砂漠にて
カラド・エンプティ、マイスペイス聖量子教国の東方に広がる砂漠。そこに踏み込めばたちまち過酷な環境が襲い掛かってくる。大型の蟲、流砂、少ない水場、昼夜の寒暖の差。聖量子教国も手を付けられずにいる不毛の地だ。
その砂漠の奥深くにそびえ立つ塔は、人類の過ちの象徴だという。その証拠と言われているのが、塔の周辺に潜む不定形の肉塊、通称グロブだ。グロブは塔へ近づくものを見つけると、とりつき殺してしまうのだ。それは砂漠に住む恐ろしい蟲さえも例外ではない。だが、そんな砂漠で生活を営む種族は存在している、砂漠の民カラハット。
カラハットの子、アージはいつものように肉塊に殺された蟲の外殻を探しながら歩いていた。1つ間違えば命を失う危険はあるが、狩りに参加できる年齢となるまでは、外殻探しが子どもたちの仕事だった。子どもの仕事とはいえ馬鹿には出来ない。蟲の外殻は高く売れる、様々な用途に利用できる良い素材なのだ。
「動く蟲なし、肉塊なし」アージはつぶやく。カラハットは視力も良いが、それ以上に優れた聴覚の持ち主だ。足元の砂の振動、遠い風の音、全てを情報として拾い上げ、常に危険を察知しながら活動する。それがこの砂漠地帯で生きていける秘訣だった。
最近、蟲の外殻が中々見つけられない。外から来たハンターとかいう連中が外殻を漁るようになったせいだ。やつらは派手に動き回り、蟲をおびき寄せ、グロブにぶつけて始末させる。そんなやり方は砂漠の掟に反している、いつか必ず痛い目を見ることになる──とは言え、今の所上手くやっているという事実は変わらず、悔しさに歯噛みする。
ドンッ! 遠くで爆破音が聞こえた。また連中が蟲をおびき寄せようとしている、それはいつもの事だったが問題はその位置だった。自分と音のした方向を考えるとこのままではグロブと蟲に挟まれる、早く逃げないと……! アージは慌てて駆け出した。
ハアハア……全力で走り続けるが、蟲を引き連れている車両の音は離れるどころか近づいてきている。ウソだろ? あいつらグロブの生息域もロクに把握してないのか? 最短距離がルートになると考えて走り出したアージだったが、ハンター達の非効率的な動きまでは考えに入っていなかった。軽いパニックになったアージはさらに走り続ける、砂漠で走るのには慣れっこだったが、それも限界を迎えようとしていた。肺が酸素を求め、脚の筋肉が悲鳴を上げている。もう走れない、フラリ……とよろめいたアージの足が砂に沈み始めた。
「しまった! 流砂だ!」
砂漠に住むカラハットは通常なら流砂に嵌ったりしないが、蟲から逃げ続け、さらに迫ってくる車両の音に気を取られ注意が疎かになってしまっていた。
チクショウ! 怒り、悔しさ、死への恐怖、一度に様々な思いが駆け巡る。乾いた砂が喉元を過ぎ、耳元でザラザラと囁く。抵抗しようにも、全力疾走で疲れ果てた体は重力に逆らえない。成すすべなく飲み込まれ、やがて頭も完全に沈み、伸ばした手も砂に消え去ろうしていた。アージが全てを諦めかけたその時、ガシリと力強く大きな手が自分の手首を掴むのを感じた。
死の世界から一転、地上へと引っ張り出され、激しく咳き込むアージにサッと影が差した。
「大丈夫か?」
アージは声をかけて来た男の方を振り向き、礼を言おうとして……新たな恐怖に体を強張らせることとなった。
その男はヒュームのようだが、今まで見たことも無い大きさだった。ハンターと呼ばれている男たちもそれなりの体格だったが、それよりも1回り以上は大きい。そして気遣う言葉とは裏腹の鋭い目つき、顔に残る大きな傷痕がその恐ろし気な容貌をさらに印象付けている。
「あ、ああ、ありが……とう」
助けてくれた相手に失礼だとは感じつつも、その偉容に声が震えてしまう。だが、その男は気にした風も無く「そうか」と短く呟くのみだった。その後、アージは名乗ってもいなかった事に気づき、立ち上がった。
「オイラ、アージってんだ。助けてくれてありがとう、アンタ命の恩人だ。お礼をするから是非村に来ておくれよ」
アージは改めて名乗ると、ペコリと頭を下げた。
「ガルドだ、旅をしている。偶々通りがかっただけだ、気にすることは無い」
そういうとガルドは口元を歪ませた。一瞬ドキリとしたが、どうもそれが笑顔のつもりのようだった。
「ガルド、この子が怖がっていますよ。もう少し顔面の筋肉の使い方を覚えるべきですね」
ガルドに注意をする少女の声がしたが、辺りには他に誰も居ない。
キョロキョロするアージが可笑しかったのか、少女のクスクスという笑い声が聞こえた。
「私はベイビル、今はガルドの腕輪の中、旅のお供をしています。よろしくお願いしますね」
ガルドが差し出した左手首に、鈍く光る銀の腕輪が嵌められていた。
無骨な男には似合わない装飾品だが、それが言葉を人の言葉を話すとは尋常な腕輪ではない。長老の話で聞いた遺物級のシロモノであるとすぐにわかった。
この短時間に色々と事が起こりすぎている……許容量を超え、アージはどう対応するのが正解なのか分からなくなってしまう。
「おまえだって警戒されているようだぞ?」
「あらあ? おかしいですね。私のような存在は、そこまで珍しく無いはずですが」
「300年の空白があれば、ベイビルの常識もだいぶずれてるんじゃないのか?」
「そうでした、ガルドの年代差に気を取られていましたが、私もそれなりに空白期間があるのでした……」
黙りこくっているアージを見てガルド達が話をしていると、少し離れた所をハンターの車両が走り抜けて行った。車両を追っている蟲達はかなりの数がいるようで、その後ろから大量の砂塵が舞っている。
「こっちに来ている蟲がいる! 早く逃げないと!」
自分が避難中だったことを思い出し、アージが叫んだ。
「走れるのか?」
「うっ……」
問かけに言葉が詰まったアージを、ガルドはひょいっと左肩に担ぐ。アージは唐突な目線の高さに動揺するも、そのがっしりとした肩の上で妙な安心感も覚えていた。
その直後、目の前の砂がせり上がりその下から、高さだけでガルドと同じサイズの巨大なサソリのような蟲が現れた。「ノスカリドだ!」アージが恐怖の叫び声を上げる。
凶悪形をした2対の巨大な鋏、棘のある尾には猛毒がある。しかも外殻の色は最高硬度の黒、最悪だ……アージは、もしも生きて帰れたらまじない師のババ様にお祓いをしてもらうと決めた。
迫りくる巨大な鋏に対して、ガルドは右腕一本で迎え撃つ。その結果はアージの予想に反して、その右腕はいとも容易く鋏をはじき返す、どころか鋏はぶつかった勢いで逆側にへし折れた。
「え?」
アージが驚きの声を漏らすのもそのままに、ガルドはすかさず突進しノスカリドの頭部に掌底を叩き込むと、ブォンという振動音が蟲の中を通っていくのをアージは聞いた。ノスカリドはビクリと震えた後、二度と動くことはなかった。たった1発の掌底、それだけでノスカリドは沈黙した、アージの常識ではありえない事だった。
「すごい……信じられない」
「硬いのを相手にするのは慣れてる、コツがあるんだ」
こうして、こう、と先ほどの掌底の動きをしてみせるガルドだったが、アージにはまったく理解不能であった。
「ガルド、おそらくそれはコツだけでは出来ませんよ」
「まあ確かに、ええと……アージだったか、まだ子どもだからな。筋肉が足りないな」
「そうですよ、焦る事はありません」
慰めてくれているつもりなのだろうか? 先ほどのような真似はカラハットの力自慢、怪腕ドレンでも出来るとは思えない。
「それよりこの後だ。アージ、お前を村まで送って行いくから道案内を頼む」
「ああ、はい。お願いします」
そうは言ったもののアージの視線はノスカリドの死骸に釘付けだった。これだけの大きさ、しかも黒色のノスカリドの完全な状態だなんてどれだけ価値があるだろうか。それに、ここに放置すれば、あのハンターどもが回収してしまうだろう。それはとても腹立たしく、認めたくない事だった。
「あの……助けてもらった身であつかましいお願いなんだけど、こいつ運ぶことなんて、難しいかな?」
「ん、そうだな。村に行ったら色々と聞きたいこともあるし、手土産ぐらい必要か」
ガルドは特に気分を害した様子も無く、アージを担いだままノスカリドに近づくと、折れてない方の鋏を掴みズルズルと引き摺りだした。
「うわぁ、出来ちゃうんだぁ」
「ガルドは力持ちですからね、これくらいは出来ますよ」
感嘆とも呆れともつかないアージの言葉に、何故か自慢気な声で返すベイビル。
「それで、どっちに向かえばいい?」
アージの案内に従って進んでいると、車両が近づいてくる音をアージの耳が捉えた。
「ハンター達が来る、もしかしたら横取りしようとするかもしれない」
「横取り? ハンターというのは野盗まがいの事をするのが当たり前なのか?」
「あの連中はロクデナシなんだよ、オイラ達、砂漠の民を馬鹿にしてるんだ」
そんな会話をしているうちに、車は行く手を塞ぐように停まると、武装した3人の男が降りて来た。
「ウヒョー、お前、やるじゃねえか、こいつは大物だなぁ!」
「こいつは、ボスから特別報酬が出るのは間違いねぇぞ」
「しかも、カラハットのガキまで攫うとはやるじゃねえか」
この三人の発言をまとめるに、ガルドはハンターの一味と間違われており、肩に担いでいるアージを攫ったと思っているようだ。ガルドとしてもそう言われてみれば、誤解される状態だなと変に納得してしまった。
それにしても気になるのが、三人目の発言だ。人攫いを咎めるどころか、褒めるとはどういうことだ。
「…………俺はお前たちの仲間ではない」
「ああ?」
「手柄を独り占めってのは良くないなぁ」
「お前みたいなデカブツ忘れるはずがねえ、見覚えが無いということは新入りなんだろ? 粋がりたいのはわかるが痛い目みるぜ?」
そう言って、威嚇のつもりか手に持った武器をガルドに向ける男たち。
ああ、面倒くさい。この3人はガルドの会話上限を振り切った。
ドサリ、とガルドの手から離れたノスカリドの鋏が音を立てる。獲物を渡すつもりだと勘違いしてニヤリといやらしい笑みを浮かべた手前の男が、口を開こうとした直後。
ガルドの腰のホルスターからレーザーガンの抜き撃ちが炸裂した。
「あがっ!?」
「イイッ!」
「ごばっ!」
瞬く間に3人が崩れ落ち、白目をむいてピクピクと痙攣している。非殺傷モードで十分に戦闘能力を奪うだけの威力があるようだった。
「うわぁ」この日何度目になるだろうか、感嘆の声がアージから漏れる。
「こういう手合いには、一番冴えたやり方ってやつだ」
「そうでしょうか? そうかも?」
「手加減するのは面倒なんだ、こっちは楽でいい」
ガルドはそう言って腰のホルスターに収めたレーザーガンをポンと叩いた。その後、痙攣している3人から武器を取り上げ、車に押し込んだ。
「さて、改めて村への案内を頼む」
「うん」
アージは体力が戻ってきているのを自覚していたが、ガルドの肩の上が気に入ってしまい。そのままにしていた、ガルドも特段気にした様子も無く平然とアージを抱えた歩き続けている。
「あれがオイラの村、ルンカラだよ!」
アージの指し示す先に壁で囲われた小さな村が見えて来た。




