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1 忘却物処理7課


 ◇


 忘れられたものにも、心はある。


 ◇


 東京都中野区のマンションの一室が忘却地帯となった。

「中に50代の夫婦が取り残されている。忘却者はまだ来ないのか?」

 今北(いまきた)は部下の忠正(ただまさ)に口早に尋ねる。

「今、向かってきているよーです。でも忘却物には心当たりがないみたいです」

「だろうな。そうじゃなきゃ忘却じゃない」

 拾得物装備をしっかり身に着けて、点呼をとる。

「点呼!」

「忠正準備完了しました」

課蜂(かばち)(かばち)準備完了しました」

「よし、じゃあ行くぞ」

 1LDKのマンションの一室。ドアノブを捻った先には、メルヘンな飴玉が降ってきそうな遊園地だった。

「被害者を探すぞ!」

 走る。とにかく走る。警戒を充分に払って捜索する。

 この道12年。34歳の経験は、直ぐに目的地へとたどり着いた。

 課蜂が最初に声をあげた。

「お、可愛いぬいぐるみ」

 女性らしい感性だと今北は思った。なぜなら、今北にはただのデカくて危険な熊でしかないからだ。

 パッと見3メートル? ただのぬいぐるみなら物理攻撃しかないか?

 34のオッサンが淡々と分析していると、課蜂はそのぬいぐるみに話しかけた。

「そこのぬいぐるみちゃん。名前教えてくれる?」

 親しげに柔らかい言葉だった。

 とても50代の夫婦を鷲掴みにしているクマにかける言葉ではない。

 課蜂は数回の会話の後に、今回の忘却者と会わせて欲しいという言葉を今北へ伝えた。

「今北課長。どうしますか? 会わせますか?」

「忠正、つれてこいと外の部隊に言え」

「え? 良いんですか? 忘却物に会わせるなんて…刺激したらあのご夫婦が……」

「問題ない。冷静に考えろ。ぬいぐるみが忘却された。で、そのぬいぐるみはいつ買ったものだと思う?」

「えっと…昔?」

 バカを言うなと思った。最近買ったとして、それをすぐさま忘れるか? それに感情移入して、すぐさま忘れられるなら、ソイツは間違いなく異常者だ。

 今北はつい暴言が出そうになるが、それをぐっと堪える。

「そう。昔だな。たとえば乳児期に購入したとする。その時に与えられる感情はどんなものになる?」

「優しさ…? ですが、それをまだ持っていると断言できますか?」

 確証はないが、対話処理の可能性のために断言する。

「持ってるよ。よく見ろ。あのご夫婦は傷1つつけられていない」

「おお…確かに。ですがもう少し待ってみては?」

「忘却者がここにつく前に答えは出る。良いから呼べ」

「…はい」

 止めましたからね。納得はしてないですよ。そんな気配を感じ取りつつも、命令を撤回しなかった。

「今北課長。私個人としては引き合わせることには賛成です。しかし忘却物処理課としては、危険だと思わずにはいられません」

 課蜂の優しい言葉遣いを耳にしつつ、なぜここまで差があるのかと思わずにはいられなかった。

「責任は私が持つ、危険性は皆で対応しよう。対話処理が出来るなら、それに越したことはない」

「分かりました。私は対話を続けます」

 課蜂には忘却物との対話を完全に任せられるというのに、忠正は自分で考えることすら出来ない。現場に不向きすぎる。

「なんでこんな所にきちゃったかなぁ…」

 オッサンとして、つい若者の今後を憂いてしまう。

「え? どーしました?」

「いや、なんでもない」

 ただどうしても憎めない。

 やがて、忘却者の女性が現場についた。

「つーちゃん」

 クマのぬいぐるみは、50代のご夫婦を地面に降ろすと、のそのそと女性の元へと歩いていった。

「ちょ」

 誰よりも早く忠正が間に入る。

 ぬいぐるみは怒るでもなく、静かにその場に腰を下ろした。

「あー大丈夫です? これ」

「課蜂どう思う?」

「いいこですから大丈夫だと思いますよ」

 忠正はそれを聞いて道を開けた。

「つーちゃん。忘れてて、ごめんね」

 女性が手を伸ばすと、ぬいぐるみも同じように手を伸ばした。

 そしてその腕を、躊躇く、強く振り下ろした。

「あぶねぇ!」

 またしても、忠正が誰よりも早く反応する。女性を抱えて、熊から離れる。

 その忠正とぬいぐるみの間に、今北と課蜂は素早く入り込んだ。

「よくやった!」

「ほらぁ! 言ったじゃないですか!」

 恨み言を聞きつつ、ぬいぐるみへと拾得物の剣を向ける。

「対話処理失敗。これより武力処理を開始する」

 ぬいぐるみとの戦争。3人で囲い、隙を剣で突く。

 忘却者の女性と被害者のご夫婦は、他の部下によって直ぐに忘却地帯より連れ出された。

 遠慮なく剣を振るう。

「ほら! 隙! ってあぶね!」

「忠正! 急ぐな!」

 いちいち危なっかしい立ち回りに眉を潜める。

 本当に現場向きじゃない。深く考えられないのに、安全マージンを大きくとらない。それが成り立つほどに身体能力は高いから、どこまでもこき使われる。

 後方で安全に学んで出世する方がいい。

「たく…戦いの中でもか」

 手間のかかる部下だ。そして非常に有能な部下だ。

 ぬいぐるみにトドメを刺したのは忠正だった。

「終わりだ! ごめんね!」

 千切れそうな首をしっかりと切り落とし、綿が散る。

 すぐさま周囲の風景が歪みだした。

 課蜂がしゃがみこむ。このぐにゃぐにゃと動く風景に弱いため仕方がない。

 それに対して忠正は、別の意味でゲンナリしていた。

「うわぁ…俺、物は大切にするタイプだから嫌だなぁ」

 毎度毎度同じことを口にしている。まるで初めて口にするように。

 慣れているので今北は無視する。

 歪みが収まると、風景は1LDKのマンションの一室に変わっていた。

「ほら、課蜂。もう大丈夫だぞ」

「ありがとうございます…」

「今北課長。この子はどうします? 見せちゃヤバいですよね?」

「あぁ袋にいれよう」

 黒いビニールに元の大きさに戻り、首の千切れたぬいぐるみを隠す。

 今北は今回の忘却者と被害者に事情説明を済ませ、最後にぬいぐるみと別れを告げるかを尋ねた。

「今北課長って残酷ですよね~」

「そうか?」

「職務で見せられないっていえば、あの娘、泣くことはなかったじゃないですか」

 帰りの車内で忠正はそんなことを口にする。

「涙は別れに必要だろう。私も妻と離婚するときは泣いた」

「かわいそう」

 忠正はそう笑った。普通は慰めるべきじゃないか?


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