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継母に追い出された令嬢は薬草畑でのんびり暮らすことにした  作者: 秋月 もみじ
第1章

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第2話 土を整えるところから始めましょう


 朝日の下で土を掬い上げると、指の間からさらさらとこぼれ落ちた。


 冷たい。けれど、死んだ土の冷たさじゃない。


 鼻を近づける。腐葉土の甘い匂いが、かすかに残っている。五年以上放置されていたにしては、悪くない。祖母が生きていた頃に丁寧に土壌を作っていた名残だろう。


(──酸性寄り。水はけは良好。南向き緩斜面で日照も十分。石垣を直せば風も調整できる)


 前世の知識が、勝手に頭の中で回り始める。


 土壌のpH──なんて概念はこの世界にはないけれど、土を舐めればわかる。舌にぴりっとくる酸味。これは薬草によっては好条件だ。ラベンダーやカモミールに近い品種なら、弱酸性を好むものが多い。


 立ち上がって、畑を見渡した。


 雑草。


 見渡す限りの雑草。崩れた石垣。蔓が巻きついた柵の残骸。小屋の裏手に回れば、かつて畝があったであろう場所が緑の絨毯に呑まれている。


 ……うん、まあ、見なかったことにしたい光景ではある。


(前世で担当していたのは調剤カウンターの向こう側であって、畑仕事は専門外なんだけど)


 とはいえ、品質管理の基本は同じだ。原料の品質は、栽培の段階で決まる。前世の薬局で口酸っぱく言われた「GMPは原料から」という原則。製造品質管理基準。──あの頃は書類仕事が面倒で仕方なかったけれど、今になってありがたみが身に染みる。


 小屋に戻って、祖母の道具箱から紙束を見つけた。虫に食われて端がぼろぼろだけれど、書ける紙がある。インク壺も、干からびてはいたが水で溶けば使えそうだ。


 一枚目の紙に、今日の日付を書いた。


 ──栽培記録。


 土壌の状態。日照時間の見込み。排水の流れ。現在自生している植物の種類。ひとつずつ、見たものを書き留めていく。いつか役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。でも記録は残す。それが、前世で叩き込まれた習慣だった。


  ◇


 畑から一番近い村まで、歩いて半刻ほど。


 小さな村だった。石造りの家が二十軒ほど並び、中央に井戸と、週に一度だけ市が立つらしい広場がある。辺境の、どこにでもある農村。


「あの畑? ああ、おばあさんの。亡くなってからずっと誰も手を入れてないわよ。あんた、あそこに住むの?」


 井戸端で声をかけてきた中年の女性──ハンナと名乗った──は、私をじろじろと見た。値踏みするような目。よそ者が来たら当然の反応だろう。


「ええ。祖母の畑を引き継ぐことにしました」


「あらまあ。おばあさんのお孫さんかい。……でもあんた、ずいぶん白い手をしてるねえ。畑仕事なんてしたことないでしょう」


 否定はできない。この手は前世でも今世でも、薬を扱う手であって土を掘る手ではなかった。


「これから覚えます」


「ふうん」


 ハンナの目は、まだ半信半疑だった。


 それでも、村の情報はいくつか教えてもらえた。近くの森で採れる薬草のこと。水の出がいい場所。それから──ハンナが話の合間に何度も腰に手を当てて、顔をしかめていたこと。


「……お体、どこか悪いんですか」


「ああ、これ? 冷え性よ。もう何年もね。夜になると足の先が氷みたいに冷たくなって、眠れやしない。この辺りには薬師もいないし、都の薬なんて高くて買えないし。まあ、歳だから仕方ないわよ」


 仕方ない、と笑うハンナの顔を見た瞬間、前世の自分がむくりと起き上がった。


(──冷え性。末端の血行不良。温め成分と血行促進成分の組み合わせ。前世ならショウガとシナモンのブレンドティーを勧めるところだけど)


 母の薬草図鑑を思い出す。昨夜、小屋の灯りの下で読んだページ。この世界にも生姜に似た根茎の薬草がある──「火根草」。それから、血の巡りを良くする「赤蔓花」。どちらも、荒れた畑の端に自生しているのを今朝見つけたばかりだ。


「ハンナさん。もしよければ、明日お茶をお持ちしてもいいですか」


「お茶?」


「薬草のブレンドです。冷え性に効くかもしれません。──ただ、体に合わない場合もありますから、飲んでみて少しでも不調を感じたらすぐに教えてください」


 ハンナが目を丸くした。


「あんた……薬師なのかい?」


「いいえ。ただの畑仕事をする者です。でも、薬草の扱いは少しだけ心得があるので」


 少しだけ、というのは嘘だ。前世で六年、薬の成分と向き合い続けた知識がある。──ただし、この世界の薬草には「魔力」という未知の変数がある。そこだけは、母の図鑑と自分の手で確かめるしかない。


「まあ……いいわよ。試しに飲んでみるくらいなら。どうせ今のままじゃ眠れないんだし」


 ハンナの声は投げやりだったけれど、それでいい。


 効くかどうかは、結果が証明する。


  ◇


 翌日。


 畑の端に自生していた火根草を掘り出して、根を薄く刻んだ。赤蔓花の花弁を乾燥させ──いや、この世界の薬草は乾燥のさせ方で魔力含有率が変わる。図鑑によれば、赤蔓花は「日陰で三日干し」が最も魔力が安定するらしい。


 三日も待てない。


 だから今回は生のまま使う。魔力成分は安定しないけれど、血行促進の薬効成分は熱水抽出で十分引き出せるはず。前世の知識と、この世界の図鑑を、頭の中で重ね合わせる。


 火根草の辛味成分は、お湯の温度が高すぎると壊れる。


(八十度くらい。沸騰させてから少し冷ます。前世の生姜湯と同じ要領で)


 竈で湯を沸かし、少し冷ましてから、刻んだ火根草と赤蔓花を合わせた陶器の壺に注いだ。蓋をして、五分。


 壺を開けると、ふわりと甘い香りが立ちのぼった。赤蔓花の花弁が湯の中でほどけて、淡い紅色に染まっている。


 味見をする。──辛味のあとに、じんわりとした温かさが喉から胸に広がった。


(……悪くない。いける)


 小瓶に詰めて、村まで歩いた。


「ハンナさん。お湯はこのくらいの温度で淹れてください。熱すぎると成分が壊れます。寝る前に一杯、まずは三日続けてみてください」


「はいはい、ずいぶん細かいねえ」


 ハンナは呆れた顔で小瓶を受け取った。でも、匂いを嗅いだ瞬間にふっと表情が緩んだのを、私は見逃さなかった。


 五日後。


 畑の雑草を刈っていたら、丘の向こうからハンナの声が聞こえた。


「サヤちゃん! サヤちゃん!!」


 息を切らして畑に駆け込んできたハンナの顔は、先日の半信半疑とは別人だった。


「嘘みたい──嘘みたいよ! 昨日の夜ね、足が冷えなかったの! 三日目くらいから『あれ?』って思ってたんだけど、昨日はもう、ぽかぽかして。夜中に一度も目が覚めなかった!」


 ハンナが私の両手を握って、ぶんぶん振った。


「何年ぶりかしら、朝まで眠れたの! あんた、あんたすごいわ!」


 握られた手が痛いくらいだった。でも──不思議と、嫌じゃなかった。


 前世でもこういう瞬間があった。「先生、薬変えてもらってからよく眠れるようになったの」と笑う患者さんの顔。あの時と同じだ。薬の形は変わっても、人の体に寄り添うことは変わらない。


(……ああ、そうか。私、こういうことがしたかったんだ)


 男爵家を追い出されて、母の形見を売って、荒れた畑で雑草を刈って。何のためにやっているのか、正直よくわかっていなかった。ただ、目の前のことを片付けるので精一杯で。


 でも、ハンナの笑顔を見たら、ストンと腑に落ちた。


 ここにいていいんだ。この畑で、この手で、誰かの体を楽にできるなら。


  ◇


 ハンナは、黙っていられない性格だった。


 翌週には村中が知っていた。「丘の畑に薬草のお嬢ちゃんが来た」「冷え性に効くお茶をくれる」「ハンナのあの頑固な冷え性が治った」。


 村人がぽつぽつと畑を訪ねてくるようになった。


「腰が痛いんだけど、何かないかい」「うちの子が咳をしてて」「最近、胃の調子が悪くて」


 全部に応えられるわけじゃない。畑に残っている薬草は限られているし、この世界の魔力含有薬草の扱いはまだ手探りだ。図鑑で確認して、前世の知識と照合して、安全だと判断できるものだけを提供する。


「申し訳ありません、この症状には今の畑の薬草では対応できません」


 断ることもあった。でも、断る時は必ず理由を説明した。「この薬草はお子さんには成分が強すぎるので」「この症状には別の薬草が必要で、今は栽培していないんです」。


 前世の服薬指導と同じだ。「できること」と「できないこと」を正直に伝える。患者さん──いや、この世界では村人だけれど、信頼は正直さの上にしか建たない。


 栽培記録は毎日つけた。土壌の変化、種を蒔いた薬草の発芽率、自生していた薬草の採取量。紙が足りなくなって、ハンナが「うちにあった余り紙よ」と束を持ってきてくれた。


 畑は少しずつ、息を吹き返していた。


 雑草を刈り、畝を作り直し、石垣の崩れた部分を応急で積み直した。前世の体力ではとても無理だった──過労死するくらいには体が弱かったのだから──けれど、十八歳のこの体は頑丈だ。筋肉痛はひどいけれど、翌朝には動ける。


(前世の自分が見たら泣くわね。あんた、カウンターの中で一日中立ってただけで腰痛がひどかったくせに)


 ある夕方、ハンナが畑の柵に肘をついて、にやにやしながら言った。


「サヤちゃん、あんたの噂、隣の領地にも届いてるらしいわよ」


「隣の領地?」


「アシュフォード卿のところ。あそこは薬師がいなくて大変だって話、前にしたでしょう? 市場であっちの村の人に会ったんだけどね、『丘の畑にすごい薬草茶を作るお嬢さんがいるって本当か』って聞かれたわ」


 私は手を止めた。


「……噂が広がるの、早いですね」


「辺境じゃ珍しいことがあればすぐよ。市場の日に広まって、一週間もすれば近隣の村はみんな知ってる」


 ハンナはそう言って笑ったけれど、私は少しだけ不安になった。


 噂が広がるということは、良いことばかりではない。前世の薬局だって、評判が立てば同業者の目も向く。この世界にも薬師のギルドがあるはずだし、許可なく薬を売るのは問題になるかもしれない。


 ──でも、今は考えても仕方がない。


 目の前の畑を育てる。来てくれた人に、できる範囲で応える。それだけだ。


 柵の向こうに夕陽が沈んでいく。畑の土が、朝よりも少しだけ温かい色に見えた。赤蔓花の新芽が、畝の端からそっと顔を出している。


 私はしゃがみ込んで、その小さな芽を指先で確かめた。


 ──大丈夫。ちゃんと、育っている。

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