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継母に追い出された令嬢は薬草畑でのんびり暮らすことにした  作者: 秋月 もみじ
第1章

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第4話 石垣、直っている……?


 水路を流れる水の音が、畑に朝を運んでくるようになった。


 供給契約の話がまとまってからひと月。レンが手配した職人たちが丘を掘り、石を組み、木の樋を渡して──畑の端を流れる細い水路が、日ごとに形になっていった。


 水がある。


 たったそれだけのことで、畑はこんなにも変わる。乾いていた畝に水が行き渡り、種を蒔いた薬草の芽が一斉に顔を出した。火根草の新芽は力強く、赤蔓花は節から新しい蔓を伸ばし始めている。


 レンは水路工事の「視察」と称して、週に二度ほど畑に来るようになっていた。


 来るたびに、私はお茶を出す。


 レンは一度も断らない。あの灰色の目で畑を見渡しながら、縁台で黙ってお茶を飲んで帰っていく。最初の頃は「視察の報告」と称して水路工事の進捗を話していたけれど、最近はそれも短くなって、お茶を飲む時間の方が長い。


(……まあ、悪いことではないけれど)


 別に気になっているわけではない。良い取引先と良い関係を築いているだけだ。お茶は営業ツール。前世の薬局でも、得意先の医師にはいつも丁寧に対応していた。それと同じ。


 同じ、なのだけれど。


 その朝は、いつもより早く畑に出た。


 新しく蒔いた薬草の発芽状況を記録するためだ。ノートとペンを持って畑の端に向かい──足が止まった。


「……石垣、直っている?」


 声が出ていた。


 畑の北側の石垣。先月、半分以上崩れていた場所。応急で私が積み直した──素人仕事で隙間だらけだった──あの石垣が、きれいに組み直されていた。


 角がきっちり揃った、職人の仕事。石と石の間に砂利が詰められ、排水用の隙間まで計算されている。


(これは……昨日の夕方まではこうなっていなかった)


 私が畑にいない間に、誰かが直した。


 首を傾げながら村に降りて、井戸端で会ったハンナに聞いた。


「ああ、昨日の昼過ぎに石工が来てたわよ。二人組の。アシュフォード卿の手配だって言ってた」


「アシュフォード卿が?」


「そう。水路の工事の人たちとは別の職人でね、石垣だけ直して帰ったわ」


 水路とは別。


 石垣だけ。


(……あの石垣、水路から二十メートルは離れてるんだけど)


 ハンナはにこにこしながら「いい領主さんじゃないの」と言って去っていった。


 いい領主。そう、いい領主なのだろう。領地に隣接する畑の石垣を管理するのは、水路を整備した流れとして──。


 いや、二十メートルは流れとは言わない気がする。


 でもまあ、ありがたいことに変わりはない。崩れた石垣は風の通り道を作ってしまって、薬草の乾燥具合に影響が出ていた。あれが直ったことで、畑の環境管理はずいぶん楽になる。


 深く考えるのはやめた。ありがたく受け取っておこう。


  ◇


 その日の午後、レンが水路完成の最終確認で畑に来た。


 オスカーが少し離れた場所で水路の接合部を点検している間、レンは畑の中を歩いた。私がその横を歩きながら、薬草の状況を説明する。いつの間にか定着した、二人の動線。


「火根草の発芽率は八割を超えました。赤蔓花の蔓も順調に伸びています。水路の効果は想定以上です」


「……領地の方でも、薬草茶を配った地区から体調不良の報告が減っている」


 レンの声は相変わらず抑揚が少ない。でも、「減っている」と言った時だけ、ほんのわずかに語尾が上がった。報告しているというよりは、確認しているような口調。──自分の領民が楽になったことを、噛みしめているような。


「それは良かった。何か問題があれば、すぐに対応しますので」


「ああ」


 畑の端まで歩いたところで、私は足を止めた。


「あの──石垣のことも、ありがとうございます」


 レンの足が止まる。


「……ああ、あれは水路工事の延長で。石垣の基礎が水路の排水に影響する可能性があったから」


 二十メートル離れた石垣の基礎が、水路の排水に影響する。


(……影響、するのかな)


 しないと思う。たぶん、しない。でも、レンの声に嘘をついている感じはなかった。嘘というよりは──自分でもなぜそうしたのか、うまく説明できていない、という感じ。


「そうですか。おかげで風の通りが安定して、乾燥管理がしやすくなりました」


「そうか」


 短い返事。表情は動かない。


 縁台に戻って、お茶を淹れた。いつもの二杯分。レンは何も言わずに座って、受け取って、一口飲んだ。


 秋の日差しが畑に降り注いでいる。水路のせせらぎと、風に揺れる薬草の葉擦れの音。この畑に来たばかりの頃は雑草しかなかった場所に、今は整然と畝が並んでいる。


 レンがお茶を飲み終えて、立ち上がった。


 帰り際、畑をぐるりと見渡して──こちらを向いた。


「……畑仕事、向いている」


 ぽつりと、言った。


 間。


「……ありがとうございます?」


 疑問形になってしまった。褒められたのだと思う。たぶん。レンの声は平坦で、表情もいつも通り動かなくて、褒め言葉としてはかなり──かなり不器用だった。


(この人、人を褒めるの慣れてないな……)


 前世の薬局にもいた。仕事は完璧なのに「いいんじゃない」としか言えない上司。あの人と同じ匂いがする。


 レンは「ああ」とだけ言って、踵を返した。


 二歩ほど歩いて、もう一度だけ振り返った。──いや、振り返ったように見えたけれど、視線が畑に向いていたので、私を見たのではなく畑を見ただけかもしれない。


 オスカーが追いついて、二人で丘を降りていく。


 その背中を見送りながら、ふと気づいた。


 レンが来ると、いつもお茶を二杯用意している。それがもう「習慣」になっている。いつからだろう。


 ……考えるのをやめて、縁台の器を片付けた。


  ◇


 夕暮れ。


 栽培記録を更新していたら、柵の外からハンナの声がした。


「サヤちゃん、ちょっといい?」


 ハンナの顔が、いつもの「噂話」の顔ではなかった。少し、眉間に皺が寄っている。


「どうしました?」


「今日、市場で都から来た行商の人と話したんだけどね。──あんたの薬草のこと、都の薬師ギルドの耳に入ってるみたい」


 手が止まった。


「薬師ギルド……」


「ギルドに登録してない薬師が辺境で薬草を売ってるって。査察がどうとか、許可がどうとか言ってたわ」


 ギルド。


 この世界にも薬師の同業組合がある。都を拠点に、薬の品質管理と販売許可を一手に握っている。ギルドに所属しない薬師は──建前上は──辺境でも営業が難しい。


(……来たか)


 予想はしていた。薬草が流通し始めれば、ギルドが気づくのは時間の問題だった。


 でも、準備はある。


 棚から栽培記録のノートを取り出した。畑を始めた初日から一日も欠かさずつけている記録。土壌の状態、種の出自、発芽率、収穫量、品質検査の結果。全部ここにある。


(品質管理に関しては──負ける気がしない)


 前世で六年間叩き込まれたGMP基準。あの時は面倒で仕方なかった書類仕事が、ここにきて盾になる。


 ハンナが心配そうに言う。


「大丈夫なの、サヤちゃん? ギルドって、けっこう怖い人たちだって聞くけど」


「大丈夫です。記録はちゃんとありますから」


 笑って見せた。──笑えた。強がりではなく、本当に。


 ノートの厚みが手に重い。これは積み重ねた日々そのものだ。毎朝の土壌確認、毎夕の記録更新、一つ一つの薬草に向き合った時間。


 ギルドが何を言ってこようと、この記録が私の武器になる。


 ハンナが帰った後、小屋の窓から畑を眺めた。


 水路のせせらぎが聞こえる。直したばかりの石垣が、夕陽を受けて白く光っていた。職人の仕事は丁寧で、角の一つ一つが整っている。


 二十メートル。水路から、二十メートル。


「……水路の延長、ね」


 呟いて、少しだけ笑った。


 窓の外に目を戻す。丘の向こうは、もう見えない。アシュフォード卿の領地は、あの稜線の先にあるはずだ。


 ギルドのことは気になる。でも今は、それよりも──。


 明日の朝、新しい畝に蒔く種の準備をしなければ。赤蔓花の挿し木も、そろそろ根が出る頃だ。


 ノートを開いて、明日の作業計画を書き始めた。ペンの先が紙を滑る音だけが、小屋に響いている。

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