2 新人と正しい分かれについて
髭を剃り、歯を磨く。身だしなみの確認をしてから家を出る。
34歳オッサンとして癖ついた朝。意識しなくても繰り返してきた朝。
東京都忘却物対策庁のドアを開ける。
「あ、おはようございます」
「おはよう課蜂」
それなりに朝は早い自覚があるが、それでも課蜂の早さには勝てない。
ちゃんと寝ているのか聞こうと思ったが、プライベートなことではないかと思い、話しかけなかった。しかしそれはそれで無言なのも気まずくないだろうか。
難しいな。
「おはようございまーす」
忠正が慌ただしく席に着いた。
業務にはまだ少し早いが、話しておくかと思い立つ。
「あー注目。知っていると思うが、今日からここに新人が配属される。優しくするように」
「あーい」
「わかりました」
おのおの自分勝手に返事をする。なんて緩い課だろうか。自分でこの雰囲気を必死に作っておいて、いざ完成するとだらしなく感じられる。
それぐらいがちょうど良いか。新人も気に入ってくれると良いんだが…。
新人の書類にもう一度目を通す。
納戸海鈴。歳は22。志望動機は正しい別れに執着しているから。
今北は正しいお別れというものが分かっていない。なにが正しいのか分からない。だからせめて答えが見つかることを祈ることにした。
それから少し焦げ茶の髪をした男の自己紹介を聞いた。
「本日付で入社させていただくこととなりました。一日も早く戦力となれるよう、精進いたします」
拍手と共に迎え入れ、その教育係に課蜂を指名する。
あまり関わりすぎないようにした方がいい。なにせ一回りも年下だ。まだ歳の近い課蜂と接して、距離感などを掴んでもらった方がいい。
今北は新人係として任命した課蜂から取り上げた仕事に向き合う。報告書と忘却物の取り扱い。設備の保全状況など細かいものを処理していく。
忠正はまだ朝だと言うのに眠そうにうつらうつらとしている。相変わらず現場以外では役に立たない。
新人のいる手前注意もしにくい。ため息を溢さないようにしっかりと心に蓋をする。
社内電話がなった。
「はい。忘却物処理課。課長の今北です」
用件は宛名の名前から察していた。指で部下に出動準備を指示する。
それと同時に電話の向こう側から現場の詳しい場所を確認し、案件を請け負う。
「さて現場に行くぞ」
納戸の装備を目で確認する。異常はない。
ワンボックスカーに全員が乗り込んだことを確認して、アクセルを踏む。
「今回、被害者はいない。そして忘却者ももうお亡くなりになったそうだ」
「どういうことです? やられちゃったってことですか?」
「寿命だ。91歳のお爺さんが寿命を迎えた。そしてその遺品であるバイクが忘却物になった」
こういうところでバシバシ聞いてくれる点は、本当に優秀だと感じる。内容さえ伴ってくれれば……贔屓目だろうか。
そう思っていると、固い声で固い言葉がやってきた。
「はい今北課長。質問いいですか」
当然許可をだす。
「忘却物を発見したのは誰でしょうか?」
「お爺さんのお孫さんだ」
「ありがとうございます」
今のうちに行っておくかと、重くならないように軽い調子で心構えを説く。
「納戸くん。難しいことを言うけれど、ほどよく緊張しなさい。具体的には、いざというときに走って逃げれるぐらいがちょうどいい」
「走って、逃げる?」
ピンときていない様子を声音から感じとる。
「今回は戦わなくていい。見て、理解してから動いてもらった方がいいからね」
「わかりました」
入ってもらったばかりで、怪我などされては叶わない。
「忠正。なにかあったら頼むよ」
「大船に乗ったつもりで任せてくださいよ」
普段が普段なため不安を覚えるが、現場では頼りになる。
「頼りにしている」
やがて車は目的地で停車する。
「初めまして忘却物処理課の課長今北です」
「初めまして今北さん。第一発見者の津川です」
忘却者の孫と握手を交わしてから、今回の案件の詳細を聞き取る。
事前に聞いていた内容と齟齬がないか、追加でなにか問題が起こっていないか。
「その、バイクはどうなるのでしょうか」
「上手く行けば損傷なく戻せますが…忘却物対策庁に接収されますね」
「そうですか…爺さんの遺言で、バイクは欲しがる人間に売ってくれと書き残されていて」
「残念ですが規則ですので。申し訳ありません」
「忘れた俺が悪かったな…わかりました。ですがせめて別れる前にバイクを見てもいいですか?」
「勿論です。最善を尽くします」
なにも問題はなかった。
部下たちを召集し、今回の作戦と向き合う。
「さて、点呼を」
「忠正準備完了しました」
「課蜂準備完了しました」
「納戸準備完了しました」
ガレージに突入する。
中は広いサーキットだった。
その中央に、隠れることなく堂々とそのバイクはいた。
「見た目があまり変わってませんね?」
課蜂が珍しい物を見たと感嘆の声をあげる。
「まぁ友好的なのかどうかは分からない。今回も頼むよ」
バイクの元へ近づき、課蜂が優しく声をかける。
エンジン音が返答代わりに嘶く。どうにも怒っているようにしか感じられないが、課蜂は会話を成立させている。
ぼんやりと感情や合否を感じ取れるらしい。忘却物の声を聞く。
先天的な感覚を役に立つ技術になるまで磨いている。
あまりにも頼りがいがありすぎて、なにかあればつい頼ってしまう。まだ26歳だが、もし後任を選ぶなら間違いなく課蜂になるだろう。
個人的な人事評価をつけていると、課蜂が振り返った。
「今北課長。この子、最後に思い切り走りたいそうです」
「最後?」
「はい。持ち主であるお爺さんに会いたがっていましたが、もうこの世にいないことをお伝えすると、悲しそうに受け入れました。きっと別れるための儀式なんだと思います」
忘却物には感情が宿る。こうやって意思をもつほどまで感情移入しているのだから当然だ。
そして忘却物に宿った感情は、与える人物の気質に大きく影響を受ける。
鈴場柔夜さんは温厚な緩いお爺さんと聞いているが…バイクを所有するほどお茶目な部分もある。
「忠正。乗れ」
「え! 俺!? バイク乗ったことないですよ?」
「今北課長。私が乗ってもいいですか?」
課蜂の提案に目を細める。
バイクが猫を被っていて、乗っている人物を傷つけようとする潜在的なリスクを勘案すると、身体能力が高い忠正が適任者だ。
「どうしてだ? 感情移入したのか?」
「信じてもいいと思いました。私が忘却物処理課にいる理由です」
正しい別れ。幸せな別れ。別れに意味を見いだそうとする姿勢は、34のオッサンには少し眩しすぎた。
合理的ではないと言える。
「わかった。なら課蜂に任せる。安全に細心の注意を払いなさい」
「わかりました!」
合理的ではない。だが、無表情にほんのりと混じった喜びを見て、間違いではないと判断する。
部下のモチベーションを奪うことは今後に響くかな…。
管理職というのは、仕事の合理性と人間の感情を擦り合わせる仕事だ。前任の課長からの言葉を胸に、オッサンになってしまった今でもそれを守り続けている。
「間違いではないよな…」
「大丈夫ですよ。なんかあれば俺がバッと走ってちょいと助けますって」
なにを勘違いしたのか、ご機嫌に笑う忠正につられて笑う。
「はは。そうだな。期待している」
レース場をグルグルと走り続ける様子を眺めている。
はじめの内はゆっくりと走っていたが、徐々にスピードを上げていき、今では賞金のでるレースのような走りを見せていた。
「うお。乗ったことあるのか? 楽しそー」
「教えてもらっているのかも知れないな」
対話をしながら走っている。なるほど、信じたいという思いは裏切られずに済んだようだ。よかった。
「今北課長。私たちはあのバイクをこれから処理するんですよね」
納戸はこれからの業務に対して悲しさを滲ませていた。
「破壊じゃない。さようならだ。あのバイクがしっかり別れるための手伝い。悲観的になるな。あのバイクの感情はきっと、天国まで走っていく」
「そうですか…。そうですね。ありがとうございます」
少し晴れやかになったところで、忠正が走る課蜂たちを指差す。
「ほら納戸くん。見なよ。課蜂が楽しそうにしてるだろ。あのバイクも同じだって、いい子なんだからせめて笑って送ってやらないと」
「はい。そうですね」
忠正は人差し指を折り畳むことなく、そこに加えて中指を立てる。
「いぇい」
ピースサインをとって笑った。
納戸はどうすればいいのか分からない様子を見せ、最終的に苦笑いで応対した。
バイクの速度が落ちていく。
「ほら2人とも」
ぬるい雰囲気がビシッと整う。
バイクから降りてきた課蜂は、バイクがお別れを受け入れたことを説明した。
「怪我してないか?」
「大丈夫です。セクハラされただけです」
なんて返せばいい。軽く扱っても問題か? しかし重く扱うものそれはそれで煩わしいよな。どうする?
無表情からは正解が分からない。
「お爺さんはさぁ…。歳考えなよなぁ」
忠正に助けられた。多大な感謝を胸に抱きつつ、外の部下に指示を飛ばす。
「こちら今北。対話処理を求める」
通信機から了解を聞き終わると、課蜂が控えめに意見をのべた。
「私はあの子と話していていいですか?」
「忠正と一緒なら許可する」
「ありがとうございます」
「え? 俺の意思は?」




