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継母に追い出された令嬢は薬草畑でのんびり暮らすことにした  作者: 秋月 もみじ
第1章

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第5話 この管理手法をギルドの標準にしたい


 ギルドの紋章入りの馬車が、畑の前で止まった。


 ──来た。


 商人経由の噂から二週間。覚悟はしていたけれど、実際に目にすると胃の奥がきゅっと縮む。


 馬車から降りてきたのは、一人の男だった。三十代半ばくらい。眼鏡をかけて、革の鞄を抱えている。ギルドの査察官、と名乗った。名前はニコ。


「薬草の栽培と販売を行っているサヤ殿ですね。都の薬師ギルドより、品質査察に参りました」


 声は丁寧だった。でも目は鋭い。鞄の中に査察の書類が入っているのだろう、革の端がぱんと張っている。


「はい。お待ちしておりました。どうぞ、畑をご覧ください」


 私は深呼吸を一つだけして、畑の入口を開けた。


  ◇


 実はその前の晩に、レンが来ていた。


 夕暮れの畑に、いつもの「視察」とは違う時刻に現れたレンは、縁台にも座らず、立ったまま言った。


「明日の査察──私も同席する」


 短い。けれど、有無を言わさない声だった。


 私は少し考えて、首を横に振った。


「アシュフォード卿がいらっしゃると、逆にギルドが構えませんか。領主が圧力をかけていると受け取られたら、査察の結果自体が信用されなくなります」


 レンの顎が、わずかに引かれた。反論を飲み込んだ、という顔だった。


「……では」


 間。


「隣の畑で水路の確認をしている。何かあれば声の届く距離にいる」


 声の届く距離。


(……この人、水路は先月完成したばかりなんだけど)


 確認すべき不具合があるとも思えない。でも、レンの声に有無を言わさないものがあったので、それ以上は言わなかった。


「ありがとうございます。でも、大丈夫です。記録はちゃんと揃っていますから」


 レンは「ああ」とだけ答えて、丘を降りていった。


 その背中を見送りながら、棚から栽培記録のノートを取り出して、もう一度中身を確認した。


 畑を始めた初日から、一日も欠かさずつけた記録。土壌の酸性度、種子の入手先と出自、播種日、発芽率、天候、灌水量、収穫日、品質検査の方法と結果。全部、ここにある。


(──来なさい。どこからでも)


 前世で六年、書類と格闘した日々が、ここにきて最大の武器になる。


  ◇


 査察は、畑の入口から始まった。


 ニコは鞄から書類を出し、チェック項目を一つずつ読み上げた。栽培環境、薬草の種類と品種の出自、保管方法、品質検査の有無。


 淡々とした声。事務的な質問。──でも、その目は「不備を見つけるための目」だった。ギルドに所属しない薬師の畑。規格外の薬草を売っている辺境の女。摘発して、排除する。それが仕事なのだろう。


「栽培記録はありますか」


「はい。こちらです」


 ノートを差し出した。


 ニコがページを開く。


 最初の一ページ──土壌分析の記録に目を通す。めくる。種子の出自記録。めくる。発芽率の推移グラフ。めくる。天候と灌水量の相関データ。めくる。品質検査の方法──薬草ごとに抽出温度と有効成分の確認手順を書き出したページ。


 ニコの手が止まった。


 眼鏡の奥の目が、ノートの上で動かなくなった。


 沈黙。


 長い、沈黙。


「……これは」


 ニコの声が、変わっていた。さっきまでの事務的な声ではない。


「全ての薬草に、個別の品質検査手順が設定されている。土壌管理の記録も──毎日つけているのですか」


「はい。畑を始めた日から毎日」


「種子の出自は?」


「この畑に自生していたものと、周辺の森で採取したもの。採取場所と日時は全て記録してあります。次のページです」


 ニコがページをめくった。指先が、かすかに震えていた。──いや、震えているように見えただけかもしれない。


「……失礼ですが」


 ニコが顔を上げた。眼鏡の奥の目が、摘発者の目ではなくなっていた。


「この管理手法は、どこで学ばれたのですか。私はギルドで十年以上薬師をしていますが、ここまで体系的な栽培管理記録を見たことがありません」


(──そりゃそうだ。これは前世の製薬業界の品質管理基準をベースにしているのだから)


 とは、もちろん言えない。


「母が遺した薬草図鑑で基礎を学びました。管理手法については……試行錯誤の結果です。品質を安定させるには、何を測って何を記録すればいいか、考えながら少しずつ形にしました」


 嘘ではない。この世界の薬草の魔力特性は、母の図鑑と自分の実験で補った。前世の知識だけでは足りなかった部分を、毎日の記録の中で埋めていったのは本当だ。


 ニコはしばらくノートを見つめていた。それからゆっくりとページを閉じて、私の目を見た。


「サヤ殿。──この管理手法を、ギルドの標準に採用させていただきたい」


 今度は、私の方が沈黙した。


「……ギルドの標準、ですか」


「現在のギルドの栽培管理基準は、ここまで詳細ではありません。あなたの記録方法を参考にすれば、辺境を含む全ての薬草栽培の品質が底上げされます」


 排除しに来たはずの査察官が、逆に「教えてほしい」と言っている。


(……前世の上司が見たら笑うわね。『佐山さんの書類仕事が細かすぎる』って怒ってたくせに)


 笑いそうになるのを、なんとか堪えた。


「光栄です。記録の写しを作成しますので、お時間をいただけますか」


「もちろん。──素晴らしい畑です」


 ニコの声が柔らかくなっていた。査察官ではなく、薬師として話している声だった。


  ◇


 査察が終わった。


 ニコが馬車に戻る前に、畑の出口で私の方を振り返って、少し声を落とした。


「サヤ殿。査察の結果は、正直に報告いたします。あなたの畑の品質管理は、ギルドの基準を上回っています」


「ありがとうございます」


「ただ──」


 ニコの眉間に、一筋の皺が寄った。


「私の上官にあたる副長のゴードンが、この結果で納得するかは……わかりません。ゴードンは規則そのものではなく、ギルドの──」


 言葉を切った。少し迷ってから、言い直した。


「ゴードンは、辺境の薬草供給に関して、独自の方針を持っている方です。お気をつけください」


 それだけ言って、頭を下げて去っていった。


 独自の方針。


 ──利権、という言葉が脳裏をかすめた。ギルドに所属しない薬師が辺境で薬草を売る。それが前例になれば、ギルドの独占が崩れる。規則や品質の問題ではなく、商圏の問題。


(……面倒なことになりそう)


 ため息を一つ。


 それから、ふと目を上げた。


 隣の畑。


 レンがいた。


 本当に、水路の確認をしていた。──しているふりをしていた、の方が正確かもしれない。手に持った書類を見ている体だけれど、視線がこちらを向いている。目が合った。


「……異常はなかったか」


 低い声が、畑の境の柵越しに届いた。


「おかげさまで。品質管理に問題なし、との結果でした」


 レンが頷いた。一つだけ。表情は変わらない。


 でも、頷く動作がいつもより深かった──気がした。気のせいかもしれない。


 レンはそのまま書類を巻いて、丘の方へ歩き出した。オスカーが待っているのだろう、稜線の向こうから馬のいななきが聞こえる。


(……本当に、いたんだ)


 声の届く距離に。


 昨夜そう言って、本当にそこにいた。水路の確認なんて、たぶん用事はなかった。でもレンはそこにいて、何かあれば動けるようにしていた。


 ──領主として、当然のことなのだろう。自分の領地に薬草を供給する相手が、ギルドに潰されては困る。合理的な判断。それ以上でも以下でもない。


 そう思って、縁台に座った。


 査察で出したお茶の器を片付ける。一杯分だけ残っている。ニコは半分飲んで帰った。レンには今日、お茶を出していない。──隣の畑にいたから。


(今度来たら、一杯多く淹れよう)


 何でもないことだ。いつもの習慣の延長。


 小屋に戻って、栽培記録を開く。今日の査察の結果を書き留めながら、ニコの最後の言葉が頭を離れなかった。


 副長のゴードン。独自の方針。お気をつけください。


 ペンが紙の上で止まる。


 ──来るなら、来い。記録は揃っている。


 でも、記録で防げない種類の圧力もある。それは前世の薬局でも同じだった。監査は通っても、業界の力学で潰される店がある。


 ノートを閉じて、窓の外を見た。隣の畑には、もう誰もいなかった。


 夕陽が、水路の水面をオレンジ色に染めている。ニコが残していった査察報告書の控えが、机の上で風に揺れた。

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