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継母に追い出された令嬢は薬草畑でのんびり暮らすことにした  作者: 秋月 もみじ
第1章

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第10話 毎日飲みに来てもいいですか


 薬草畑に、春が巡ってきた。


 土の匂いが変わる。冬を越した薬草が、朝露の中で葉を広げている。赤蔓花の蔓は柵を超えて伸び、火根草の新芽が畝の端から顔を出した。水路のせせらぎが、いつもより少しだけ水量が多い。雪解け水だ。


 あの荒れ果てた畑が、こうなった。


 石垣は白く整い、畝は真っ直ぐ並び、小屋の壁板も新しいものに替わっている。全部、この手で。──いや、全部ではない。石垣はレンが直してくれたし、水路は領地の職人が掘ってくれた。一人で、ではなかった。


 でも、土を耕したのは私だ。種を蒔いたのも、記録をつけたのも、品質を守り続けたのも。


 それだけは、誰にも渡さない。



 朝の畑仕事をしていたら、ハンナが坂を上がってきた。


「サヤちゃん、聞いた? ヘルツ男爵夫人、社交の集まりに出なくなったって」


 手を止めた。


「……そうですか」


「そうですかって、あんた。もうちょっとこう、あるでしょう。『ざまあ見ろ』とか」


「ハンナさん、私そういうの言わないので」


「知ってるわよ。だから代わりにあたしが言っておいたの。市場でヘルツの領地の商人に会ったから、『あらまあ、男爵夫人、お元気? 離籍の通知義務がどうとかって噂、聞いたけど』って」


(──ハンナさん、それ言ったの……)


 言葉を失った。ハンナはにっこり笑って「あたしは薬草茶の恩があるからね」と胸を張った。


 恩。


 この畑に来て最初に冷え性を治したハンナが、私の知らないところでそうやって動いてくれている。頼んでもいないのに。


「それからね、ティナ嬢の方も大変みたいよ。辺境伯夫人に嘘がバレてから、社交界で相手にしてくれる人が減ったって。『姉は家出した』って言ってたのに、実際は追い出しておいて辺境で薬草の専門家をしてるんだもの。嘘をつく子は信用されないわよねえ」


 ティナ。


 十六歳の義妹の顔が、一瞬だけ浮かんだ。俯いて、唇を噛んでいた──あるいは笑いを堪えていた──あの廊下の日の、あの横顔。


 可哀想だとは、思わなかった。でも、胸がすく気持ちにもならなかった。ただ──私がここで畑を育てていたことが、勝手にあの人たちの嘘を壊した。それだけだ。


「……ハンナさん。畑の手伝い、お願いできますか。赤蔓花の挿し木を移したいので」


「はいはい、話題を変えたわね。いいわよ、手伝うわ」



 昼過ぎに、ニコが畑を訪ねてきた。


 ギルドの紋章入りの鞄は同じだけれど、前に来た時とは目が違う。摘発者の目ではなく、同業者の目。


「正式な報告書が受理されました。サヤ殿の栽培管理手法は、ギルドの推奨基準として公式に採用されます」


「……本当ですか」


「ええ。辺境だけでなく、都を含む全ての薬草栽培拠点に、あなたの記録方法を推奨する通達が出ます」


 棚の上に積んであるノートを見た。虫食いの紙から始まった、あの栽培記録。ハンナが余り紙をくれて、レンがきちんとした紙を手配してくれて、それでも毎日毎日書き続けたノート。


(──前世の上司、見てるかな。『佐山さんの書類は細かすぎる』って怒ってたくせに)


「ゴードン副長は?」


 聞いてしまった。


 ニコの眉間に、一瞬だけ皺が寄った。


「現場の査察結果と推奨基準の採用が重なり、辺境への査察方針の見直しが行われています。ゴードンの──独自の方針は、維持が難しくなりました」


 独自の方針。利権。ギルド外の薬師を排除する動き。


 それが、私のノート一冊で崩れた。


「あなたのおかげで、ギルドの風向きが変わりました。──ありがとうございます」


 ニコが深く頭を下げた。眼鏡がずれるのも構わず。


「いいえ。……こちらこそ、あの査察の日に正直な報告をしてくださったニコさんのおかげです」


 ニコは少し照れたように鼻の頭を掻いて、馬車に乗って帰っていった。



 午後。


 春の日差しが畑に降り注いでいる。赤蔓花の蔓が風に揺れて、甘い香りがふわりと広がった。水路のせせらぎ。鳥の声。


 お茶を淹れていた。


 二杯分。


 もう「淹れすぎた」とは思わない。二杯淹れるのが、いつの間にか当たり前になった。


 丘の稜線に、影が見えた。


 長い影。背筋が伸びて、腰に剣を佩いた、見慣れたシルエット。後ろにオスカーの影──はない。今日は一人で来たらしい。


「水路の視察」


 レンが畑の入口で言った。いつもの一言。


「水路はあちらですけど」


「……ああ」


 否定しない。最近は否定すらしなくなった。


 縁台に並んで座る。お茶を差し出す。レンが受け取る。いつもの動線。いつもの習慣。


 ──でも今日は、少しだけ違った。


 レンがお茶の器を受け取る時、指が私の手に触れた。


 それだけなら、いつもと同じだ。器の受け渡しで指が触れることは、前にもあった。


 でも今日は──離れなかった。


 レンの指が、私の手の上に留まっている。器を挟んで、二人の手が重なっている。温かい。お茶の湯気よりも、指の温度の方が鮮明だった。


 顔を上げた。


 レンの灰色の目が、私を見ていた。いつもの無表情──じゃない。唇が少し開いていて、眉間の力が抜けていて。こんな顔、見たことがない。


「このお茶を」


 声が、低かった。いつもの低さとは違う。選んだ言葉を一つずつ置いていくような、慎重な低さ。


「毎日、飲みに来てもいいですか」


 畑に風が吹いた。赤蔓花の花弁が一枚、ふわりと舞い上がって、二人の間を通り過ぎた。


 水路の管理でも、薬草の供給でも、領地の医療改善でもない。


 初めて──この人が、「ついで」じゃない言葉を使った。


 心臓が鳴っている。うるさい。指先から、手から、腕から、じんわりと温かいものが広がっていく。


「……毎日は、畑仕事の邪魔です」


 口を突いて出たのは、そんな言葉だった。


(──何言ってるの私!!)


 レンの指が、ほんの一瞬だけ強張った。


 でも。


「でも」


 間。


 自分の声が聞こえる。少し震えている。少し──笑っている。


「朝と、夕方なら」


 レンの目が、見開かれた。灰色の瞳の中に、春の日差しが映っている。


「……朝と夕方で、十分だ」


 声が掠れていた。さっきまでの慎重な声ではなく、息が足りない声。


 指が、まだ私の手の上にある。器は二人の間にあって、お茶はまだ温かくて、畑の薬草がさわさわと風に揺れていた。



 ──数ヶ月後の、ある朝。


 小屋の竈でお湯を沸かす。火根草を刻んで、赤蔓花の花弁を量る。温度を確認して、壺に注いで、蓋をして、五分。


 器を二つ、縁台に並べた。


 丘の稜線に、影が見える。今日は朝が早い。まだ朝露が光っている時間だ。


 長い影が坂を下りてくる。背筋が伸びて、腰に剣を佩いた──あの人。


「──今日は朝が早いですね」


「水路の視察だ」


「水路はあちらですが」


「……ついでだ」


 ついで。


(──ついでの範囲、まだ広いまんまだなあ)


 笑いが漏れた。レンの唇の端がほんの少しだけ上がるのが見えた。


 二人分のお茶を差し出す。レンが受け取る。指が触れて、今日は──手が重なったまま、少しだけ長く。


 畑に朝日が差し込んでいる。水路のせせらぎ。石垣の白い角。赤蔓花の蔓が、柵を越えて空に向かって伸びている。


 追い出された先に、こんな朝が待っているなんて、知らなかった。


 お茶が、今日も美味しく淹れられた。

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― 新着の感想 ―
お継母さまが吐いていった捨て台詞が捨て台詞で終わって良かった。あの手の強欲な人種は、手に入らないものは壊すという論理を持ってる場合があって 夜中のうちに油と火を放ってもおかしくないから。 引きこもりに…
絶妙な距離感と、現実感が良い
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