先に進むキミへ、過去に留まる私より
それから九年、私たちは一緒に過ごした。夏に走り、秋に学び、冬を耐え、春を謳歌した。成長して凛々しくなっていく彼の姿を見る度に血を吸ってしまいたいという衝動は強くなっていった。彼と過ごす日々はとても穏やかで楽しかったけれど、それを耐えるのだけは苦しかった。
初めて出会った日、彼が大人になるまで、と期限をつけたが実際それが私の限界だった。渇きは日に日に増していっているし、日光もこれまで以上に苦手になった。吸血鬼としての性質が強くなっている。このままだと一年も経たないうちに彼の血を吸いつくして殺すか、もしくは彼を眷属にして自分と同じような化け物に変えてしまうだろう。それだけは言葉通り死んでも御免だ。だから本当にそろそろ彼とはお別れしないと。
問題は死ぬ場所とタイミングだ。レンは私みたいな女を敬愛してくれている。彼の目の届く範囲で死んだら多分悲しんでくれるだろう。嬉しいがそうなるのは少し困る。
だから彼を人の世に送り出して、無事を見届けた後、姿を消すことに決めた。別れ際に凄まじく嫌われるようなことを言い放てば私のことを追いかけるようなこともなくなるだろう。我ながら冴えていると思う。
そして今日、私は彼とともに外の世界に旅立つことに決めた。森を出て適当な街に向かい、しばらく彼が馴染めるかどうか観察してから別れるつもりだ。当座の資金については持っていた宝石やら遺物やらを売ればなんとかなるだろう。
彼には本当の目的は伝えず、社会見学みたいなものと伝えておいた。一か月前にこの旅のことを伝えた時彼は一瞬の躊躇いもなく頷いて提案を受け入れた。私が彼を置き去りにするつもりだなんて夢にも思っていないのだろう。嘘を言うのは心苦しかったがいずれ訪れる別れに比べたらこんなものはなんでもない。
「……」
本当に健やかに育ってくれた。私の腰辺り程の背丈しかなかったのに今では肩が並んでいる。武芸についてもそれなりに厳しく教えたつもりだが、決して投げることをせずモノにしてみせた。もっとも彼は苦痛への耐性が人一倍高く、諦めるなどという選択肢を持ち合わせていない人間だからなんとも思っていないだろうが。
魔術については…残念ながらあまり上達はしなかった。魔力量は人並みにあったがコントロールが絶望的で自分を殺しかねない有様で、時間をかけても改善の兆しは見えなかった。初歩的なこと以外はまるで出来ない。本人は教えを受けたのに熟せないことに大いにショックを受けていたが挫折も成長には不可欠だ。あれはあれでいい教訓になったと思う。普通に生きる分には魔術なんて必要ないし。
曙光を浴びながら深く息を吸い込む彼の姿を眺める。物理的にも日光が毒になっているというのもあったが、あまりにも眩しすぎる光景だった。
「どうした?ティーネ?どこか具合でも悪いのか?」
「……ううん、なんでもないさ。ただ今日は天気がいいなあと思っただけで」
「ああ、晴れでよかった。雨で馬を走らせるのは危険だから」
彼は魔術以外はなにをやらせても大抵熟せたが美的センスには乏しかった。文学の比喩表現などを理解できないし、絵も被写体の特徴を捉えることは出来たがあまりに写実的すぎて遊び心に欠けていた。
「そういうことじゃないが、まあいいや。色々教えたけれど結局キミに風流の何たるかを教えることだけは出来なかったなあ」
「……要するにそれって何が綺麗かを知っているか、ってことだろう?それならオレにだって分かる」
「へえ?キミにそんな美意識があったとはねえ。じゃあ何が綺麗だと思っているんだい?」
「それは………」
「?」
彼が耳を赤くさせて押し黙る。一体どういうことなのか、よく分からない。こんな反応を見せたのは川で水浴びしてたところを見られた時以来だ。家族みたいなものなのだからあんなに恥ずかしがらなくてもいいだろうに。
「分かった!!女絡みだろう。助けた村娘に言い寄られてたじゃないか。あの子のことが気になってるのかい?結構綺麗だったしね」
基本的には森の中で暮らしていたが時折外に出ることもあった。食料や日用品を買い足すため、彼の社会勉強のためなどに。そんなわけで最寄りの村の人間とはそれなりに交流がある。
件の村娘とは顔見知り程度だったが森で熊に襲われたところを助けたことで惚れられてしまったようだ。以来外に出る度に近寄ってくる。
彼の年齢は本人も覚えていないので正確には分からないが十六そこらだ。色恋に目覚めるのには遅すぎるくらいだった。
「……」
女絡み』と口にした時の狼狽えようが尋常ではなかったからアタリだと思ったのだが、彼の表情は私が言葉を紡ぐたびに反応は白けたものに変わっていった。もしかして相手が違ったのか。
「え、あの子じゃないの?」
「……アナタは鈍感すぎる」
不機嫌そうに彼はそっぽを向く。機微には聡いつもりなのだが。結局誰のことなのか見当がつかない。
「ねえ、結局誰のことなんだい?教えてくれたまえよ。私には師匠として弟子の恋路を監督する権利があるんだよ」
「…そんなものはないし、もう出発するんだろ。置いてくぞ」
尚もしつこく尋ねると彼はそっぽを向いて荷を積んだ馬に跨がってしまった。最後の言葉はなんでもないものだったが今の私には深く突き刺さって、少しの間息を忘れる。
「……」
「ティーネ?」
「なんでもない!!じゃあ行こうか!!」
感傷を振り払って明るい声を出す。その勢いのまま鞍に乗り、馬を走らせる。すぐに後ろを彼がついてくる気配がした。
正直なところもう私の手助けなどなしに生きていけるのは分かり切っている。けれど、あと少しだけ、あと少しだけ彼の姿を見ておきたかった。未練だというのは自覚している。
「…置いてくぞ、か。そうだね。置いていかれちゃうんだ」
気づかれないように小さく独り言を言う。キミは私を置いて、未来に行く。私はキミを置いて、過去に留まる。こうして一緒に居られるのはあと少しの話。
そんな先のことを想像すると、つい手綱を引いて立ち止まってしまいそうになるけれどそれを堪えて走り続けた。