1 忘却物処理7課
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忘れられたものにも、心はある。
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東京都中野区のマンションの一室が忘却地帯となった。
「中に50代の夫婦が取り残されている。忘却者はまだ来ないのか?」
今北は部下の忠正に口早に尋ねる。
「今、向かってきているよーです。でも忘却物には心当たりがないみたいです」
「だろうな。そうじゃなきゃ忘却じゃない」
拾得物装備をしっかり身に着けて、点呼をとる。
「点呼!」
「忠正準備完了しました」
「課蜂(かばち)準備完了しました」
「よし、じゃあ行くぞ」
1LDKのマンションの一室。ドアノブを捻った先には、メルヘンな飴玉が降ってきそうな遊園地だった。
「被害者を探すぞ!」
走る。とにかく走る。警戒を充分に払って捜索する。
この道12年。34歳の経験は、直ぐに目的地へとたどり着いた。
課蜂が最初に声をあげた。
「お、可愛いぬいぐるみ」
女性らしい感性だと今北は思った。なぜなら、今北にはただのデカくて危険な熊でしかないからだ。
パッと見3メートル? ただのぬいぐるみなら物理攻撃しかないか?
34のオッサンが淡々と分析していると、課蜂はそのぬいぐるみに話しかけた。
「そこのぬいぐるみちゃん。名前教えてくれる?」
親しげに柔らかい言葉だった。
とても50代の夫婦を鷲掴みにしているクマにかける言葉ではない。
課蜂は数回の会話の後に、今回の忘却者と会わせて欲しいという言葉を今北へ伝えた。
「今北課長。どうしますか? 会わせますか?」
「忠正、つれてこいと外の部隊に言え」
「え? 良いんですか? 忘却物に会わせるなんて…刺激したらあのご夫婦が……」
「問題ない。冷静に考えろ。ぬいぐるみが忘却された。で、そのぬいぐるみはいつ買ったものだと思う?」
「えっと…昔?」
バカを言うなと思った。最近買ったとして、それをすぐさま忘れるか? それに感情移入して、すぐさま忘れられるなら、ソイツは間違いなく異常者だ。
今北はつい暴言が出そうになるが、それをぐっと堪える。
「そう。昔だな。たとえば乳児期に購入したとする。その時に与えられる感情はどんなものになる?」
「優しさ…? ですが、それをまだ持っていると断言できますか?」
確証はないが、対話処理の可能性のために断言する。
「持ってるよ。よく見ろ。あのご夫婦は傷1つつけられていない」
「おお…確かに。ですがもう少し待ってみては?」
「忘却者がここにつく前に答えは出る。良いから呼べ」
「…はい」
止めましたからね。納得はしてないですよ。そんな気配を感じ取りつつも、命令を撤回しなかった。
「今北課長。私個人としては引き合わせることには賛成です。しかし忘却物処理課としては、危険だと思わずにはいられません」
課蜂の優しい言葉遣いを耳にしつつ、なぜここまで差があるのかと思わずにはいられなかった。
「責任は私が持つ、危険性は皆で対応しよう。対話処理が出来るなら、それに越したことはない」
「分かりました。私は対話を続けます」
課蜂には忘却物との対話を完全に任せられるというのに、忠正は自分で考えることすら出来ない。現場に不向きすぎる。
「なんでこんな所にきちゃったかなぁ…」
オッサンとして、つい若者の今後を憂いてしまう。
「え? どーしました?」
「いや、なんでもない」
ただどうしても憎めない。
やがて、忘却者の女性が現場についた。
「つーちゃん」
クマのぬいぐるみは、50代のご夫婦を地面に降ろすと、のそのそと女性の元へと歩いていった。
「ちょ」
誰よりも早く忠正が間に入る。
ぬいぐるみは怒るでもなく、静かにその場に腰を下ろした。
「あー大丈夫です? これ」
「課蜂どう思う?」
「いいこですから大丈夫だと思いますよ」
忠正はそれを聞いて道を開けた。
「つーちゃん。忘れてて、ごめんね」
女性が手を伸ばすと、ぬいぐるみも同じように手を伸ばした。
そしてその腕を、躊躇く、強く振り下ろした。
「あぶねぇ!」
またしても、忠正が誰よりも早く反応する。女性を抱えて、熊から離れる。
その忠正とぬいぐるみの間に、今北と課蜂は素早く入り込んだ。
「よくやった!」
「ほらぁ! 言ったじゃないですか!」
恨み言を聞きつつ、ぬいぐるみへと拾得物の剣を向ける。
「対話処理失敗。これより武力処理を開始する」
ぬいぐるみとの戦争。3人で囲い、隙を剣で突く。
忘却者の女性と被害者のご夫婦は、他の部下によって直ぐに忘却地帯より連れ出された。
遠慮なく剣を振るう。
「ほら! 隙! ってあぶね!」
「忠正! 急ぐな!」
いちいち危なっかしい立ち回りに眉を潜める。
本当に現場向きじゃない。深く考えられないのに、安全マージンを大きくとらない。それが成り立つほどに身体能力は高いから、どこまでもこき使われる。
後方で安全に学んで出世する方がいい。
「たく…戦いの中でもか」
手間のかかる部下だ。そして非常に有能な部下だ。
ぬいぐるみにトドメを刺したのは忠正だった。
「終わりだ! ごめんね!」
千切れそうな首をしっかりと切り落とし、綿が散る。
すぐさま周囲の風景が歪みだした。
課蜂がしゃがみこむ。このぐにゃぐにゃと動く風景に弱いため仕方がない。
それに対して忠正は、別の意味でゲンナリしていた。
「うわぁ…俺、物は大切にするタイプだから嫌だなぁ」
毎度毎度同じことを口にしている。まるで初めて口にするように。
慣れているので今北は無視する。
歪みが収まると、風景は1LDKのマンションの一室に変わっていた。
「ほら、課蜂。もう大丈夫だぞ」
「ありがとうございます…」
「今北課長。この子はどうします? 見せちゃヤバいですよね?」
「あぁ袋にいれよう」
黒いビニールに元の大きさに戻り、首の千切れたぬいぐるみを隠す。
今北は今回の忘却者と被害者に事情説明を済ませ、最後にぬいぐるみと別れを告げるかを尋ねた。
「今北課長って残酷ですよね~」
「そうか?」
「職務で見せられないっていえば、あの娘、泣くことはなかったじゃないですか」
帰りの車内で忠正はそんなことを口にする。
「涙は別れに必要だろう。私も妻と離婚するときは泣いた」
「かわいそう」
忠正はそう笑った。普通は慰めるべきじゃないか?




