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継母に追い出された令嬢は薬草畑でのんびり暮らすことにした  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第6話 品質は、嘘をつけない


 辺境伯領の薬草博覧会は、乾いた薬草と湿った朝露が混じり合った匂いがした。


 会場は辺境伯邸の中庭に面した大広間と、その外に張り出した仮設の天幕群。朝もやの中に薬草の束が吊り下げられ、陶器の壺が並び、各地から持ち込まれた乾燥ハーブの匂いが層になって漂っている。


 人の多さに、まず息を呑んだ。


 辺境一帯の薬草栽培者、薬師、商人、領主の使者。これだけの人が薬草に関わっているのかと、改めて思い知る。都から来たらしいギルドの関係者もちらほら見える。仕立てのいい外套に金糸のギルド紋章──ゴードンの部下だろう。


(──前世の学会発表みたいなもの、か)


 違う。前世の学会にはゴードンのような人間はいなかった。いや、いたかもしれないけれど、あの頃は気にしなかった。発表する側ではなく、聞く側だったから。


 今日は違う。壇に立つのは、私だ。


 ブースの準備をした。小さな机に、新薬草茶のサンプルを並べる。トーマスと開発した竈の余熱乾燥法で仕上げた赤蔓花。魔力含有率の変動係数を半分以下に抑えた、あの新しい配合。それから──栽培記録のノート。全冊。机の端から端まで、ずらりと並んだ十冊以上のノート。


 隣のブースの栽培者が、ノートの山を見て目を丸くした。


「……それ、全部記録?」


「はい。半年分です」


「半年で十冊? うちなんて年に一冊も書かないよ」


(前世の上司に言ったら泣くわね。書類が多すぎるって怒られてたのに)


 来場者がぽつぽつとブースを覗きに来た。新薬草茶の香りを嗅いで、栽培記録をぱらぱらとめくる人。「これ、毎日つけてるの?」と聞かれるたびに「はい」と答える。皆、同じ顔をする。信じられない、という顔。


 火根草と赤蔓花のブレンドの試飲を出した。温度は八十度。淹れ方も説明する。


「熱すぎると火根草の有効成分が壊れます。沸騰から少し冷ましてから注いでください」


 前世の服薬指導と同じだ。薬の形が変わっても、伝えることは変わらない。


 ブースの前に人が増えていく。試飲した人が「……体が温まる」と呟いて、もう一杯ねだる。隣のブースの栽培者が首を伸ばして覗き込んでいる。


(──手応えは、ある)


 でも、本番はこの後だ。


  ◇


 公開審査は、大広間の中央で行われた。


 長机が三つ、扇形に並べられている。審査員席。正面にダグラス。法の番人の顔は今日も厳しい。左にゴードン。恰幅のいい体を椅子に収めて、腕を組んでいる。金糸のギルド紋章が蝋燭の光を反射している。


 右に──レン。


 濃紺の上着。昨夜の社交会と同じ正装。背筋が伸びていて、灰色の目が審査の書類に落ちている。畑の縁台でお茶を飲んでいる時とは、別人のように見えた。


(……いや、別人じゃない。こっちが本来の姿なんだ)


 領主。行政権を持ち、法令に精通し、領民の暮らしを背負っている人。お茶を「悪くない」と言って全部飲み干す人と、同じ人。


 審査対象の栽培者が一人ずつ呼ばれる。私の前に三人。それぞれが品質の説明をして、審査員が質問して、評価が記録されていく。


 私の番が来た。


 机の前に立つ。ノートを並べた。新薬草茶のサンプルを置いた。


「薬草栽培者サヤ殿。品質管理体系の説明をお願いいたします」


 ダグラスの声は事務的だ。


「はい」


 深呼吸を一つ。


「私の薬草茶は、栽培から収穫、乾燥、配合、品質検査に至るまで、全工程を記録しています。土壌管理は毎日の記録に基づき、薬草ごとに抽出温度と乾燥条件を個別に設定しています」


 ノートを開いた。最初のページ──畑を始めた日の記録。土壌分析。虫食いの紙に、震える字で書いた最初の一行。


「ここから始まりました。半年前の、この一行からです」


 ダグラスの手が、ノートに伸びた。ページをめくる。一枚。二枚。三枚。種子の出自記録。発芽率の推移。天候と灌水量の相関。乾燥温度と魔力含有率の関係──トーマスと開発した新しい管理手法のデータ。


 ダグラスの指が止まった。


「……品質検査の手順が、薬草ごとに個別に設定されている」


「はい。火根草と赤蔓花では有効成分の抽出条件が異なります。同じ方法で管理すると品質がばらつくので」


 ダグラスが顔を上げた。厳しい顔のまま、でも目の奥に何かが灯っていた。


「管理体系として、極めて高い水準です」


 短い。でも──辺境伯代官がそう評価した、という事実は重い。


 レンの番だった。領主代表として、品質を確認する。


「アシュフォード領への供給実績はどの程度か」


 声が、低い。審査員としての声。淡々と、事実を確認する声。──畑の縁台で「悪くない」と言う声とは、少し違う。


「半年間で約三百人の領民に薬草茶を提供しています。冷え性、胃腸の不調、腰痛の緩和を目的としたブレンドです。体調悪化の報告はありません」


「品質管理の方法は」


「全て栽培記録に基づいています。出荷ごとに品質検査を実施し、基準を満たさないものは供給していません」


 レンが頷いた。短く。一つだけ。


「──確認した」


 ゴードンの番が来た。


 恰幅のいい体が椅子の中で動いた。腕を組んだまま、ノートを一瞥する。


 沈黙。


 長い沈黙。


 会場が、静かになった。ゴードンの沈黙を、全員が見ている。ギルド副長が何を言うのか。品質に文句をつけるのか。規約を盾に何か言うのか。


 ゴードンが口を開いた。


「……質問はない」


 三文字。


 それだけだった。


 腕を組み直して、視線をノートから外した。反論の余地がないのだ。品質の事実が目の前にある以上、審査員として公正さを保つなら、低評価をつければ自分の信用が毀損される。


(──品質で黙らせた)


 胸の奥で、熱いものがじわりと広がった。怒りではない。達成感、とも少し違う。ただ──半年分の記録が、ここで生きた。毎日の一行が、今日の沈黙を作った。


 品質評価の結果が読み上げられた。


 最高点。


 会場から拍手が起きた。小さく、でも確かに。隣のブースの栽培者が口笛を吹いた。トーマスが会場の後方で両手を握りしめているのが見えた。


(──泣くな。ここで泣いたらだめだ)


 目の奥が熱い。堪えた。深呼吸。一つ。二つ。


 審査席から目を上げた。


 レンが──こちらを見ていた。


 灰色の目。表情は動かない。審査員としての顔のまま。でも目が──あの目が、いつもより少し長く、私の顔に留まっていた。


 すぐに書類に視線を落とした。次の審査対象の名前を確認しているのだろう。領主としての仕事。それだけ。


  ◇


 審査が終わって、ブースに戻った。


 緊張が解けて、膝が少し笑っている。試飲用のお茶を自分で一杯淹れて、椅子に座った。


 会場の外で、トーマスが誰かと話しているのが見えた。薬師仲間だろうか。身振り手振りで何か説明している。あの人はいつも全身で話す。


 ふと、トーマスの声が風に乗って断片的に聞こえた。


「──アシュフォード卿は、サヤ殿のことを──」


 そこで声が途切れた。トーマスが口を閉じたのか、風向きが変わったのか。相手が何か言って、トーマスが首を振った。


(……何だろう)


 気になったけれど、距離があって聞き取れない。トーマスが振り返って、こちらに気づいた。手を振ってきた。笑顔。──何でもなさそうだ。


(博覧会の感想でも話してたのかな)


 深く考えなかった。


 それよりも──明日のことを考えなければ。


 博覧会二日目。公開討論。


 マリエッタが来る。母のレシピ帳を持って。


 ブースの机の上に、栽培記録のノートが並んでいる。今日、審査員の前で最高点を取ったノート。半年分の記録。


 このノートが、今日も私を守ってくれた。明日も、守ってくれるはずだ。


 お茶を一口飲んだ。火根草の辛味が喉を温めて、赤蔓花の甘い余韻が残る。自分で作った薬草茶。自分の記録から生まれた配合。


(──品質は、嘘をつけない)


 ゴードンが黙った。ダグラスが認めた。それが、全てだ。


 明日、マリエッタが何を言おうと、この事実は変わらない。


 窓の外に、夕陽が沈みかけている。博覧会の初日が終わる。天幕の薬草が夕風に揺れて、乾いた葉の匂いが会場を満たしている。


 明日のために、今夜もう一度、ノートを見返そう。


 全部、ここにある。

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