22 わかりあえないもの
「今日から俺の側にいろ」
「…うん」
しばらく抱き締めあった後、どちらともなく離れた。
手を握って家に向かおうとする。明日の朝に忘却物対策庁に連れていけばいい。
歩き出そうとした瞬間に、その手がほどかれ、突き飛ばされた。
予想外の出来事に顔を向けようとして、突き飛ばされた勢いを殺すことが出来ず、納戸はヘルワを見上げる形で尻餅をついた。
理解できなかった。思考が停止し、時間が止まったような錯覚を覚える。
停止した時間の中で、ヘルワの胸から突き出たロングソードを見上げて、そしてそれが引き抜かれることで時間が動いた。
その場にヘルワが崩れ落ちる。
ヘルワの影から男が現れた。
今北課長の腕を切った男が、そこにいた。
「失敗ですか…」
男はそれだけを口にして、納戸は上から睨まれた。
「こんなつもりではなかったのですがね。仕方ありません」
そのまま男は背を向けて歩き出した。
待て。そう叫ぼうとして、目の前で倒れているヘルワに意識がもっていかれた。
「あ、ヘルワ。ヘルワ!」
肩を抱いて顔が見えるように起こす。
胸元からヒビが入っていた。それは、徐々に広がっていく。
まずい。まずい。まずい。手当ては? 道具がない!
忘却物の保全方法は知っていたが、それを生かす方法はない。
「海鈴…」
「なんだ! どうした!」
担いで最寄りの交番まで連れていくか?
納戸はヘルワを持ち上げようとして、その腕を掴まれた。それから恐ろしい力でヘルワの口元に引き寄せられる。
「ありがとう」
「待ってくれ!」
「ごめんなさい」
「待ってくれ!」
ガラスが割れるような音がした。
ヘルワの身体に刻まれたビビが、急激に広がっていく。顔にヒビが入る。
「待ってくれ…まだ、まだなにも…」
答えはない。
ガラスが割れた音、それは忘却物がその機能を失った時の音だ。
ヘルワはすでに死んでいる。
崩れ落ちていく、割れた身体の破片が風に拐われるように溶けていく。
喪われていく、目の前で、やっと手を繋げた相手が。
忘却物装備を酷使して、壊してしまった時の音が、ここまで心を抉るとは思わなかった。
今更になって、ヘルワが無自覚と言った言葉の意味がわかった。
忘却物装備を、物を使い潰して、忘却物と分かり合おうとしていることの残酷さが。
酷い話だ。
「頼む! まだ話せてないんだ。まだ謝れてないんだ。まだ、君と分かり合えてないんだ」
ヘルワはすでに死んでいる。
頭では分かっているが、心が否定する。
「頼むから…っ」
ひび割れていく姿を見ることしか出来ない。欠けていく姿に祈ることしか出来ない。
寂しげな手をやっと掴めたのに、まだ心からの笑みを見ていないのに。生きていて欲しいのに。
ヘルワ・エルシュテルベントは死んでいる。
分かってるんだよ!
頼むから目を覚ましてくれ。嘘であってくれよ…。
「海鈴…」
自分が望んだ、あり得ない出来事に驚く。
「どうした! 駄目だ。まだ目を───」
「聴いて」
「わかった。わかった。なんだ」
「大事にして…ね」
握った手が砕けて消えた。ヘルワが砕けた。
その場に、三角帽子だけを残して。
納戸と心残りだけが、そこに存在していた。
「あ…」
心が軽くなった。今までの激情が嘘のように引いていく。
死にかけの理性で、帽子を優しく抱き寄せる。
夜空を仰いだ。
どうしようもなく、月は変わらずにそこにいた。
冷たい息が溢れた。心臓の底から冷えきったようだった。
寒さを感じた時、ようやく手にした帽子から温もりを感じ取れた。完全に繋がった。共感した。どうすればいいのか、考えずともわかった。
納戸は右手に帽子を乗せて、マジシャンのような所作で頭にかぶる。
視線や意識を帽子に誘導させるような流麗な動きで、帽子のつばを合わせた。
身体になにかを羽織る感覚を覚えた。
上書き事象。今北課長が騎士になったように、納戸のあり方を変更する。
ヘルワの衣装に近いが、しかし甘さは肩から伸びる結ばれていないリボンだけ。あてなく風にゆらゆらと揺れるリボンだけ。
両手足は黒い布鎧に包まれて、魔女であったヘルワに似つかわしくない。
胴体には上書きがなく、スーツとネクタイはそのまま。
自分の姿を客観的にどう見えているか想像して笑う。社会人の武闘派魔法使い。
殴った方が早い。
あまりにもミスマッチな属性の煮凝りだと笑った。
「さて、あれを追うか」
どこかへ行った付喪神教の男を探すために力を込める。
共感力は規格化された汎用忘却物装備が耐えきれる力の量であり、100を越えると消耗してそのまま酷使すれば砕ける。
だが、汎用忘却物装備の大元。本家本元の忘却物装備にはそんな制限はない。
146という化物のような才能を惜しみ無く引き出す。
垂直跳びのように、助走もなく飛び上がる。歩道橋から飛び降りる。男が去って行った方向へ走る。
男がバイクに乗り込んで、走り出した瞬間を発見した。
加速する前に、迷うことなくバイクを蹴り飛ばす。
男はバイクから飛び、重力を感じさせない軽さで優雅に着地した。
「なにかご用でしょうか?」
「言わなくても理解できるだろう?」
「申し訳ございませんが、お付き合いしかねます」
男はいつかと同じように、懐から人形を3つ落とした。
忘却物モドキを生み出すつもりなのだろう。
「させると思っているのか?」
最短最速。男の腕に拳を振るった。
硬い感触が拳に伝わる。
ヘルワを突き刺したロングソードが盾となっていた。
「なぜ、殺した」
「本来なら貴方を狙っていたのですがね」
「は?」
「ヘルワ様を唆している貴方を」
「唆しているのはお前だろ!」
「いいえ違います。忘却物に共感は要らないのです。人間の慈悲など必要ない。彼らは神なのですよ。神が人に所有される?」
ロングソードが動きだす。納戸は後ろへとバックステップを取った。
男が空いた隙間に剣先を突き立てる。
「あまりにも不愉快。やはり死んでいただけますか?」
「お前はなんだんだ。ふざけるのもいい加減にしろ」
「ふむ。そう言えば名乗っていませんでしたね。私は付喪神教の支部管理者、煤払いです。役職名で申し訳ございませんが、それで充分でしょう」
煤払いが躊躇なく距離を詰めて剣で納戸を襲った。
右腕の黒い布鎧で弾く、それから左腕で好きだらけの腹部を叩いた。
硬い感触が伝った。
その感触に気を取られて煤払いの体当たりを食らってしまう。
相手も忘却物装備を使っていることを思い出す。
身体能力は高い。だが、戦闘能力は拙い。
剣の扱いから、1人でもこの煤払いを捕らえることは出来ると判断する。
「ふぅ。やはり公務員は優秀ですね」
そういうと、煤払いはビンを取り出し、空へ放るとロングソードで砕いた。
赤い液体が剣を伝って、煤払いの服まで染みる。
甲高い音がなった。鳴き声のような音。
無理やり力を引き出している。
「なるほど」
確かに人間は酷い。ヘルワの視点が今更なって理解できた。
ロングソードと服装にビビが入る姿を見て、昔の自分を重ねた。
煤払いの動きが加速した。その速度から反撃は諦め、防御に専念する。
ロングソードを弾き、先ほどの攻撃の当て付けのような拳を受け止め、振り戻ってきたロングソードをバックステップで躱す。
似た応酬を4、5回繰り返して、煤払いが止まった。
「埒が明きませんね」
また再び赤い液体の入ったビンを取り出した。
無理やり力を引き出しているのなら、いずれ限界は来るはずだと、焦ることなくそれを見ていると、煤払いはそのビンを予想外の方向へと投げた。
そこには、煤払いが最初に落とした人形が転がっていた。
「それでは、ごきげんよう」
死んでくれと口にしておいて、さしたる逡巡を見せずに走り出す。
心の底から人を苛立たせることが得意だと感じた。
納戸は逃げる煤払いを忌々しく思うも、忘却物モドキに意識を向けた。
暴れだす前に対処する。
終わりまで駆け抜けます




