表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
継母に追い出された令嬢は薬草畑でのんびり暮らすことにした  作者: 秋月 もみじ
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/20

第3話 成分が違うので間違えないでくださいね


 畑に膝をついて土を掬い上げていた私の影を、別の影が覆った。


 顔を上げる。逆光で一瞬見えなくて、目を細めた。


 男が二人、畑の入口に立っていた。一人は長身で、腰に剣を佩いている。もう一人は少し後ろに控えて、手帳のようなものを持っていた。


(──誰)


 辺境の丘の畑に、剣を帯びた男が来る。それは村人ではない。商人でもない。貴族か、あるいは領主関係の者。


 泥だらけの手を膝で拭いながら立ち上がった。心臓が少しだけ速くなる。ヘルツ男爵邸の玄関を出た日から、初めて「身構える」感覚が戻ってきた。


「──失礼。薬草畑はこちらで合っていますか」


 長身の男が口を開いた。


 低い声だった。落ち着いている、というよりは、言葉を無駄に使わない人の喋り方。視線が私の顔ではなく、足元の土に向いた。それから畑の畝を辿って、端まで見渡して、最後にようやく私に戻ってくる。


 暗い灰色の目。表情が、ほとんどない。


「はい。私の畑です」


「アシュフォード騎士爵領の領主、レン・アシュフォードと申します。こちらは副官のオスカー」


 アシュフォード卿。


 ハンナが言っていた名前だ。隣の領地の、若い領主。


(……領主が、直接来た?)


 驚きはしたけれど、表情には出さなかった。前世の薬局時代、抜き打ちで来る監査の人たちに毎回ニコニコ対応していた経験が生きている。


「お噂は伺っています。御者の方からも、領民思いの方だと」


「……御者?」


「こちらに越してくる時の馬車で。──それよりアシュフォード卿、何かお探しですか」


 本題に入る。雑談が長い相手より、目的をはっきり言ってくれる相手の方がやりやすい。前世でも今世でも、それは変わらない。


 レンは一拍置いてから、言った。


「薬草茶の噂を聞いた。冷え性が治った、腰痛が楽になったと、うちの領地の者からも報告が上がっている。品質を確認したい」


 品質の確認。


 率直で助かる。


「もちろん。畑をご案内します。──あの、少し土で汚れていますけれど」


「構わない」


 即答だった。


  ◇


 畑を歩きながら、私は薬草の説明を始めた。


 こういう時、前世の自分がひょいと顔を出す。調剤カウンターの向こうで患者さんに薬の説明をする時の、あの口調。


「こちらが胃腸の弱い方向けの火根草です。根の部分を使います。それから、あちらの赤蔓花は血行促進の作用がありますが、成分の抽出温度が違うので、同じ淹れ方をすると効果が変わります」


 レンが足を止めた。


「……成分の、抽出温度?」


「はい。火根草の有効成分は高温で壊れるので、沸騰したお湯を少し冷ましてから注ぎます。赤蔓花は逆で、しっかり熱いお湯でないと花弁の中の成分が出てこない。同じ『薬草茶』でも、お湯の温度が違えば効き目が全然違います」


 膝をついて、畝の端に並ぶ二種類の苗を指さした。


「成分が違うので、間違えないでくださいね。領民の方に渡す時は、必ず淹れ方を説明していただかないと」


 顔を上げると、レンがこちらを見ていた。


 私の手を──じゃない。目を。


 灰色の瞳に何かが浮かんでいた。でもそれが何なのか、読み取れなかった。無表情のままなのに、目だけが少し変わっている。


「……続けてくれ」


 短い一言だった。


 私は畑の奥まで案内しながら、それぞれの薬草の効能と、栽培の状態を説明した。レンは質問をほとんどしなかった。ただ、黙って聞いて、時々畝の土を見て、苗の葉に指を触れていた。


 後ろで副官のオスカーが、手帳に何かを書き留めている。几帳面な字らしい。紙の上をペンが滑る音が、風の中で小さく聞こえた。


  ◇


 畑を一通り回り終えて、小屋の前の縁台に腰を下ろした。


 レンが口を開く。


「うちの領地には薬師がいない。都から薬を買うと高額で、治癒魔法が使える者も辺境には来ない。あなたの薬草をうちの領地に供給してもらいたい」


 来た。


 予想はしていた。噂を聞いて領主が直接来るということは、そういうことだ。


「報酬は相応に。金額は──」


「あの」


 私は、レンの言葉を遮った。


 失礼だとは思う。でも、ここで曖昧にしたくなかった。


「報酬のことなんですが、お金よりも……畑を広げる土地と、水路を整備していただけると助かります」


 レンの眉が、ほんのわずかに上がった。──この人が驚く時の表情は、本当に小さい。眉がほんの一ミリ動くだけ。


「……金ではなく?」


「はい。今の畑では栽培できる薬草の種類が限られています。土地を広げれば品種を増やせますし、水路が整えば灌漑の安定性が上がって品質も向上します。お金をいただいても、この辺りでは畑を広げる手段がないので」


(……前世の薬局長に聞かせたら泣くわね。設備投資を優先しろってあれだけ言ったのに予算を出してくれなかった人に)


 内心のツッコミはさておき。


 レンは沈黙していた。少し長い沈黙。


 後ろのオスカーがペンを止めたのが、気配でわかった。


「……水路か」


 レンがぽつりと言った。


「水路の整備は、うちの領地の課題でもあった。あなたの畑を経由する形で引けば、双方の利になる」


 そう言って、私の顔を見た。さっきの灰色の目。表情は動かないのに、声がほんの少し──ほんの少しだけ、柔らかくなった気がした。


「引き受ける。条件は詰めよう。栽培記録は──」


「共有します」


 食い気味になってしまった。


「……品質を保つために、栽培の全記録を共有したいんです。毎日つけている記録がありますので。何か問題があればすぐに原因を特定できますし、お渡しする薬草の安全性の根拠にもなります」


 レンが、二度目の──眉の微動。


「毎日の記録を、つけているのか」


「はい。畑を始めた初日から。土壌の状態、種を蒔いた日、発芽率、天候、収穫量。全部です」


 小屋から栽培記録のノートを取ってきて、レンに差し出した。レンがページをめくる手が途中で止まった。


「……これは」


「読みにくいですよね、紙が虫食いで。すみません、きちんとした紙が手に入ったら清書します」


「いや。──読みにくくはない」


 レンの指が、ノートの上で止まっていた。品質検査の欄を、じっと見ている。


 何を思ったのかはわからない。でも、ノートを閉じた時、レンの声は少しだけ──ほんの少しだけ、先ほどより低くなっていた。


「近日中に、水路整備の打ち合わせで伺う」


「ありがとうございます」


 立ち上がりかけたレンに、私はふと思いついて声をかけた。


「──あの。お茶、一杯飲んでいきますか。胃腸の弱い方向けのブレンドですけど」


 領主に対して土まみれの女がお茶を勧める。我ながら、場違いな申し出だと思った。


 レンは振り返った。


 一瞬、黙った。


 それから、何も言わずに縁台に座り直した。


(……あ、座った)


 慌ててお湯を沸かしに小屋に入る。火根草と赤蔓花のブレンドを、温度に気をつけて淹れた。陶器の器に注いで、縁台に戻る。


 レンは畑を眺めていた。夕暮れ前の光が、まだ若い薬草の葉を金色に染めている。


「どうぞ。──合わなかったら遠慮なく言ってください」


 レンが器を受け取った。一口含んで、少し間を置く。


「……悪くない」


 それだけ言って、残りを静かに飲み干した。


 褒め言葉なのか感想なのか判断に困る一言だったけれど、器が空になっていたので、嫌ではなかったのだろう。


 その時、少し離れた場所にいたオスカーが、わずかに眉を上げた──気がした。何の意味かはわからない。ただ、手帳に何かを追記しているのが見えた。


  ◇


 二人が帰っていく背中を見送った。


 レンの歩き方は、来た時と変わらなかった。背筋が伸びて、無駄がなくて、振り返りもしない。


 オスカーが一度だけこちらを見て、小さく頭を下げた。──律儀な人だ。


 二人の姿が丘の向こうに消えてから、私は縁台に残された二つの器を回収した。レンが使った方を持ち上げると、中に一滴も残っていなかった。


(──全部飲んでくれた)


 それだけのことなのに、妙にほっとした。


 嬉しい、ではなく、ほっとした。私の薬草を「使う人」を見てくれる相手がいる。品質を確かめて、条件を対等に話し合って、記録を見てくれる人がいる。


 男爵家には、そういう人がいなかった。母の薬草図鑑も、畑も、継母にとっては「値段がつくかどうか」でしかなかった。


 でも今日、あの灰色の目は──。


 いや、何を考えているんだろう。交渉がうまくいっただけだ。浮かれすぎ。


 空の器を二つ重ねて、小屋に戻った。栽培記録のノートを開いて、今日の日付の欄に書き加える。


 ──「アシュフォード卿来訪。供給契約の協議開始。水路整備の打ち合わせ、近日中」


 ペンを置いて、窓の外を見た。


 丘の稜線に、もう人影はない。夕暮れの風が、畑の薬草をさわさわと揺らしている。


「……近日中、か」


 呟いて、自分の声がどこか浮ついていることに気づいて、慌てて口を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ