20 矛盾
ヘルワともう一度、話し合う。そして、たとえ嫌われようとも連れ帰る。責任を背負う。手を差し伸べてしまったのだから、必ずその期待に報いなくてはならない。
そうでもしなければ、自分はうわべだけの偽善者で終わり、ヘルワの心を裏切った後悔を抱え続けるだけだ。
納得も出来なければ、当然満足もない。
決意を新たにしたところで、無情にも課蜂に行動を制止される。
「折角だから納戸くんはここで眠りなさい」
「え?」
「調べておくから眠っておきなさいと言っているの」
「私も調べますよ」
「いや、どうせ納戸くんは夜も動くつもりでしょう? 今のうちに眠っておかないと、いざ出会った時に言葉がでなくなりますよ」
見透かされたことにたじろぐ。
否定の言葉がでかかったが、納戸はその意見を素直に受け入れることにした。
発端は自分のワガママだが、そこに後ろめたさを感じる必要はないと自分を信じられるようになったからだ。
「わかりました。お願いします」
休憩室に行く前にコンビニへ向かい、下着だけ購入する。
それから7課に戻り、休憩室の中にあるシャワールームで汗を流した。
ドラム式洗濯機で衣服を全て洗って、乾燥させる。インナーだけ着て、出来るだけ楽な身体で眠った。
◇
寝過ごした。スマホの画面を見てそう思った。
夜の7時。余裕で定時を2時間も過ぎている。納戸自身にはタイムカードを押す必要はないが、課蜂と忠正は別だ。
残業する理由がない。
休憩室を飛び出ると、当たり前のように2人はそこにいた。
「おい寝癖。しっかりと寝れたみたいだな」
「すみません」
「なに謝ってんだ? 俺らはこれで終わりだけど、納戸はこれからが本番だろ?」
当たり前のように居残っている2人に心が熱くなった。
「お前の欲しがってた空き家のデータ調べ終わったからスマホに送ってやる。ダウンロードしてる間に、髪の毛だの整えてこい。フラれるぞ」
パソコンにスマホを接続して、ダウンロードが始まったことを確認してから納戸は休憩室に戻った。
スーツを正しく着直して、シャワールームの洗面台で顔を洗う。あいにく癖毛ではないため、軽くワックスをつければ直ぐに直せた。
少し慌ただしくしく準備を終わらせて、2人の元に戻る。
「早いな」
「お待たせできませんので」
「別にいいって。なぁ課蜂」
紅茶を飲みながら優雅に本を読んでいた課蜂は、なんてことのないように調べたデータについて話し始めた。
「そのデータは納戸くんが欲しがっていた空き家のデータが入ってる。それと、忠正が嘘くさいと言っていた場所も含めてね」
確認してみてと促されて、スマホを開いて、ダウンロードしたファイルを確認する。
話の通りに空き家のデータがあった。
そしてもう1つのデータに首をかしげる。
「これは…なんですか?」
「最後のデータは、私と忠正で厳選した、潜伏確率の高そうな場所の空き家データ。納戸くんが欲しがっていた場所と、嘘くさい場所のデータだけだと高確率で外すことになるだろうからね」
「ありがとうございます!」
課蜂はそこで紅茶のカップを置いた。
「いい? ヘルワと話すのはいいけど、交戦することになったらまず逃げること。それから私たちを応援に呼んでから追いかけなさい」
「はい。わかりました」
「それと、私は別にヘルワと納戸くんの償いに手は貸さないからね」
「はい」
友人を殺した忘却物の罪の償いを手伝うわけがない。本来なら償いをされる側で、ヘルワを断罪する資格がある人間だ。
生かそうとする納戸を手伝うこと事態が異常なのだ。これ以上はなにも求められない。
「納戸くん。私はヘルワを許す気はないからね」
「はい」
詰め寄られる。逃げはしない。真っ直ぐに、無表情でどこか怖い課蜂の目を見る。
しばらく目を合わせていると、ふいに雰囲気が柔らかくなった。
課蜂の表情は全く動いていない。しかし納戸は優しい気配を感じ取った。
「必ず償いなさい。そのために私の前に連れてくること」
「はい。わかりました」
データを大まかに確認してから、納戸は7課を出た。
これで見つかる保証はない。だが、探し出せる確率は上がった。
納戸は公園の近くと忠正が嘘と言った場所を後回しにして、潜伏確率が高いと書かれている場所を走り回った。
殺人事件を起こすために移動していたなら空回りも良いところだ。だが、それでも良かった。
夜に回って、万が一にでもその殺人事件を止められるならそれに勝る幸運はない。
忘却物対策庁の支援が得られない以上、いくら確率を上げたとしても結局は運に頼ることになる。そしてその確率をあげるには行動しかない。
納戸はただひたすらに人の気配をしらみつぶしに探っていく。マンション、アパート、1軒家。見境なく探し回る。
途方もない数と地域を見て回って、結局は見つけられなかった。
嘘と断言した場所も調べ、最後に残されたのは公園の一帯だけ。
時刻は1時を越えたところだった。疲れた身体にムチ打って、最後の確認をする。
どの家にも気配はなかった。
疲労感がドッと押し寄せる。どこかで間違えたのか?
弱音が首をもたげるが、頭をふってそれを追い払う。
そんなはずはない。これが最善手であることに違いはないはず。
「いや、明日探して見るべき」
あまり想像したくはないが、この殺人事件を起こすためにどこかへ行ってしまったのかも知れない。
明日の昼にもう一度同じように探そうと決意する。
身体と心はクタクタだ。一刻も早く帰ってシャワーを浴びて眠りたい。
そんな心とは裏腹に、納戸の足は最短ルートを外れていた。
公園にたどり着く。
初めて腰を落ち着けて話をした場所。
ベンチには、あの三角帽子が───────いなかった。
「はぁ…」
心のどこかで分かっていた。この一帯に潜伏している確率は低い。そしてわざわざ公園にいる確率は更に低い。
取れる手段は全て取った。
納戸はヘルワと公園まで歩いた道のりを逆走して、それから歩道橋を渡った。
あの日のように、すれ違うことはなかった。
それでも足を止めた。振り返ればそこにいる気がした。
寂しい影は、1つだけ。
未練がましい。なにも、今日探せなければ全て終わりというわけでもない。
殺人事件を起こしていないことを祈りながら家のドアを開けた。
ソファーに身体を預ける。着替えたいという欲求よりも、とにかく休みたいという欲求が強かった。
なにもせずに天井を仰ぐ。成果はない。疲れた。
インターフォンが鳴った。時間は2時。いくらなんでも常識が無さすぎる。
少し苛立ちながら、疲れた身体を起こした。
のそのそとドアを開ける。
「久しぶり」
そこにヘルワが立っていた。何食わぬ顔で、当たり前のように気楽に。気軽にそこにいた。
「え?」
「話したいんじゃないの? 僕も少しだけ話したい気分なんだ。入れてよ」
考えがまとまらないまま、急かされるまま家にあげる。
キョロキョロと周りを見ている。
なんの変哲もない1LDK。なにが面白いのだろうか。
「結構綺麗だね。僕が知ってる人の中でも上から数えた法が早いよ」
それは殺人事件の時かと思い、なんとも言えなかった。
その無言を勘違いしたのか、ヘルワのテンションが急落した。
「…怒ってる?」
「当たり前だ」
反射的にそう答えてしまって、迂闊さを悟った。
だが、ヘルワはそこに居座ってくれた。
勝手に椅子を引いて、勝手に座る。
「言い分けはしないよ」
手を足において、姿勢よくしていた。
それはまるで、裁きを受けに来たような殊勝さだった。
「1つ聞きたい。ヘルワは人を殺したくないんだろう?」
「どうしてそう思ったの?」
「俺は、ヘルワが手袋をとった姿を見たことがない」
二の腕まである黒い手袋を、ヘルワは服を捲って見せてくれた。
しなやかな細腕に目が行く。
「殴った方が早いからね」
納戸はヘルワの案件名であるドレッサーの意味を思い出す。
化粧台。顔面蒼白の被害者たち。
「ヘルワに殺された人は、その全てに損壊はなかった。毒殺したんだろう?」
強く暴れた様子もなく、抵抗した様子もあまりない。
憎しみが燃料なら、なぜそこまで優しく殺したのだろうか。ヘルワならもっと苦しめる毒を使えるはずだ。そして怒りに目が眩むなら、なぜ殴って解決していないのか。
「周りにバレたくなかった」
淡々とそういった。そして、納戸と目を合わせた。
「ていうのは、都合だね。でも、殺したいのは本心で、殺したくないのも本心なんだよ。分かってもらえないと思うけど」
償って貰わないと困りますよ




