第6話 畑の灯りが、丘から見えた
「ギルドに加入するか、廃業するか。どちらかを選んでいただく」
男の声は低く、よく通った。
畑の入口に立っていたのは、ニコではなかった。五十がらみの恰幅のいい男。仕立ての良い外套に、ギルドの紋章が金糸で刺繍されている。後ろに部下らしき男が二人。ニコの査察から一週間、来るなら来いと思っていたけれど──副長が直接来るとは思わなかった。
「薬師ギルド副長、ゴードンだ。先日の査察の件で、直接確認に来た」
確認、ではない。最初の一言が「加入か廃業か」だ。確認ではなく、通告。
「ニコの報告は読んだ。品質管理が優秀だということは理解した。だがな、ギルドに所属しない者が薬草を販売する行為そのものが、ギルドの規約に抵触する」
ゴードンの目は冷たかった。でも、怒っているのとは違う。事務的な冷たさ。「規則はこうだ、従え」という顔。
(──品質が良いのは認めた。でも規約に抵触する、か)
品質の問題ではなく、商圏の問題。ニコが言っていた「独自の方針」は、つまりこれだ。ギルドに入らない者が辺境で薬草を売る前例を作りたくない。
私は口を開いた。
「ゴードン殿。査察の結果をもって品質に問題がないことは確認されています。ギルドの規約は都の管轄区域内の話であって──」
「辺境も含む。ギルド法は王国全土に適用される」
被せるように言い切られた。
ゴードンの声には、長年ギルドの権威を背負ってきた人間の重みがあった。嘘ではないのだろう。ギルド法が全土に適用されるのは事実だ。ただし──。
「失礼」
声が、後ろから来た。
振り向く。
レンが畑の柵を越えて歩いてきた。隣にオスカー。──今日は視察の予定日ではなかったはず。
(……なんで、いるの)
レンは私の横に並んで、ゴードンの前に立った。表情はいつも通り動かない。でも目が──灰色の目が、ゴードンの顔をまっすぐ射抜いていた。
「アシュフォード騎士爵領主、レン・アシュフォードだ」
「……これはアシュフォード卿。領主自ら、とは」
ゴードンの声がわずかに変わった。事務的な冷たさに、警戒の色が混じる。
「水路の視察で通りかかった」
通りかかった。──水路は畑から百メートル以上離れている。通りかかる距離ではない。でもレンの声には、嘘をついている気配がなかった。嘘をついているのではなく、説明する必要がないと思っている声だ。
「ゴードン殿」
レンが一歩、前に出た。
「辺境伯領内における薬草の栽培と販売は、領主の認可があればギルドの管轄外だ。辺境伯府の布告第七条にある。『辺境伯領内の生薬・薬草類の栽培および領内販売については、当該領域を管轄する領主の認可をもって足りるものとし、薬師ギルドの営業許可を要しない』」
条文を、暗唱した。
一字一句、澱みなく。
ゴードンの顎が、ほんのわずかに引かれた。
「……その布告は──」
「辺境伯府に確認済みだ。布告は現在も有効。サヤ殿の薬草栽培と販売は、私の認可の下で行われている。ギルドの規約がどうあれ、辺境伯府の布告が優先する」
沈黙。
風が畑を渡った。薬草の葉がさわさわと鳴る。その音が、やけに大きく聞こえた。
ゴードンの目が、私を見た。それからレンを見た。もう一度、私を見た。
「……確認する」
搾り出すような一言だった。
「ただし」
ゴードンは外套の襟を正した。表情を立て直すのに、一拍かかっていた。
「ギルドとしての対応は、別途ある。これは品質の話ではなく、流通の話だ。辺境伯府の布告が適用されるとしても、ギルド所属の薬師との取引条件は別途整理が必要になる」
含みを残す言い方だった。負けたとは言わない。撤退の理由を作っただけ。
ゴードンは部下を従えて、馬車に乗り込んだ。ギルドの紋章入りの馬車が丘を下りていくのを、私は畑の入口から見送った。
◇
馬車が見えなくなってから、レンに向き直った。
「……ありがとうございます。助かりました」
「布告を確認しただけだ。水路の管轄を調べていた時に、薬草の条項が目に入った」
(水路の管轄を調べていたら薬草の条項が目に入る……?)
辺境伯府の布告は領域ごとに管轄事項が分類されているはずだ。水路は土木の項、薬草は生業の項。離れた条項が「目に入る」のは、探していなければ起きない。
でも、レンの声は淡々としていて、追及する空気ではなかった。
「ゴードンは引き下がったが、『別途ある』と言った。注意は必要だ」
「はい。心得ています」
「……何かあれば、連絡を」
それだけ言って、レンは踵を返した。
オスカーが小さく頭を下げて、レンの後を追う。二人の背中が丘を上がっていくのを見送りながら、私は深く息を吐いた。
手が、まだ少し震えていた。ゴードンの前では平気な顔をしていたけれど、胃の奥が冷たかった。「加入か廃業か」──あの二択を突きつけられた瞬間、一瞬だけ、ヘルツ男爵邸の廊下が頭をよぎった。「あなたの部屋は妹に必要なの」。選択肢のない選択肢。
でも──今日は違った。
制度が、盾になった。
そして、その盾を持ってきた人がいた。
(……通りかかった、ね)
信じていない。でも、追及するつもりもなかった。ありがたかった。それだけで十分だ。
◇
その夜、小屋の中で栽培記録を整理した。
ゴードンが「別途ある」と言った以上、次の手は流通面から来るだろう。ギルド所属薬師との取引条件──つまり、ギルドを通さない薬草が市場に流れることを規制しようとする動き。
対策を考えながら記録を更新して、気づいたら窓の外が真っ暗だった。蝋燭の灯りが小屋の中を照らして、窓から外に漏れている。
翌朝。
畑に出ると、レンがいた。縁台の前に立って、畑を見ている。──今度は視察の日だ。たぶん。
「おはようございます」
「ああ」
いつも通りの短い返事。お茶を出そうと小屋に向かいかけた時、レンが言った。
「昨夜は遅かったのでは」
足が止まった。
「……なぜ、知って」
「畑の灯りが、領地の丘から見えた」
灯りが。丘から。
(──丘から見えた、ということは、夜に丘から畑の方を見ていた、ということでは)
一瞬そう思ったけれど、すぐに打ち消した。領地の見回りをしていたのだろう。辺境の領主は治安管理のために夜の巡回もする。その途中で、たまたま畑の灯りが目に入った。それだけの話。
「すみません。記録の更新に集中してしまって。今夜は早く休みます」
「……ああ。そうした方がいい」
レンの声が、ほんのわずかだけ──ほんのわずかだけ、いつもより低かった。いつもの「短い返事」よりも、少し長く息を使っている。
何か言いたげだった。でも、それ以上は言わなかった。
お茶を淹れて、縁台に二人で座った。朝の空気が冷たくて、湯気が白く立ちのぼる。レンは黙ってお茶を飲んで、畑を見ている。
私も黙って、同じ方を見た。
赤蔓花の蔓が朝露で光っている。水路のせせらぎ。石垣の──レンが直してくれた石垣の白い角。全部、この数ヶ月で作り上げたものだ。
ゴードンが何を仕掛けてこようと、この畑は渡さない。
レンがお茶を飲み終えて立ち上がった。オスカーが丘の麓で待っている。レンがそちらに向かって歩き出し──途中で、オスカーと何か二、三言交わしているのが見えた。距離があって声は聞こえない。オスカーが何か言って、レンが短く答えて、オスカーが口を閉じた。
何の話だろう。水路のことだろうか。
気にしても仕方ない。器を片付けて、小屋に戻る。
栽培記録を開く。ゴードンの動きへの対策を、一つ一つ書き出していく。品質の記録はある。領主の認可もある。あとは、この薬草が辺境の人たちの役に立っているという事実。
ペンが走る。
窓の外で、丘を上がっていく二つの影が、稜線の向こうに消えた。
──レンの言葉が、頭に残っている。
畑の灯りが、丘から見えた。
ただそれだけの言葉なのに、蝋燭の灯りのように、ちいさく温かかった。




