9 6課ティーブレイク
3日。何一つ進捗がなかった。
それらしい通報を受けて現場に急行しても、人違いや既にそこに居なかったりして、ドレッサーを探すことは霧を掴むようだった。
今回も同じく、ドレッサーの足取りは終えなかった。
「あーだりぃ。理性があると厄介だなぁ。やっぱ人形ってヤバイわ」
今北課長以外の全員が疲れを見せていた。通常業務より疲れることはないはずだが、成果がまるでない状況は全くバカに出来ない。
納戸は3日前に起こした自分の失態に顔をしかめた。
しかしどうしても、あの瞬間、問答無用で斬れば良かったとは思えない。
駄目だな。次は必ず処理しないといけないのに。
小さくパキパキと硬い音が聞こえた。その出所を目視して納戸は驚く。
課蜂が不機嫌な顔で栄養ドリンクを飲用していた。
疲れたときには優雅にポットとティーカップを携えていた課蜂が、栄養補助食を口に含み、味わうでもなく、楽しむでもない様子で食事を終わらせていた。
作業。その言葉に全てが集約されていた。
「休憩した方がいいんじゃーか?」
「あ?」
忠正が怯えた。聞いたことのない低音の一言。直接向けられたわけではない納戸も同じように怯えた。美形が怒ると怖い。
課蜂は目元を指でほぐしながら謝罪した。
「あー。申し訳ない」
「あぁ。良いけど…休みなって。いつ寝たよ?」
「昨日は寝た」
「俺より後に寝て、俺より先に起きてる奴の言葉は信用出来ねーな。寝ろ」
割りと素直に普段よりも重い動きで、給湯器へと向かった。
寝る前に紅茶でも飲むつもりなのだろう。
「こんにちは、ドレッサーを逃した7課の皆さん。お疲れ様です」
知らない人が課内に入ってきた。
誰だと思い、胸元の社員証を注視する。
涼宮という名前の後ろに、忘却物処理6課、課長という肩書きが綴られていた。
誰だ?
「うーん。6課の課長が労いに来たというのに、あなた方は挨拶の一つもマトモに出来ないんでしょうか? 教育がなっていませんね」
その一言で理解した。それどころか、最初の挨拶時点でわかっていた。
コイツ、めんどくさい。
迷惑客とかそんな言葉が似合うと感じた。顔立ちは整っているのに、挨拶からしてマトモじゃない。
「そーですか。わざわざご苦労様でーす。なんか痛み入りま~す」
普段から適当な気配がある忠正が、輪をかけて酷い言葉遣いをしていた。課蜂に至っては挨拶を返すどころか、ポットで茶葉を蒸らしている。
嫌われていることが明白だというのに、この6課の課長は図太く居座っている。
「忠正さん。あなたはいい加減に言葉遣いと上司への態度を改めなさい。キチンとした言葉遣いを勉強した方がいいでしょう」
「そっすかー。今北課長には文句なんて言われてないですけどね~」
お前には真面目に話してないという嫌みに聞こえた。
そんな風に言ってもいいのだろうか。課は違うが役職は上の人間だ。罰とか怖くないのだろうかと気を揉んでいると、予想外の言葉が出てきた。
「今北課長は教育を諦めたのでしょうか。あなたは怒られている内が花という言葉をご存じでしょうか? このままでは見捨てられますよ」
凄いなこの人。
嫌みを分かってて言っているのか、それとも天然なのか。
天然で嫌われるなんて生きずらそうだな。
失礼なことを考えていると、それと目があった。
「あなたは、納戸海鈴さんですね。初めまして、6課の課長涼宮です」
「あ、はい。よろしくお願いいたします」
「7課で挨拶が出来るなんて、6課へ来ませんか? こんな適当な場所では生活も安定しないでしょう? 現に今もオンコールで家に帰れて居ませんよね?」
だからなんだよ。関係あるのか?
変な人という印象が、当事者になったことで不快な人へと変化する。なんとかそれを表に出さないように、上手い言い訳を考えた。
「自分の仕事には責任を持っていますので」
「素晴らしい! この件が終わったら6課へいらしてください。いつでもお待ちしていますよ」
仕事の内容って7課への配属も含まれているはずだよな。
課長よりも上の命令のはずだと思うが、しかしちゃんと覚えてはいない。
とりあえず愛想笑いで適当にごまかした。
「か、考えておきます」
人は疲れているときに、不快な出来事に当たったとき、余裕のない対応をしてしまう。
それが疲労に対するご褒美、休息だったならなおのことだ。
課蜂がポットで蒸らした茶葉を、誰にも触らせたことのない高そうなティーカップに注いだ。そしてハチミツを少し混ぜて、自分のデスクへ向かって歩き出した。
凄く不愉快な顔をしながら、涼宮課長の脇をすり抜ける。
その時、涼宮課長が課蜂に気付き、なにを勘違いしたのか。
「おや、ご苦労様です。やはり6課へ来てください」
ソーサーに乗せられた課蜂の高そうなマイカップを摘まんで、そのお茶を勝手に頂いた。
「あ!」
拳。
忠正が声をあげるより少し早く、涼宮課長の頬へ課蜂の拳が叩き込まれた。
殴られた涼宮課長はたたらを踏み、紅茶をこぼす。
「熱っ!」
ティーカップが放り出され、課蜂が焦った様子で手を伸ばし、ほんの少し届かずに床で砕けた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!?!?!!???!」
聞いたことのない声を上げて、課蜂が割れたティーカップの破片一つ一つを指で丁寧に集め出した。
まるで取り返しのつかないことをしたように。この世に1つしか存在しないとでも言いたげな様子で。
両手に割れた破片を乗せて、膝から崩れ落ちたまま動こうとしない。
「な、なんですか。なんの真似ですか!? 暴行罪になりますよ!」
完全に無視。
忠正が課蜂に寄り添ったので、納戸は布巾をとりに席を立った。布巾の1つは床を拭き、1つは課蜂が持っている破片を乗せた。
手で持つには危なすぎる。
「私にもいただけますか?」
「はぁ? 自分の課に行けよ」
露骨な態度を忠正が見せるも、涼宮課長は出ていかない。
休憩室から寝起きと思われる今北課長が顔を出した。
「なんだ? なにがあった?」
「お、今北課長居たんですね。あなたの所の課蜂さんに殴られまして…いったいどういう教育をしているのですか、私は許しませんよ。それと課蜂さん。あなたは私の課へいらしてください。ドレッサーのストレスでしょう。ちゃんとケアも充実していますよ」
イカれてるのかこの人。
納戸は初めて出会った化物に恐れおののいた。
課蜂は呆然としていて、忠正は課蜂しか見ていない。
どうしたらいいのかと、今北課長に助けを目線で求める。
「涼宮、今すぐ戻れ」
「はい? まずは謝罪が先でしょう?」
初めて怒っている姿を見た。指導された時の姿は、あくまで指導であり、怒っていなかった。ただ話を聞いていただけだった。
そう思い出すほど、露骨に怒っていた。
「戻れと言っている」
「はぁ…。覚えておいて下さいね」
やっと消えてくれる。そう思ったとき、涼宮課長は最後の最後に課蜂を刺激した。
「全く…物を大切にすることは良いことですが、その程度のものに執着しすぎですよ」
「黙れ」
呆然としていた課蜂が、突然すっと立ち上がった。
無言でストレートパンチをお見舞いした。処理課の現場慣れした見事な体重移動だった。
しかし相手も処理課、しかも課長。1度は不意をうっても、2度はない。
その拳を避け、伸びた腕を拘束する。
「危ない! なにを考えているんです!?」
「黙れぇぇぇぇ!!」
拘束されているのに、無理やり暴れだす。自分のことなど眼中にない動きは、涼宮課長の虚をついてその拘束をほどいた。
その流れのまま、蹴りが腹に入った。
よっしゃ。そう思った。ヤバイとも思った。
忠正と協力して課蜂と涼宮課長を引き剥がす。
「落ち着け! 落ち着けって!」
「落ち着けるかァァ! ぶっ殺してやる!」
問題発言に、純粋な暴行。余裕でアウトラインを飛び越えている。
今北課長が涼宮課長に帰れと強めに追い払う。
それで大人しく帰ってくれれば良いものを、やはりというべきか、涼宮課長は去り際に一言だけ言い捨てた。
「おー怖っ。今北課長、部下のストレスはしっかり管理してくださいね」
「チッ」
まだ初対面だというのに普通に舌打ちが出た。しかし、なぜかやってしまったとは思わなかった。
騒動の中で生まれた舌打ちは、幸か不幸か届くことはなかった。




