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継母に追い出された令嬢は薬草畑でのんびり暮らすことにした  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第5話 借り物のドレスと、本物の声


 借り物のドレスは、薬草の匂いがしないことだけが落ち着かなかった。


 鏡の前に立つ。淡い青灰色の絹。背中のボタンが小さくて、一人では留められなかった。フィオナの侍女が手際よく仕上げてくれた背中を、振り返って確かめる。


(──前世の白衣の方が楽だったな)


 辺境伯邸の客間は、小屋の何倍も広い。壁に燭台が並んで、磨き上げられた床が蝋燭の光を映している。この部屋で着替えて、この廊下を歩いて、あの広間に入る。


 社交会。


 ヘルツ男爵邸にいた頃、何度か連れて行かれたことがある。壁際に立って、誰とも話さず、マリエッタとティナが貴婦人たちに囲まれているのを眺めていた。あの頃は「先妻の地味な娘」で、話しかけてくる人はほとんどいなかった。


「似合うわよ」


 フィオナが廊下から顔を出した。深い紅色のドレスに銀のイヤリング。辺境伯夫人としての装いは隙がなくて、隣に立つと自分の場違い感がいっそう際立つ。


「ありがとうございます。……歩き方を忘れていそうで怖いです」


「大丈夫。あなたは辺境伯府の審理で堂々と記録を並べた人よ。ドレスの裾を踏むくらい、大したことじゃないわ」


(──踏む前提なんだ)


 笑いそうになるのを堪えた。


  ◇


 広間は、人で溢れていた。


 辺境伯領の薬草博覧会の前夜祭を兼ねた社交会。領主夫人、商人、薬師、栽培者──辺境一帯の名士が集まっている。蝋燭の光が天井のシャンデリアに反射して、広間全体が金色に染まっている。


 入口で足が止まりかけた。


 人の視線が、こちらに向く。借り物のドレスを着た、姓のない薬草栽培者。辺境伯夫人の隣を歩いているから余計に目立つ。


(──調剤カウンターの向こう側で六年間立ってたんだから、人の目くらい)


 自分に言い聞かせて、一歩踏み出した。


 フィオナが自然に私を広間の中へ導いてくれた。「こちらがサヤさん。先日ニコが査察報告で絶賛していた、あの薬草畑の」と、すれ違う夫人たちに紹介する。手際がいい。社交という名の戦場で、この人は間違いなく将軍だ。


 広間の奥──窓際のテーブルに、見覚えのある姿があった。


 マリエッタ。


 深い紫のドレス。銀の髪飾り。社交の場に完璧に溶け込んだ装い。隣にいるのは──ティナではない。都から来たらしい夫人が二人、マリエッタの話に頷いている。


 目が、合った。


 一瞬だけ。マリエッタの唇が微笑みの形を保ったまま、目の奥だけが冷たく光った。


 視線を外された。マリエッタは隣の夫人に向き直って、何かを囁いた。夫人がこちらをちらりと見る。


(──始まってる)


 根回し。マリエッタの得意技だ。辺境伯府の審理で負けた直後だというのに、社交の場では平然と微笑んで、味方を作ろうとしている。


 フィオナの手引きで、数人の領主夫人に挨拶をした。愛想笑いが上手くできているか自信がない。前世でも今世でも、私は社交が苦手だ。でも薬草の話を振られると、つい前のめりになってしまう。


「あなたが例の薬草茶の? うちの領地でも評判よ」


「冷え性の方向けのブレンドでしたら、火根草の根を──」


 話し始めたら止まらない。相手の夫人が少し面食らった顔をしたところで、はっと我に返った。


(──ここは調剤カウンターじゃない。服薬指導じゃない。社交会よ)


「……失礼しました。つい、専門的なことを」


「いいえ、面白いわ。──あら、ヘルツ男爵夫人にお会いした?」


 夫人の視線が、広間の奥に向いた。


「先ほどね、あちらの男爵夫人が言っていたのよ。『辺境で未熟な素人が聞きかじりの知識で危険な薬草を売っている。困ったものだわ』って」


 素人。聞きかじり。危険。


 胸の奥が、きゅっと縮んだ。


 半年間、毎日土を触って、記録をつけて、品質を守り続けた。ギルドの査察をクリアした。辺境伯府の審理で配合の独自性を証明した。──それを「聞きかじりの素人」と。


(──……まあ、予想はしてた)


 マリエッタは法的な場で負けた。だから社交の場で戦い直すつもりだ。書類ではなく噂で、証拠ではなく印象で。


「でもねえ」


 別の声が割り込んだ。恰幅のいい、声の大きい中年の夫人。隣の領地の領主夫人らしい。


「うちの領地の冷え性の方もサヤさんのお茶で良くなったのよ。あれ、何年も悩んでた人がよ? 市場で評判になってて、うちの村の女衆がみんな欲しがってるの」


 間。


「素人が作ったもので、そんなに効くかしら」


 もう一人の夫人が、首を傾げた。前の夫人が胸を張る。


「効いたのよ、実際に。だから評判になってるんでしょう? 男爵夫人は『危険だ』と仰ってたけど、うちの領地では誰一人、体調を崩した人はいないわ」


 広間の一角で、空気が変わった。


 マリエッタの「未熟な素人」という言葉と、領主夫人の「実際に効いた」という言葉。二つが並んで、矛盾が浮き上がる。


 私は何も言っていない。何も仕掛けていない。ただ、畑で薬草を育てて、品質を守って、ハンナに渡したお茶が村に広がって、市場で噂になって、領主夫人の耳に届いた。


(──ハンナさんの口コミ、ここまで届いてたのか)


 あの人の噂話は辺境最強の情報伝達手段かもしれない。


 マリエッタの方を見た。距離がある。でも、横顔はわかった。微笑みは保っている。完璧に。──でも、手が膝の上で組み直されたのが見えた。一度。二度。辺境伯府の審理の時と、同じ仕草。


  ◇


 社交会が半ばを過ぎた頃だった。


 広間の中央に、人が集まった。領主たちの挨拶の時間らしい。壇上に辺境伯代官のダグラスが立って、明日の博覧会の概要を説明している。


 その隣に──レンがいた。


 社交会のレンを見るのは初めてだった。いつもの外套ではなく、濃紺の上着に銀のブローチ。領主としての正装。背筋が伸びていて、腰に剣はないけれど、纏う空気はいつもと同じだ。


(……こういう場にいると、この人が領主なんだって実感する)


 畑の縁台でお茶を飲んでいる時は忘れてしまう。灰色の目で薬草を眺めて、「悪くない」としか言わない不器用な人。でも今、壇上にいるのは辺境伯領の騎士爵領主だ。


 ダグラスの挨拶が終わり、各領主が一言ずつ発言する流れになった。


 レンの番が来た。


「アシュフォード騎士爵領主、レン・アシュフォードだ」


 短い名乗り。いつも通り。


「明日の博覧会に、当領が認可した薬草栽培者が出展する。サヤ殿の薬草だ」


 私の名前が、広間に響いた。


 心臓が跳ねた。


「アシュフォード領はサヤ殿の薬草に領主認可を出している。品質管理は──私が確認している」


 声が、掠れた。


 最後の一言だけ。「私が確認している」。その「私」の部分で、声がほんの一瞬、掠れた。


(──領主としての公式な保証だ。領地の名と、信用を賭けた発言)


 それだけのことだ。領主が自領の産品の品質を保証するのは、当然の義務。合理的な判断。


 レンが壇を降りた。広間の端に移動する途中で、オスカーとすれ違った。


 オスカーが──小さく息を吐いた。


 見えた。明らかに見えた。律儀で、いつも感情を見せないあのオスカーが、主の発言を聞いた直後に、小さく息を吐いた。


(……なんだろう、今の)


 オスカーの表情は、すぐに元に戻った。何事もなかったかのように、レンの後ろに控えている。


 私の方を見た──わけではない。視線はレンの背中に向いていた。でも、あの一瞬の反応が引っかかった。


(領地のため、って言ったから? それとも──)


 それとも、何だろう。わからない。オスカーが何に反応したのか、私にはわからなかった。


 レンが広間の壁際に立っている。灰色の目が──一瞬だけ、こちらを見た。目が合って、すぐに逸れた。


 表情は動かない。いつも通り。


 でも、壇上で「私が確認している」と言った時の掠れた声が、まだ耳の奥に残っている。


  ◇


 社交会が終わった後、廊下でフィオナと並んで歩いていた。


 靴音が石の床に反響する。広間の喧騒が遠ざかって、蝋燭の灯りだけが壁を照らしている。


「今日はよく頑張ったわね」


「……裾は踏みませんでした」


「ええ。あの夫人の口コミが効いていたわね。あなた、何もしていないのに味方が勝手に増えるタイプよ」


(何もしていない。本当に、何もしていない)


 薬草を育てて、品質を守って、記録をつけた。それだけで、ハンナの口コミが広がり、領主夫人が社交会で事実を口にしてくれた。


 フィオナが足を止めた。


 廊下の窓際。蝋燭の灯りが、フィオナの横顔を照らしている。社交の場の笑顔ではない。少しだけ、眉間に力が入っている。


「一つ、伝えておかなければならないことがあるの」


「……はい」


「マリエッタの『特別な証拠』の正体がわかったわ」


 足が止まった。


「彼女──お母様の調合レシピ帳を、博覧会の公開討論に持ち込むつもりよ」


 息が、止まった。


「公開の場で、レシピ帳を掲げて『サヤはこれを盗み写して薬草茶を作っている』と主張する。辺境伯府の審理は非公開だったから、あの場での結論を知らない人がほとんどでしょう。公開討論なら、辺境一帯の人の前で──」


「……同じ主張を、もう一度」


「ええ。でも今度は、公の場で。審理では法的に負けた。だから今度は世論で勝とうとしているの」


 母の手帳。あの革の表紙。あのインクの染み。


 あれを壇上に掲げて、「盗用」と叫ぶ。辺境中の人の前で。


 胸が痛い。怒りと、悲しみと、何か名前のつかない感情が混ざっている。


(──でも)


 拳を握った。


(記録がある。ニコの鑑定がある。配合が異なることは証明済みだ。何度同じ主張をされても、事実は変わらない)


「……大丈夫です」


「大丈夫?」


「あの審理で記録が私を守ってくれました。公開の場でも、同じことをするだけです」


 フィオナが、私の顔をじっと見た。


 それから、ふっと口元を緩めた。


「──強い子ね。ニコが惚れ込むわけだわ」


「……惚れ込むって」


「薬草にね」


 フィオナはそう言って笑い、廊下の奥に歩いていった。侍女が後を追う。


 一人になった廊下で、窓の外を見た。


 辺境の夜空。星が多い。都とは比べものにならないくらい。


 明日、博覧会が始まる。


 公開審査がある。公開討論がある。ゴードンが審査員にいる。マリエッタがレシピ帳を持ってくる。


 全部、来る。


 でも──さっき広間で聞いた声が、まだ耳に残っている。


 「品質管理は──私が確認している」


 掠れた声。領主の声。


 あれが「領地のため」の声だったのかどうか、私にはわからない。わからないけれど──あの声が、今夜の広間で一番温かかった。


 客間に戻って、借り物のドレスを脱いだ。


 明日は、畑仕事の格好で壇に立つ。

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