。
私はまた何かを間違えてしまったらしいと思いながら、優弦はずっと目の前にいる大輝を眺めた。
特にセットらしきものはしていない髪の毛は色素が薄いのか少し茶色がかっている。顔は一見すると普通の男の子だが、それぞれのパーツは整っており大きな目がまた特徴的で、芸能人のようなそんな雰囲気も持ち合わせていた。体付きもまだ発展途上という感じで大きくはないが筋肉はきちんとついているようだ。
大輝の事を目でしっかりと確かめ、その風貌を頭の中にインプットさせている優弦に、大輝が照れたような笑みを浮かべる。
「……はは、優弦ちゃんにそんなに見られると照れるなー」
「…………優弦ちゃん……」
――男の子からそう呼ばれるのは初めてだ。今までは皆蓮見さんばっかりだったのに。でも他の女の子に対しても男の子は名前で呼ぶって事ないだろうし……それとも、高校生になると皆下の名前で呼び出すのかな。
優弦は男子からは苗字でしか呼ばれた事がない。
しかし、父からも優弦ちゃんと呼ばれているので男性からのそれは違和感は大してないのだが、と優弦は思う。
「ん? あー……そうに呼ばれるの嫌い?」
「…………」
――嫌いと言われる程嫌悪感はないけど。この人がそう呼びたいのなら私は別に構わないし。そうなると私もこの人の事を下の名前で呼んだ方がいいのだろうか。
あれやこれやまた思考し、優弦は閉じていた唇を開いた。
「嫌ではないです。……私も、大輝君と呼んだ方がいいのでしょうか」
「え? ……え……っ……」
優弦の言葉を聞き、大輝はパチパチと目を瞬かせながら勢い良く立ち上がる。それから離れた席に座っていた男子の元へと駆け寄った。
「隼人ー! すごいよ俺! もう優弦ちゃんと名前で呼び合う仲になった!」
「はぁ? 何だそれ……」
優弦が早速自分の名前を呼んでもらった事が大輝は大層嬉しいようで、はしゃぎながら友達の隼人に報告する。
そして彼がいなくなった事で再び優弦の目の前から誰もいなくなり、彼女はほうっと呆ける。
しかし今度は黒板を一点集中して見ていない。前の方で身振り手振りで話をする大輝を見ていた。
――伊勢谷大輝君。すごく元気そうな男の子だ。クラスに一人か二人はいるようなタイプかもしれない。……あ、違う人が彼に近寄って行く。…………あ、また……。
隼人の傍で話をしていた大輝の周りにクラスメイトが何人か集まってくる。
その光景を見ながら優弦はすごいなと感心していた。自分もお喋りをしないわけではないが、大概聞かれた事しか話さない。大輝のように人が集まったとしても、無言のままいたらすぐに皆は離れていってしまうだろう。
そういう図を想像しながら、優弦はずっと大輝達を眺めていた。
是非最後までお付き合いください。