プロローグ
希望に胸を膨らませ、入学式で周りを見渡す。
だが、そこに想像していたような華やかな人間は一人もいなかった。
漫画や小説で描かれるような、個性豊かなキャラクターたち。
そんなものは現実には存在しないらしい。
「人生は自分で変えるものだ」
そう自分に言い聞かせ、割り当てられた席に着く。
退屈な日々を過ごすなんてごめんだ。
問題を起こし、友達と悪ふざけをして、先生に叱られ、くだらない愚痴を言いながら帰る。
中学時代と何も変わらない、最高にくだらない日々が、もうすでに始まっていた。
高校生活が始まって3ヶ月。
夏が訪れ、俺はたくさんの仲間とつるんで遊んだ。
授業をサボって隣のクラスに乗り込み、通りすがりの老人から金を巻き上げ、鬱陶しい美人教師を数人でからかう。
毎日が刺激的で、楽しかった。
いつものように数学の授業を潰そうと、俺は教師に絡んでいた。
ハゲをいじり、数学なんて勉強しても意味がないと挑発する。
「いい加減にしなさい!」
その声は、教師のものではなかった。
俺は机に体重を預けながら立ち上がった。
メガネをかけた委員長に殺意を覚えた。
「なんだ、お前」
「あなた、入学当初からまともに授業を受けていないし、日頃から周りに迷惑ばかりかけて、恥ずかしくないの?」
「え? なになに? 真面目ちゃん? 女がでしゃばるんじゃねーよ」
耳に手を当ててからかい、下品な言葉で彼女を小馬鹿にする。
当然、委員長が黙っているはずがない。
「女がどうとか関係ないでしょ! 入学したてはまだしも、最近じゃ犯罪まがいのことばかりしてるじゃない! わかってるの?」
「うるせぇな、ババア」
「私がババアなら、あんたはジジイでしょ!」
俺は舌打ちをし、クラスを見渡す。
クラスメイトの反応は、二つに分かれていた。
半分は恐怖に震えながら机の木目や教科書と睨めっこをしている。
もう半分は、ニヤニヤと楽しそうに俺を見つめている。
俺はニヤついている奴らに向かって指示を出した。
「おい、お前ら! こいつ締めるぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、委員長の顔は真っ青になり、全身を震わせた。
ようやく自分の立場を理解したらしい。
「なぁ、お前と俺とじゃ身分が違うんだ。大人しくしとけ」
男三人で委員長を連れ出し、俺を含む大勢の男が後に続く。
屋上で彼女を縛り上げ、散々辱めた後、動画や写真を拡散した。
真面目な性格が浮いていた彼女は、他の女子生徒からも陰湿な嫌がらせを受けることになった。
それでも彼女は学校を辞めなかった。
俺だったらとっくに辞めている。
「おい、ボスはヤらないんすか? こいつ、メガネ外すと結構美人っすよ!」
「そうか? そんなやつに手出したら俺のが腐るわ。よくお前らできるな」
すべてを諦めたような表情の委員長を、俺は嘲笑する。
俺に逆らえばどうなるか、他のやつらにもわからせることができた。
思惑通り、俺に楯突く者はいなくなり、俺は欲望のままに高校生活を謳歌した。
「今日も公園のジジイから巻き上げた金でカラオケでもいかねーっすか?」
「いや、やめとく。用事があるから」
「そうっすか……」
和寿の誘いをきっぱりと断った俺には、やるべきことがあった。
遊ぶための金は巻き上げればいい。
だが、そうはいかない金もある。
汚い金ではなく、綺麗な金でなければならないもの。
高校生になって始めたコンビニバイト。
学校で不良をやっている俺が真面目に働く姿なんて、誰も想像しないだろう。
というか恥ずかしくて、絶対に見せたくない。
マスクをつけ、言葉遣いに気を付けていれば、バレることはないはずだった。
「ねぇ! 会計間違ってるんだけど!」
「はい、すいません。えーと……」
クレームをつけてきた客は、さっき俺をカラオケに誘った不良仲間の和寿だった。
心臓が高鳴り、冷や汗がダラダラと流れ出る。
動揺してぐだぐだしていると、店長に強引に交代を命じられた。
「お前は裏に行っとけ。邪魔だ」
「はい」
店長の指示通り、俺は裏方作業を始めた。
客の対応を終えた店長が俺の作業を止め、説教を始めた。
「お前、ああいう不良は面倒なことになるかもしれないんだぞ! それに、金を扱ってるんだ! おままごとがしたいならさっさと帰れ!」
「す、すいません」
内心で「さっさとくたばれ、クソジジイ」と思いながら、それを必死で丸め込み、深々と頭を下げた。
マジでイライラする。
日付が変わる時間に帰宅する俺の頭の中には、店長の説教が永遠と脳内でリピートされていた。
地面の石を蹴りながら歩く。
「あのクソジジイが! さっさと死ね!」
都会とは言えないこの地域では、店の明かりやビルの灯りはなく、街灯の光だけが俺の影を作り出す。
蹴った石が用水路の穴に入り、自分の影ともう一つの影が見えた。
「くぅぅん……」
犬だった。
痩せ細って道の真ん中でうずくまっている。
「犬っころ、邪魔だ、どけ!」
イライラしていた俺は犬の腹を蹴り上げ、道の端にどかした。
道の真ん中にいるだけで鬱陶しかった。
この行為がただの八つ当たりだと心の奥底ではわかっていたが、その感情は埃をかぶった金庫の中で眠っている。
ボロアパートに帰宅した俺は、真っ先に弟の部屋に向かった。
「おい、大丈夫か?」
「兄さん、おかえり」
「良かった、生きてるな」
「そう簡単には死なないよ」
弟の晴弘は、大病を抱えている。
詳しいことはわからないけど、運動神経に関わる病気で、俺が知る限り、5年以上寝たきりの生活を送っている。
いつか歩けるようになってほしい。
「ハル、ゼリー買ってきたけど食べるか?」
「盗んでないよね?」
「ちゃんとバイトして買ったやつだから安心してくれ」
「ならいいけど」
ゼリーを食べる晴弘の横で眠気にうとうとしていると、玄関の鍵が開く音がした。
俺はビクッと体を震わせる。
「か、母さん、おかえり」
「ただいま」はなかった。
酒臭い。
「はい」と手を差し出す母に、俺は息を吸い、吐き出すのを堪えた。
この手の意味を知っていたからだ。
「早くバイト代出しなさいよ。ハルを助けたいんでしょ? ちゃんと治療費に当てるから」
「うん……」
俺は給料が入った封筒を母の手に置き、それを離さずに言った。
「本当にハルは助かるんだよね?」
鋭く睨まれた。
「誰のおかげでここまで育ったと思ってるの! 早く渡しなさい! こっちは仕事で疲れてるのよ、この馬鹿息子が!」
「うん、ごめん」
母がおかしくなったのは、晴弘が病気になってから……いや、正確には父が事故で亡くなってからだろう。
俺と晴弘が父の死に涙を流している間、母は葬式にすら来なかった。
最初は母も辛いんだろうと思っていたが、全く違った。
父の保険金で遊びまわっていたのだ。
毎日、夜中まで飲み歩き、返ってこない愛に金を注ぎ、ギャンブルで増やそうと試みる。
俺は小遣いや給食費をもらったことがなかった。
友達はみんな金を使って遊んでいた。
それが死ぬほど羨ましかった。
自分だけ我慢を強いられるのが辛かった。
最初は、「ちょっと金貸してくんね?」から始まった。
もちろん返す気はなかったが、「ちょうだい」よりはマシだと思った。
いろんな奴、特に気弱そうな奴から金を巻き上げていくうちに、俺は王様気分になった。
どうせなら支配して、欲望のままに生きてみたい。
家で溜め込んだストレスを学校で発散する。
そんな中学生活を送っていると、弟が病気になった。
まだ小学生なのに、余命宣告をされた。
その事実をうまく飲み込めなかったが、なんとかしなければならない。
「父さんの保険金を使おう」
母にそう提案したが、保険金はもう使い切ったらしい。
どうすればいい?
俺にはわからなかった。
考えられる脳みそを持ち合わせていない。
とりあえず金が欲しい。
治療費をどうにかして手に入れたい。
治る病気かわからないけど、やれることはやりたい。
未成年の俺ができることなんて限られていた。
中学生だった俺は、バイトもできない。
いや、収入源ならある。
誰かから盗めばいい。
悪に手を染めた俺は、「仕方ない」と自分に言い聞かせ続けた。
悔しいけど、こうするしかない。
そもそも法律が悪い。
未成年でも働けたらいいのに、それは許されない。
めちゃくちゃムカつく。
たった一日で、10万円近く盗むことができた。
母と弟に、それを治療費に当ててくれ、と頼んだ。
「よこしなさい。それは私が有効活用してあげる」と母に取り上げられた。
ガキの俺が持っているよりはいいのかもしれない。
けど、信用できなかった。
行動はしたけど、ここで詰んだ。
二回目は、母に言わずに弟と話した。
しかし、盗んだ金での治療は受けたくない、と言われた。
じゃあ、この金はどうすればいいんだ?
どうせ使い道のない金だ。
俺は友達の誘いに乗ってみた。
いつもなら断るはずの遊びは、今までに感じたことがないくらい楽しかった。
俺にとって、たった一つの逃げ道になった。
俺の素行の悪さは、時間とともに増していった。
そして、最終的に出来上がったのが今の俺だ。
いつものように学校で遊んでいると、この場には不似合いな男が数人、クラスに入ってきた。
俺はその光景にめまいがした。
この状況に耐えられないのは、俺だけではないはずだ。
一秒でも早くここから逃げたかった。
「公園の老人からカツアゲしているという通報を受けた。この学校の制服を着ていたそうだが、何か知らないか?」
この状況では、俺たちは弱い立場になってしまう。
誰も何も言わないでくれ、と思ったが、メガネの委員長は黙っていないだろう。
俺は人生の終わりを悟った。
「晴康が老人に暴力を振るっているのを見たことがあります」
は?
その声は、女の声ではなかった。
いつも俺をカラオケに誘ってくる和寿のものだった。
「てめぇ! 警察と俺とではどっちの方が脅威か教えてやるよ! クソ野郎! ぶっ殺してやる!」
警察が俺の席を囲む。
「君、ちょっとついてきてもらおうか」
「は!? いや、待ってくれ! 俺だけじゃねーよ! 他のやつもやってる! 和寿だってそうだ!」
「いいから! 話は署で聞く」
腕を強引に掴まれ、引っ張られながら教室を出ると、最後に和寿のホッとした表情が見えた。
絶対に殺してやる。
警察の捜査によって、俺が今まで犯してきた罪がすべてバレた。
未成年ということもあって、軽い刑で済み、学校側からは停学処分が下された。
和寿たちも、いずれバレるだろう。
重い足取りでバイト先に足を運ぶ。
「晴康……」
「はい?」
店長は俺に軽蔑の眼差しを向けながら言った。
「二度とここに来ないでくれ」
「いや、待ってください! 俺には金が必要なんです! 頼む! 多めに……」
「金を盗んで生きていて、よくそんなことが言えるな」
膝から崩れ落ち、絶望の味を体験した。
俺に居場所はなくなった。
学校の仲間には裏切られ、働き口を失った。
これ以上の絶望を、俺は味わったことがない。
弟の晴弘の治療費を稼ぐ方法はない。
また盗む?
いや、さすがに俺もそこまで馬鹿じゃない。
汚い金での治療は晴弘自身が受け入れないだろうし、今度こそ刑務所行きだ。
母からも怒られるだろう。
金を稼げないから。
母に毎月渡していた生活費も、もう渡すことはできない。
晴弘に、食べさせてあげることも。
ボロアパートの階段を上り、玄関を開ける。
帰ったらすぐに晴弘の様子を見るのが日課だ。
でも今日は、いつもとは違っておやつは買っていない。
クビになったから。
「晴弘…………っ!」
晴弘は珍しくベッドから起き上がっていた。
歩いているどころか、首に太い縄をかけ、宙に浮いている。
「なんで……こんなことに……」
溢れる感情は、さすがに抑えきれなかった。
俺が我慢させすぎたかな?
我慢せずに言って欲しかった。
いや、それとも俺が鬱陶しかったのか?
なんでお前が死ななきゃいけないんだ。
他人の感情を考えたことがなかった俺には、晴弘が自殺した理由がまったくわからなかった。
いくら考えても、記憶を辿っても、答えにはたどり着けない。
そして「我慢」という言葉で、もう一人、心に引っかかった人物がいた。
メガネの委員長だ。
俺のいじめのせいで、あいつも自殺するんじゃないか……そんな懸念が頭をよぎった。
あいつ、生徒会だったよな……
生徒会は放課後遅くまで仕事をしていると聞いたことがある。
学校中を隈なく探したが、彼女の姿はなかった。
屋上を残して。
階段を駆け上がり、ようやくたどり着いた屋上。
全裸で全身に痣のある委員長が、柵を乗り越えて立っていた。
「ま……」
「待て」と言おうとしたその声は、寸前で止まった。
崖の端まで追い込んだ俺が、最後の最後で手を差し伸べる資格があるのだろうか。
「おっ、晴康! 警察からは逃げてきたのか?」
後ろから声をかけてきたのは、俺を警察に売り飛ばしたのと同じ声だった。
その声に、俺は怒りを抑えきれなかった。
「和寿か、てめぇぶっ殺してやる」
和寿の胸ぐらを掴んだが、和寿は俺の目を見ず、俺の後ろに視線をやっていた。
その視線を追うように後ろを向くと、鉄パイプで顔面を殴られた。
俺の顔は潰れたトマトのように血を流し、朦朧とする意識の中で、最後にやらなければいけないと思ったことを遂行した。
飛び降りようとするメガネ委員長を屋上の中心に投げ飛ばした。
体は毎日のようにしていた喧嘩で鍛えられていたが、作用反作用の物理法則には逆らえず、代わりに俺が落ちた。
なんで助けたんだろう。
いや、少なくとも委員長は死ぬべきじゃない。
追い込まれたからって死ぬんじゃねぇよ、クソメガネ。
生きてたら、なんとかなる。
俺は生きてたってどうにもならないけど。
俺が他人にやったことは、許されるべき行為じゃない。
潔く死んで、地獄に行って、償いたい。
なんで人は追い込まれたら死のうとするのだろうか?
生きる理由がないから?
そもそも……
生きるのに理由を問うことは間違っているのだろうか?
読んで頂きありがとうございます。
浪人していて、勉強の合間に小説を書いているのですが、勉強に意味ってなくね?とか、生きることに意味ってあるか?と思い、書きたいと思った作品です。