11 忘れる側の理屈
その翌日。夜の19時。4日たって、平和ではあるものの、まるで進展がない。
「忠正さん。こんなものなんですか?」
「こんなもんだよ。ま、具体的になにか出来てるわけじゃなくて焦んのも分かるけどさ。緩くいった方がいい」
言いたいことはあったが、しかしその言葉には深く頷くしかない。前日の事件からそれは強く実感できた。
事件の主犯は相変わらず無表情で、本心か疑わしい言葉を口にする。
「その節は申し訳ないね」
「お陰であの鬱陶しい6課の課長と会えなくなった。結果オーライだ」
対照的にケラケラと笑う忠正には、深刻さなど欠片もない。ドレッサーの件も、これまでと変わらない。
そんな調子を見ていると、先が見えない怪しい雲行きもどうにかなるような気持ちになる。
今北課長がゆっくりと席を立った。
「今日で4日。明日で5日になる。ここらで1度家へ帰ろう」
「今北課長が帰りてーだけじゃないです?」
「忠正は最後で良いか」
「課蜂が1番で帰りなー」
「わかりました。そうさせて貰います」
テキパキと荷物をまとめて課を足早に出ていく。
そんな背中に忠正はご自愛しろと言葉を投げ掛けた。
「ゆっくり風呂入れよ~」
納戸は次は自分だと指示されたので、いそいそと荷物を整理し始めた。
泊まり込みの衣服については、乾燥機つき洗濯機に着替え次第に食わせていたので家に持ち帰る必要はない。
スーツもアイロン台があり、そこで最低限度整えられるので気にならない。
「ゲーム機とか持ってきても良いぞ~」
「それは…職務怠慢では?」
「は! それに文句を言うやつはいねーよ。オンコール中だぞ?」
私生活が殺されてる状況下なら許されるのだろうか。
今北課長に顔を向ける。
「好きにしなさい」
マジか。
納戸は驚愕しつつも、それを許されるラインとして、帰宅に必要なものと帰宅したときにやっておきたいことを頭の中で組み上げる。
家のごみを処理してからシャワーを浴びて、食事は…課に戻るときにジャンクフードでも購入しよう。新作のバーガーが食べたい。
一度娯楽について考え始めると、つぎつぎと欲望が顔を出す。
気になる映画、漫画の新刊…。ノートパソコンとゲーム機は必ず持ってこよう。退屈すぎて困る。
課蜂が出ていった姿と同じ姿で戻ってきた。
「戻りました」
「納戸行っていいぞー」
「お先に失礼します」
準備は既に終わっている。荷物を掴んで足早に課を出た。
足取りはご機嫌。別に家を気に入っているわけではないが、しかし帰宅できることは良いことだと実感した。
オンコールはクソだという言葉に今なら共感できる。
電車を2つ乗り換え、それから20分ほど歩く。
都心の眩しい喧騒が止み、どこか閑散とした物悲しい住宅地に足を踏み入れる。
充分な街灯はあるが、しかし寂しさのような薄暗く感じる。
なんとなく家への最短ルートを外れた。
早く戻ろうとしていない行動で、他の課の人達に少しの罪悪感を覚えたが、しかしどうしても路地の薄暗い魔力に逆らえそうになかった。
楽しい。
闇を進み、家の影を踏む。
なんてことのない遠回りが、どこか気持ちよかった。
人を楽しませる闇。恐れと期待が混じる毒のような魔力。
それは必然だった。運命的でもあった。
なんてことのない民家の道の先。
深いつばの中、青い瞳と目があった。
ヘルワ・エルシュテルベント。
心が停止したのは、納戸だけだった。ヘルワは興味なさげに視線を逸らして、納戸から遠ざかるように歩きだした。
「ま、待て」
走る。オンコールのため、忘却物装備の着用していたため、距離は一瞬で縮まった。
ヘルワが振り返るときには、納戸はその目の前で立ち止まることが出来た。
「…あなたは?」
鈴のような声だった。小さいが、か細くなく、突き放すような冷たさをしつつも、どこか親切で良く通る涼しい音。
「俺は…」
言葉に詰まった。なんといえば良いのか分からなくなった。
忘却物処理課の一員としてなら、あなたの敵だ。殺します。その言葉しかない。だが、個人としては話がしたいと思っていた。
しかし、それが間違っていることが分かっている。
今まで処理してきた他の忘却物に比べて特別扱いしていることは分かっている。
だからなにを言うべきか、なにが言いたいのか分からなくなった。
ヘルワは首をかしげ、怪しむ顔色を浮かべた。
「言いたいことがないなら、僕はもう行くよ」
「ま、待ってくれ」
言葉を慎重に考えた。そうして考えに考え抜いて1つ。
「殺し合うしか、分かり会えないのか?」
意味不明といった言葉がヘルワの顔に浮かんでいた。そしてヘルワの視線が自分を観察していることがわかる。
雲間から月明かりが顔を出す。
お互いの顔が月下に暴かれる。
「あなたは…」
「綺麗だ…」
2つの言葉が重なり、そしてお互いの立場が明確になる。
バックステップ。ヘルワが距離をとった。本来なら納戸がとるべき行動だが、惚けていて忘れてしまった。
「僕を殺しに来たのか?」
周りに目を動かして、警戒している様子を見せた。
納戸はただ、ここにいる自分が、忘却物処理課の人間ではなく、ただの1個人であることを懸命に説明する。
「違う。仲間はいない。今は1人だ。話がしたいんだ。あの時と同じように」
ヘルワは警戒を解かないが、しかし逃げ出す素振りは見せなかった。
「それで、僕に大人しく消えてくれと言うんだろ。いいよ別に。僕が。僕を忘れてしまった人々を裁いた後ならいくらでも。好きにしなよ」
怒りが見えた。そしてはやり、初めてすれ違った時と同じ悲しさがあった。
「そうは言わない。今の俺は、君を処理するためにいない。ただ、話がしたいんだ」
「なんの意味が…?」
「それは、これから作るんだ。より良い…結末を迎えたいんだ」
処理は善ではない。しかし生かすこともまた善ではない。具体的な未来はなにも見えてこないが、それでもより良い妥協点があるかもしれない。
殺したくないんだ。
「そんなことになんの利益があるの」
「分かり合いたいと思うのは、おかしいことかな」
「…僕は殺人をしている。それでもあなたはそう言うの?」
「おかしいことだね。でも、俺は、君と話したいんだ」
ヘルワが露骨に嘲るように笑った。
「僕が今、人を殺したばかりだとしても?」
良心と道徳が激しく吠える。公的な立場がそれを保証している。
今すぐに電話で応援を呼べと心が叫ぶ。
「…それでも、話したいんだ」
間違っている。
何もかもを裏切って、分かっていて、苦しみながらその答えを吐き出す。
「あなた…頭おかしいよ」
ヘルワが初めて笑った。なにかから解放されたような、そんな笑顔だった。
目に見える警戒をといた。
「近くに公園があった。そこにいこう」
「ありがとう」
その後ろ姿についていった。
この場所は家の近くで、公園と呼ばれる場所には心当たりがあった。
ヘルワはそこの雨宿り出来るベンチに座った。
隣に座るのはなんとなく憚られたが、ヘルワが手袋をつけた手の甲で隣を叩いた。
「座ってよ。なんだか圧があって困る」
「ごめん。わかった」
出来るだけ距離を離してベンチの端に座る。
それから、なにを話そうか迷った。沈黙が重くのし掛かる。
「君は」
「あなたは」
納戸は先を譲った。本質的には聞きたいからだ。
「あなたは、人殺しを怒らないの?」
「怒る。人殺しは悪いだ。だけど、だからといって、そこにある理由を蔑ろにしたくない。君の理由が聞きたいんだ」
ヘルワの顔は怖くて見れなかった。ただ、雰囲気から、気分を害していないことはなんとなく読み取ることが出来た。
言葉をじっくりと待つ。
やがて考えがまとまったのか、それとも決心がついたのか、ヘルワはゆっくり語り始めた。
「僕たちは、笑えることに、忘れられて初めて存在できる。最初に感じた感情は、どうしようもない心の空洞だった。そしてその目覚めた場所は、僕を初めに産み出して愛した人の亡骸の前だったんだ」
黙って言葉を聞く。どんな感情で話しているのか、心で傾聴する。
また少し時間がたって、ヘルワは続きを話した。
「悲しかった。そして憎かった。たった1人で僕を覚えていたくれたことが悲しかった。そしてかつて僕を愛してくれた人達は、もう僕のことを覚えていないことが憎かった」
「…だから殺したのか?」
「満たされるんだ。それだけが、このどうしようもない心を満たしてくれるんだ」
空っぽに聞こえた。納戸はヘルワの顔を見る。
やはり、そうだ。
「そのわりには寂しそうにしている」
「でも本心なんだよ。きっとこの感情は僕たち忘却物のサガなんだ。自分を忘れてしまった人に思うままに感情を振りかざす。どうしようもないぐらいに気持ちが良いんだ。だから、これが僕らの罪で、そして僕らは罰なんだよ」
どう見ても、人にしか見えない。どうにもならない矛盾で苦しむ人にしか見えない。
だが、どこまでも忘却物なんだと嫌と言うほど重い言葉に理解させられる。
「君はどう思うんだ。自分を愛してくれた人達の命を奪うことに躊躇いはないのか」
「あるように見える?」
「見える。躊躇っているんじゃないか?」
ヘルワが振り向いた。青い瞳が覗き込む。
それから、落胆とほんの少しの怒りが納戸の耳に入った。
「あなたになにが分かるんだ。人間」




