15 間違えた再起動
正式に引き継ぎが終わった。
ドレッサーの案件は3課に引き継がれ、課長が不在の7課は実務業務が停止された。
正体不明の不審者は、付喪神教の構成員と断定された。
それから、最悪なことにドレッサーによる殺人事件は2桁を越えた。
明らかに人類の敵。
案件から外された7課が割って入り、ドレッサーに忘却物管理活用法を適応させますなどと言えるわけがない。
納戸はただ、デスクの前で仰向けになるしかなかった。
ティーカップが目の前に置かれた。
「納戸くんの責任ではない。これは課の決定で、あの不審者による妨害行為の結果」
「そう、ですね」
確かに事実を並べればそうなるが、しかしその事実に至るまでの道筋に感情が一切入っていないとは言えない。
ほとんどワガママから始まったと言っても良い。
特別扱いは間違っていると諭されながら、それでも感情移入することをやめられなかった愚かすぎる現実。
初めて首に剣を当てたとき、そのまま振り抜いていれば……冗談じゃない。
そう思う感情さえも、力強いものとは言えなくなっていた。
今北課長の大怪我。7課の失態。自分の一時の感情がトリガーだ。
納戸は紅茶をすすった。心は晴れそうにない。
「仕事がねーってのも、なんだかいい気分だな」
「その豊かな余暇は、本来、義務を果たした後に得られるものですよ」
「ねーじゃん。仕事ねーじゃん。上から仕事が降ってきたら動いてやるよ」
「日頃から働いてください。貴方の書類はいつも見るに耐えません。今北課長に無駄な雑務を増やしていますよ」
いつも通りの日常も、なんだか空虚で、空回りに見える。
重苦しい空気はこれで5日。
この日も、適当な書類整理で1日を終えた。
◇
本当にどうしたものか。
帰路。納戸は駅から出て、とぼとぼと道を歩く。
ヘルワと関わる公的な理由をなくし、同時に手段もなくなった。今、彼女がなにをしているのか、まるでわからない。
関係無くなった。そして、なによりも責任を持てなかった。これからずっと忘れないと言いきれなかった。
だからこそ、これで良かったのかもしれない。
今北課長が始めに口にしていた、感情移入するなという言葉は、やはり正しかったんだろう。
こんな気持ちになるのなら、ヘルワを救えないのなら、こんな感情に意味はない。
役立たずだ。
帰り道。いつかヘルワと出会った道を無視する。遠回りなんて意味がない。
歩道橋を足早に駆け上がって、そのまま渡りきる。振り返ることしない。
初めて話し合った公園は、家から反対の位置にある。
家に帰ると、すぐにシャワーを浴びて、食事を済ませる。
考えないように、慎重に日常を行う。暇な時間を生まないように、ノートパソコンを叩いて時間を潰す。
ヘルワ・エルシュテルベント。
検索履歴がそれを思い出させる。
即座に消した。見たくない。見てはいけない。
「はぁ…なにやってるんだ」
自分に向けて悪態とも、落胆ともとれるタメ息を吐き出す。
そのタイミングで、インターホンがなった。
玄関で訳のわからない配達物を受けとる。
茶色の紙袋。中身に思い当たる点はない。しかし宛名は自分だ。
「開けてみれば分かるか」
ハサミで慎重に開封する。
白い緩衝材ごと引っ張り出す。
アクリルスタンド。
中から現れたそれに、思わず笑いが出た。
捨てることも出来ず、飾るには少しだけ辛い。
そのアクリルスタンドは、笑っていた。見たことがない服装で、少しだけ格好つけた笑みだった。
かわいいと思った。
ただの一目惚れ未満。軽い感情で欲しいと思った。
そしてこのアクリルスタンドを購入したことを忘れていた。彼女を忘れてしまった人達と同じだ。
そんな人間が、ヘルワを助けたいだなんて、笑い話にもならない。もしヘルワが出現するよりも先に、その存在を知っていたなら、もしかしたら殺される対象になっていたかもしれない。
「なにも出来てないんだなぁ…俺」
欲しいと思っただけで、分かり合いたいという言葉が如何に自分勝手なモノだったか。
嫌というほどに、そのアクリルスタンドが突きつけてくる。
そこで投げ捨てることは出来ない。投げ捨てることは出来ないんだ。
投げ捨てたくないだけなのかもしれない。
「もう、助けたいなんて言わない」
傲慢の意味が少し分かった。
人間目線で忘却物を測り、人のルールを当て嵌めることはやめた。
初めから傲慢だった。一方的だった。
だったらもうそれでもいいじゃないか。その感情で動いてきたのだから、もうワガママでもいい。
納戸は時間を確認し、病院に電話をかける。面会の時間はまだあった。
今北課長に会うために、素早く身支度を済ませて、時間に間に合わせるためタクシーを利用する。
受付で手早く記入事項を埋めて、病室へ。
「今北課長。失礼します」
「納戸くん。なにか用かな?」
「はい。その…腕は大丈夫ですか?」
「少しリハビリが必要だが、後遺症は残らないそうだ」
「良かったです」
今北課長は怪訝な顔をして、それから短く息を吐いた。
「面会の時間はもう10分もない。早くした方がいい」
「すみません今北課長。俺、やっぱりまだヘルワを諦められません。なにか出来ることはありませんか?」
「分かり会えることは…多分ない。それでも?」
分かっている。それはとっくに分かっている。だからこそ、傲慢でもいいとみっともなく欲望を口にする。
「分かり会うことはやめます。ヘルワの考えには賛同できない。そしてヘルワも俺たち人間のルールなんて受け付けない。だから、俺はヘルワの意思を無視します」
続く言葉を待っていた。具体的な方針を黙って聞こうとしてくれていた。
だから納戸は、じっくりと心のなかで気恥ずかしさを沈めることが出来た。
「俺はヘルワ・エルシュテルベントを所有します」
今北課長は笑った。そして否定はしなかった。馬鹿げてると笑ったが、しかし否定はせず、むしろ賛同してくれた。
「もしかしたら、それが忘却物と人の正しい付き合い方なのかもしれないな。納戸くん。ヘルワ・エルシュテルベントを所有するなら、その罪も背負う覚悟をしなさい」
「備えることはしません。それは苦しみのなかで得る物だと思います。俺はもう準備できてます」
どれほどの誹謗中傷を浴びせられようとも、ヘルワ・エルシュテルベントの生存を誰もが望まなくても、それでも見捨てたりしない。手放したりしない。
無能だと自分を謗る暇があるなら、その無駄な忍耐力をヘルワを守るために使う。
覚悟の証明を。そのために、手を伸ばす。
「…わかった。明日また来なさい。手を考えておく」
20時。面会時間は終わった。
駆け込んできた挙句、時間ギリギリまで居座ったため、視線が痛い。
逃げるように病院を出て、それから家とは違う方向へと向かう。
ヘルワが殺人事件を引き起こした場所を巡った。12件。もちろんそこに居る筈はない。だが、巡った。万が一でも探す価値があると信じて。
それからかつて根城にしていた民間に足を運ぶ。
既に補修が終わっていて、新品の窓ガラスはカーテンで中を伺い知れない。
不法侵入は出来ないので、玄関口から中庭を思い浮かべる。
突然殺しにきて、首もとに剣を当てながら、どうして人を殺すのかと問いただす。
あの問答の時から、傲慢だと思われていてもおかしくはないと笑った。
答えてくれなかったのも当然だ。あまりにも理不尽すぎる。
少し遠出して、廃ビルに向かった。
苦い思い出は、立ち入り禁止のテープによって立ち入れない。
助けたいなんて傲慢だ。あの時の言葉は、忘却物管理活用法というショーケースの中で、憎しみと本能を忘れて目的なく生きてくれというものに他ならない。
助けたいとほざきながら、その心を蔑ろにして踏みにじった。
唯一無二になれないのなら、助けようなんて思ってはいけなかった。
理想には強い覚悟と無私の犠牲、そして献身的な努力がいる。
納戸は廃ビルを後にした。
今度は間違えない。
帰路へと向かう途中で、最短距離を外れる。出会った場所に戻ってきて、それなら公園へと向かう。
屋根付きのベンチに腰かけて、深夜の芝生をぼーっと眺める。
ヘルワと格闘したときに捲れた土が街頭に照らされていた。
「傲慢だ」
自分勝手に役割を求める。自分勝手に産み出して、自分勝手に使う。そして最後にはいらなくなって忘れる。忘れられた後に苦しみが続く。助けたいと人間が言う。
誰のせいかなんて、一目瞭然だ。
だから正誤なんていらない。やりたいことをやろう。
納戸は立ち上がって歩道橋に向かった。
初めて出会った場所。悲しそうな背中と目を見た場所。
「可愛かったな」
寂しそうだったな。
だから助けたいなんて傲慢を口にした。哀れみを口にした。
人間は自分勝手だ。だから、そのように振る舞う。
忘れられた後に、求める人間がいたって構わないだろう。
忘却物として発生するのは罪じゃない。人間への罰でもない。
ただ、もう一度愛されるために、求められるために存在するんだ。
それを伝えよう。
家へついた。翌朝に備えて英気を養う。熱い決意は夜風が冷ましてくれた。




