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継母に追い出された令嬢は薬草畑でのんびり暮らすことにした  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第2話 記録は嘘をつかない


 辺境伯府の紋章がついた書状が、畑の柵に括りつけてあった。


 ──呼出状だ。


 封蝋を爪で割る。指先が冷たいのは朝露のせいだけじゃない。


 『薬草栽培者サヤ殿。ヘルツ男爵夫人マリエッタより、調合レシピ帳の不正使用に関する申し立てがなされました。つきましては、辺境伯府にて審理を行いますので、三日以内にご出頭ください。 辺境伯代官 ダグラス』


 三日以内。フィオナの手紙から、三日。早い。


(──来た)


 予想していた。準備もしていた。でも、公式の書状を手にすると、胃の奥がきゅっと縮む。あの日、ヘルツ男爵邸の廊下で「あなたの部屋は妹に必要なの」と言われた時と同じ感覚が、一瞬だけ蘇って──消えた。


 あの日と今は違う。


 小屋に戻って、棚から栽培記録のノートを全部取り出した。十冊以上。半年分の日々が、ここにある。それから、母の薬草図鑑。「サヤへ」と書かれた背表紙を指でなぞった。


 レシピ帳と図鑑は別物だ。レシピ帳は調合の配合が書かれた手帳。図鑑は薬草の基礎知識──名前、特性、魔力含有率。私の薬草茶の配合は、この図鑑と前世の薬理学と、畑での実験から独自に組み立てたもの。レシピ帳の中身なんて知らない。見たことがない。


(記録がある。全部、ここにある)


 火根草と赤蔓花の組み合わせ。抽出温度の設定根拠。乾燥日数と魔力含有率の相関データ。一つ一つ、自分の手で試して、自分のペンで記録した。


 ノートを革紐で束ねて、図鑑と一緒に鞄に入れた。


  ◇


 辺境伯府は、石造りの重厚な建物だった。


 門をくぐると、長い回廊の先に審理の間がある。靴音が石の床に反響する。前世の薬局で、抜き打ち監査の審査室に入る時の緊張を思い出した。あの時は白衣だったけれど、今は土の匂いが染みついた外出着。


(まあ、中身は同じだ。書類で勝つ)


 扉が開いた。


 四角い部屋に、長机が一つ。正面にダグラスが座っている。黒い上着に辺境伯府の紋章。厳しい顔は、以前マリエッタの権利主張を退けた時と変わらない。


 机の左側に──マリエッタがいた。


 旅装ではない。深い紫のドレスに、控えめだけれど計算された装飾品。社交の場に出る時の装い。辺境伯府の審理を、社交の延長線上で戦う気だ。


 微笑んでいる。あの笑み。


「サヤ、久しぶりね。こんなところまで呼び出してしまって、ごめんなさいね」


 声が甘い。「慈しみ深い母親」の声。この部屋にいるダグラスに向けた演技だ。──哀れな継子を心配する善良な義母、という構図を作ろうとしている。


「ヘルツ男爵夫人。お久しぶりです」


 称号で返す。距離を取る。笑い返さない。


 机の右側に座った。鞄からノートの束と図鑑を取り出して、机の上に並べる。


 マリエッタの視線が、ノートの山に移った。眉が、ほんのわずかに寄る。──ノートの量を、想定していなかったらしい。


 ダグラスが口を開いた。


「では、審理を始めます。ヘルツ男爵夫人、申し立ての趣旨をお願いいたします」


 マリエッタが背筋を正した。


「私どものヘルツ家には、先妻が遺した調合レシピ帳がございます。薬草の配合が詳細に記されたもので、家の財産として管理しておりました。サヤはこのレシピ帳を在籍中に閲覧し、配合を暗記した上で──現在の薬草茶に転用しております。これは家の財産の不正使用にあたります」


 滑らかだった。準備してきた文面を、そのまま読み上げるような。


 盗用。


 私の薬草茶を、母のレシピの盗み写しだと。


 胸の奥で何かが熱くなった。怒りだ。母のレシピ帳を取り上げたのはあなたでしょう。私はあの手帳に触れることすらできなかった。それを「閲覧して暗記した」?


(──落ち着け。感情で戦うな。書類で戦え)


 前世の自分が、頭の奥で叫んでいる。


「サヤ殿、反論がありますか」


 ダグラスの声は事務的だった。どちらにも偏らない、法の番人の声。


「はい」


 立ち上がった。ノートを一冊、机の中央に置いた。


「これは私の栽培記録です。この畑を始めた初日から、今日までの全記録が収められています」


 ページを開いた。火根草と赤蔓花の配合比率のページ。抽出温度の実験結果。乾燥日数ごとの魔力含有率の変動データ。


「私の薬草茶の配合は、全てこの記録に基づいています。火根草と赤蔓花の組み合わせは、この畑に自生していた植物から独自に開発したものです。──レシピ帳と比較していただければ、配合が異なることは明白です」


 ダグラスの目が、記録のページを追った。それから、マリエッタを見た。


「ヘルツ男爵夫人。レシピ帳をお持ちですか」


 マリエッタが鞄から手帳を取り出した。──母の字。革の表紙。インクの染みが見える距離に、あの手帳がある。胸が締まった。手帳を開いているのがマリエッタの指だということが、ただ苦しかった。


(──今は、それを考えるな)


 ダグラスがニコを呼んだ。隣室で待機していたらしい。査察官として、配合の比較鑑定ができる唯一の有資格者。


 ニコが眼鏡の奥の目でレシピ帳を確認し、栽培記録を確認し、二冊を並べた。ページをめくる指が正確だった。一行ずつ、配合を照合している。


 沈黙が長い。


 マリエッタの指が、膝の上で組み直された。一度。二度。


 ニコが顔を上げた。


「ダグラス殿。──配合は完全に異なります」


 声は静かだった。


「レシピ帳に記載されている配合は、都で流通する一般的な薬草茶の調合に近いもの。一方、サヤ殿の薬草茶は火根草と赤蔓花を主体とした独自の配合であり、抽出温度も乾燥方法も異なります。盗用の痕跡は認められません」


 マリエッタの微笑みが、消えた。


 唇が引き結ばれる。目が細くなる。社交の仮面の下の、あの顔。以前、畑の前で権利主張を退けられた時と同じ──素の表情。


「申し立ては却下します」


 ダグラスの声は淡々としていた。


「栽培記録と査察官の鑑定により、不正使用の事実は認められません。──ヘルツ男爵夫人、他に申し立てはございますか」


「……いいえ」


 一言だった。椅子から立ち上がり、手帳を──母の手帳を鞄にしまう。その動作だけが、妙にゆっくりだった。


 ダグラスに一礼して、マリエッタが部屋を出ていった。


 私も一礼して、ノートを鞄に戻す。ニコが小さく頷いてくれたのが見えた。目が合って、ほんの一瞬だけ、唇の端が上がった。──査察官としてはこれ以上の感情表現はできないのだろう。十分だった。


  ◇


 辺境伯府の回廊を歩いていた時、前方に声が響いた。


 マリエッタの声だ。角を曲がった先、回廊の窓際に立っている。従者と話している──いや、独り言に近い。


「ならば博覧会で決着をつけるわ」


 低い声だった。社交の声ではない。


 足音を殺す前に、マリエッタの従者がこちらに気づいた。マリエッタが振り返る。目が合った。──一瞬だけ。マリエッタは何も言わず、踵を返して回廊の奥に消えた。


 博覧会。


(……次の戦場は、そこか)


 辺境伯府を出た。


 馬車に揺られて畑に戻る間、窓の外を流れる辺境の風景を眺めていた。春の野が緑に変わりかけている。


 母の手帳が、マリエッタの鞄の中にある。あの革の表紙。あのインクの染み。──いつか、取り戻せるだろうか。


 今日は、自分の記録が自分を守った。半年分の日々が、嘘を退けた。


 それだけで、十分だ。今は。


  ◇


 翌朝。


 畑に出て、足が止まった。


 縁台の上に、何かが畳んで置かれている。


 近づく。──外套だった。深い紺色の、仕立てのいい外套。丁寧に畳まれて、縁台の真ん中に。


(……風で飛んできた?)


 昨夜は少し風が強かった。どこかの物干しから飛ばされてきたのかもしれない。でも、畑は丘の上だ。麓から風で運ばれてくるには──。


「サヤちゃん、おはよう!」


 坂の下から、ハンナの声。今朝も走ってきたらしい。息を切らしている。


「おはようございます。──ハンナさん、これ、誰かの忘れ物でしょうか」


 外套を持ち上げた。軽い。でもしっかりした生地で、裏地に──。


「あれ、領主さんの外套よ」


 ハンナが柵越しに覗き込んで、即答した。


「……え?」


「アシュフォード卿のよ、それ。あたし前に一度見たことあるもの。あの紺色の、襟のところに小さく紋章が入ってる──ほら、そこ」


 襟の裏を見た。小さく、アシュフォード家の紋章が刺繍されている。


「でも──なぜ、ここに」


「あんた昨日遅くまで灯り点けてたでしょう。辺境伯府から戻って、記録の整理してたんじゃないの?」


 ……していた。審理の内容を記録に残すために、夜遅くまで小屋で書き物をしていた。


「領主さん、丘からあんたの灯りが見えるって前に言ってたじゃない。夜遅くまで灯りがついてたら、そりゃ心配するわよ」


「心配って──風で飛んできたんじゃ」


「あのね、サヤちゃん」


 ハンナが呆れた顔をした。


「あの外套が風で丘を上がって、柵を越えて、畑に入って、縁台の上にきれいに畳まれた状態で着地すると思う?」


 ……思わない。


「それ、誰かが置いていったのよ。しかも畳んで。丁寧にね」


 外套を見下ろした。


 紺色の生地。丁寧に畳まれた四角い形。朝露がうっすらと染みている。──夜のうちに置かれたのなら、朝露がつくのは当然だ。


(レンが──夜に、ここまで来て、置いていった?)


 昨夜は冷え込んだ。春とはいえ、辺境の夜はまだ冷たい。蝋燭の灯りの下で記録を書いていた私に──外套を。


「あんた、顔赤いわよ」


「赤くないです」


「赤い」


「──朝の冷気で血色がいいだけです」


「はいはい」


 ハンナはにやにやしながら坂を下りていった。途中で振り返って「それから市場でね、男爵夫人が『博覧会で決着をつける』って言ったらしいわよ! 商人の間で噂になってる!」と叫んで、手を振った。


 博覧会で決着。


 マリエッタの声が蘇る。辺境伯府の回廊で聞いた、あの低い声。


 ──次は、博覧会。


 外套を畳み直した。きれいに。丁寧に。朝の定例訪問の時に返そう。


 縁台に座って、外套を膝の上に置いた。


 紺色の生地に、朝日が当たっている。風が吹いて、かすかに──ほんのかすかに、あの人の匂いがした気がした。


(──気のせい。風の匂い。たぶん)


 たぶん。


 博覧会が、来る。記録を揃えて、品質を磨いて、自分の足で立つ。それだけは変わらない。


 でも今朝は少しだけ──この外套が、温かかった。

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― 新着の感想 ―
 面白いので、イッキ読みしてます。  虚偽の訴えをされたということで、逆に損害賠償請求しても良いと思います。  退けるだけじゃ、きっと懲りない。
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