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月夜の誓い

 レンは泣き終わった瞬間眠ってしまった。食事の最中妹のことを思い出して、彼女にも食べさせてあげればと考えて泣いてしまったそうだ。彼の過去の中にも大切なものがあることを知れて安堵したが、同時にそれすらも奪われてしまったことを知って胸が痛くなった。もし、私がその場に居ればレンの妹を奪ったヤツを殺してやったのに。


「…ダメだな。親代わりになるならそんな物騒な考えは捨てないと」


 そう独り言ちて彼の寝顔をそっと撫でる。起こすのもかわいそうなのでそっと彼を私の部屋に運んで一緒に眠ることにした。別にレンの寝顔を覗きたいとか抱き枕にしたいとかそんな邪な考えはあることにはあるが、今夜は傍にいてあげたいと思ったのだ。


 こうして黙って眠っていると本当に女の子みたいだ。せっかくだし幼い内に女装でもさせてそれをモデルに絵でも描いてみようか。こんな逸材の記録をしないなんて世界の損失だ。


 それにしても本当に驚かされた。数時間、どれだけ長くても一日あれば思っていたのに私の方が先に音を上げるなんて。ここまで意志の強い人間は今までで数えるほどしか見たことがない、子供となれば一人もいないだろう。


 危険なことに首を突っ込んでほしくないから武術なんて教えない方がいいと思っていたがそれは逆だった。この子は人間として、いや生き物として大切な防衛本能が欠けている。逃げるという選択肢を選べない彼には戦って勝つ術が必要だ。それしか彼の命を守る方法はない。一生私が守ってやるという手もあるが私が自分に与えた猶予は彼が大人になるまでだ。その後も死を先延ばしにすることは出来ない。


 彼の精神力に比べれば小さなことだが半分近く木を切っていたことにも驚かされた。あの木はただの木じゃない。私の魔術で強化して鋼並に硬化させていた。万が一にも彼が成功してしまわないように。だというのにあと一歩のところまで切ってしまうなんて。


 実際に武芸の才能があるかはまだ分からないがこれだけは言える。彼は間違いなく一門の人物になれると。才に乏しかろうともこれだけの克己心と精神力があれば大きなことを成し遂げられるだろう。


 そしていい男にもなるだろう。融通が利かなくて頑固なところはあるがとても優しくて勇敢だ。なにより顔がいい。今はまだ女の子みたいな顔をしているが歳をとれば男前になると私の勘と経験則が告げている。でもやっぱり今の可愛いレンも捨てがたいな。


 最初はあまり気乗りしなかったが彼に技を教えるのが、彼の成長を見届けるのが今は楽しみだった。


 そんな将来有望な少年が今目の前でスースーと幸せそうに寝息を立てている。我が子のように愛おしくて本当に食べてしまいたいくらい。


「……」


 あどけない寝顔。瑞々しく細い首。その下に流れている血の味を想像して喉が鳴る。


 人間は老いる。老いてやがて死ぬ。そうなる前に、このまま本当に、この少年の血を、飲み干して───


 


「───!!」


 無意識の内に首筋に口を近づけていることに気づいて慌てて顔を引っこめた。鼓動が頭の中で痛いくらいに鳴り響いて呼吸が酷く乱れている。


 


 人の血を飲みたいだなんてここ数十年感じていなかったのに。どうして今になって───


 いや、それは違う。私はこうなることを知っていたから人から逃げて森の中に引きこもっていたんだ。分かり切っていたことなのに私は彼の面倒を見るだなんて言い訳をして引き取った。


 本当に彼のことを思うならこんな血に飢えた吸血鬼擬きじゃない、もっと相応しい里親に引き渡すべきだったのに。結局私は人恋しかっただけだったんだ。


 自己嫌悪とともに忘れようと心の奥にしまっていた記憶が顔を覗かせる。憎かった相手だけじゃなくなんの罪のない人達までたくさん手にかけた時の感触。


 大勢の人間が、頭が割れそうなほどの声を出している。罪を償え、なにをしようがお前の魂は呪われていると叫んでいる。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 耳を塞いでも、何度謝っても、声は止まない。当然だ。自分の内側から響いているのだから。


「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて!!」


 声を止めるために鼓膜を破ろうとしたが寸前で小さな手がそれを引き止めた。


「……泣いているの?」


 目を覚ましたレンが私の手を掴んでいた。あんなに騒いでいて起きないわけがない。彼を寝かしつけるために同じベッドで眠ろうとしたのに、私は何をやっているのだろう。


「えっと…これ、はね、目に、ゴミが…」


 ぐちゃぐちゃに崩れた顔を作り笑いで塗り固めて、苦し紛れの言い訳をした。こんな壊れた中身をした女だと彼にだけは知られたくなかったから。


 彼はそんな私の見え透いた嘘など意に介さず、いつも通りの真剣な目で私を見つめた。


「───ティーネ。今は弱くて何にも出来ないけれど、いつかはアナタを守れるくらいに強くなってみせるから。だから泣かないで」


 傷だらけの小さな手を添えて私を必死に励まそうとしてくれた。愛情なんて碌に与えられずに育ったのだろうに。なんて優しい子なのだろう。


 本当に嬉しかった。その優しさを素直に受け入れたかった。


「あり、がとう。でもね…」


 


 出来っこないよ。きっとキミはどこまでだって強くなれるけれど、私は救いようのない化け物なんだから。


 




「あり、がとう。でもね…」


 嗚咽にかき消されてしまってその先は聞くことが出来なかった。


 初めて会った時からなんとなく自分と同じような、暗いなにかを感じてはいた。とても寂しそうな眼をしていたから。


 彼女は過去に何を失ったのか、なにに怯えているのか、なにをしてしまったのか、自分なんかには到底想像が及ばない。


 それでも彼女の助けになりたかった。強くなるだけでそれが出来るかは分からないけれど今のままじゃ絶対出来ないのだけは確かだ。弱いやつには何一つ守ることなんて出来やしない。


 すすり泣く音、震える体の体温、窓から差し込む月明かり、この瞬間を二度と忘れないようその全てをしっかりと記憶に焼き付けた。なんのために強くなりたいと思ったのか、それを忘れないために。

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