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16 感情論

 目を覚まして、納戸は直ぐ様支度をした。朝食も食べずに、病室へ向かう。

「今北課長。失礼します」

「おはよう。準備は出来てるよ」

 今北課長は4枚の封筒を並べた。

 それから左側から一つ一つそれらの説明を始める。

「これは3課の課長宛だ。内容は君個人の目的と異動。この案件の間だけ納戸くんを3課で面倒見て貰う。運が良ければドレッサーとの対話が再び叶うだろうね。ただ、望み薄だ。多分というよりほぼ確実に断られる」

 使うかなと聞かれたので、即答でいただいた。

 可能性がないに等しくても、それでも使えるなら使う。

「次にこれは、忘却物処理部の部長へ。内容は3課宛と同じだ。3課が断られたらこれを使いなさい。これに関しては未知数だ。想像できないただ、可能性はあるだろうね」

 丁重にいただいた。

「3枚目、これは端的にいうと私の辞表だ」

「え?」

 突然の話に耳を疑った。

 驚きを安心させるように、今北課長は笑った。

「いやいや違う違う。別に後遺症があるわけではないよ。そもそもドレッサーの案件から7課が下ろされたのは、課長が不在だからだ。だから私は辞職して、課長の座に課蜂を推薦する。そうすることで、ドレッサーを再び追う資格が得られる」

「そんなことで追えるんですか? というか、辞めるのは駄目ですよ! 次の仕事はどうするんですか」

「後悔は、もうしたくないんだよ。それにこれは部長への手紙が役に立たなかった時の保険だ。部長が断ったらこれを提出するといい。多分これがあれば一考はしてくれるだろう」

 一考。1人の人生をかけて得られるリターンがそれだけ。

 腕を切られるほど、ワガママを許してくれたというのに、首まで差し出されたら困る。

 こればかりは全力で拒否する。

「受け取れません」

「受け取りなさい。なんでも使いなさい。納戸くん。後悔は一生引きずるよ。特にこの仕事ならなおのこと」

「そうかも知れませんが、この手紙に助けられたなら、それこそ後悔します!」

 今北課長は困ったように笑った。困るのはこっちだ。

 それなら窓のそとへ目を向けて、タメ息を1つ溢した。深みを感じさせる物だった。

「そうだな。じゃあ1つ話を聞いて貰おうかな。それなら納戸くんが受け取るかどうか判断しなさい」

 並大抵なことでは頷くまいと思いながら、傾聴する姿勢をとった。

「分かりました」

 今北課長は、自分が忘却物処理課に入ったばかりの頃を語りだした。

 それは、今の納戸と重なる部分があった。

 忘却地帯を持たない忘却物による殺人事件。

 最終的に6課と5課の2課合同で対応することになり、その忘却物に手を伸ばしたのに届かなかった。信じきれて貰えなかった

 上の判断を覆せるものをなにも持たなかった。

 無力に打ちのめされた後悔だった。

「もっと上手く言葉を尽くせば、彼女と今でも話せたかもしれない。もっと上手く立ち回れれば、同期との確執も生まれなかったかもしれない。言い出せばきりがないが、そんなものを10年も持ち続けている。納戸くんにはこんな気持ちになって欲しくないんだよ」

「でも」

「いいんだ。私はどうとでもなる。大事なのは、この辞表は私自身の後悔でもあるということだ。持っていってくれ」

 どこまでも優しい人だと思うだからこそ、使うことは出来ない。

 納戸は嫌そうにしながらも、頷いた。

「わかりました」

 絶対に使わない。その辞表を鞄の奥底にしまった。

 今北課長は満足げに最後の手紙を指差した。

「これは課蜂と忠正への手紙だ。私の意思と判断を綴った。きっとあの2人は味方になってくれるはずだ。3課の課長への手紙を使う前、一番最初に2人にみせてやってくれ。課蜂なら3課への説明にもついてきてくれるだろう」

「ありがとうございます」

 始めに使うべき手紙だと理解してから受け取った。

 今北課長は満足そうに笑って、それから時計を指差した。

「もう行った方がいい。始業に間に合わなくなる」

「ありがとうございます。今北課長」

「頑張って。悔いの残らないように」

 頭を下げて病室から出る。病院を出て、それから忘却物処理課に駆け込んだ。

 課蜂と忠正は既に席に着いていた。時間はギリギリだった。

「どーした? 夜更かしでもしてたか?」

「いいえ。違います。今北課長のところに行っていました」

「ん? お見舞いか? 朝から元気だねー」

 納戸は鞄から手紙を取り出して、課蜂へ差し出した。

「課蜂。これは今北課長からの手紙です。お願いします手を貸してください」

「え? なんの話?」

 手紙に全て書かれているからと、読むことを促す。課蜂は困惑しながらもそれを開けて、文字を追い始めた。

 無表情が険しくなる。

 やがて手紙を折り畳んだ。

「忠正も読みなさい。あなた宛でもあるみたい。納戸くん忠正の意見がまとまってから改めて話しましょう」

 いい雰囲気ではない。だが、頷くしかない。

 なんともいいがたい針のむしろに立たされている気分だった。

 やがて忠正が手紙をデスクの上に置いた。

「なるほどな~。課蜂の言いてーことはなんとなく理解できるけど、念のために言いな」

 課蜂は短く息を吐いてから不満を口にした。

「冗談じゃない。ドレッサーともう一度対話するなんて、賛同できない。納戸くん。話そうとしてなにが起こったのか、そして肝心のドレッサーはどんな返答をしたか、覚えていますよね?」

「わかっています」

「いいえ。わかっていません。ドレッサーはあの日を境に追加で5件の殺人事件を引き起こしているんですよ? 対話は不可能です。いくら今北課長からのお願いでも聞き届けられません」

 ハッキリとした拒絶。感情論ではない現実だった。それを覆せるものはなにもない。

「おーおー。落ち着けって。だから今北課長はお願いしてるんだろ? 後輩助けなきゃよ」

「なら安全のために関わることを辞めさせましょう。納戸くん。手紙を全て出しなさい」

「で、出来ません」

「ほら、譲れなさそうだぞ。課蜂、大人しく手伝った方がいいんじゃね?」

 課蜂の鋭い目付きが忠正に向かった。

「あなたは納戸くんの意見に賛同するのですね?」

「いや、課蜂の行動が過激すぎって話。手紙を没収するなんて駄目じゃね?」

「なら責任はとれるんですか? この後輩が大怪我、ないし命を落としたとして、責任をとれますか? 今北課長の手紙の言葉をお借りするなら、私は後で後悔なんてしたくはありません」

 あぁそうかと理解した。

 今北課長の辞表を受け取った自分と同じだ。

 課蜂は自分のために怒っている。そう理解できた。

 事実を元に危険性を提唱しているが、根っこにあるのは感情。

 納戸は卑屈な心を改めた。

「課蜂さん。俺も後悔したくないんだ。出来るかは、正直わからない。それでも、俺はヘルワの心を無視してでも助けたい。忘却物は、再び誰かに愛して貰うために出現するんだと信じたいんだ」

 感情だけ。剥き出しの願い。

「ヘルワ・エルシュテルベントを俺の所有物にする。誰も傷つけないように、誰にも傷つけられないように。忘れられたあの存在を、今一度大切にしたいんだ」

 頭を下げる。

「お願いします。手を貸してください」

 沈黙が場を支配した。課蜂はもちろん、やんわりと助けてくれていた忠正も言葉を発しなかった。

 5分、10分…永劫に思える体感時間を過ごした所で課蜂が決定を下した。

「賛同できない」

 受け入れがたいが納得は出来た。同じ感情。むしろ聞いてくれただけでも感謝出来る。

 諦めて顔を上げた。すると課蜂と目が合う。

「否定も出来ない。納戸くんと今北課長の計画が成功したなら手伝います。しかし出来なかったら、大人しく課で待機して貰いますからね」

「ありがとうございます!」

「感謝されることはしていません。分かっていますか? 納戸くんは今から3課に1人で向かって、その感情だけで現実に立ち向かわないといけない。ハッキリと言うけれど多分不可能。応援もしません」

 キッパリと言いきった。達成できるまでは手伝ってくれない。有言実行。すなわち、もし出来たなら手伝ってくれる。

 やはり感謝が言葉に出た。

「ありがとうございます」


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