鍛錬のご褒美
気が付くと自室の天井が見えていた。頭と体が重いけれど、布の柔らかい感触に包まれて心地が良い。床の上だったりカビの生えた毛布に包まされたりした経験はあるけれど三日も寝ないのは流石に初めてだったから余計に有難みを感じる。
目覚めてから一分近く経って右手を握られていることにようやく気づく。そちらに視線を遣るとティーネがいた。
「…レン」
塞ぎ込んだ顔で握った手を見つめている。いつもにこやかな笑顔を振りまく彼女らしからぬその仕草に自分も悲しくなってきた。
一体何が原因でそんな顔をしているのだろうかと胡乱な頭で必死に考え、自分がやらなければならなかったことを思い出した。
自分はあの木を切り倒さなければいけないのだった。それが彼女から与えられた課題だったというのに。それを成し遂げないままベッドの上で眠りこけるなんて。彼女が失望するのも無理はない。
だがオレは水も食べ物も口にしていない。まだルールを破ったことにはなっていないはずだ。
「すまない。すぐ終わらせるから」
起き上がろうとすると強い力で押さえつけられた。もがいても微動だにしない。大人の男なんかより遥かに力強い。
「放してくれ!まだ終わっていないんだ!!」
「いいの!もういいから!!教えてあげるから!!今はもう…やめて」
泣きそうな顔で必死に懇願する彼女の姿を見て困惑する。どうして。自分は約束を果たせなかったのに。
「でも、ティーネが出来なかったら二度と教えないって…」
「私の言葉は新しい方が正しいの!!覚えといて!!」
滅茶苦茶な物言いだったが要するに合格、ということでいいのだろうか。どうにもスッキリしない。
「…ごめんね、レン」
オレの傷だらけの手を見つめながらティーネは沈痛な面持ちで謝った。さっきからどうしてバツの悪そうな表情をしているのかまるで分らない。オレが止めなかったのは全部自分の意志だ。強制されたわけじゃない。その結果どうなろうが彼女が責任を感じる必要なんてないのに。
「なんで謝るんだ…?」
そう聞くと彼女は既に赤らんでいた顔を更に紅潮させた。
「そうだよ!レンが悪い!!私が必死に止めようとあんなに頑張ったのに!レンのアホ!バカ!石頭!!」
「なんで怒られているんだ…?」
ティーネに責任があるとは思わないがオレも与えられた課題に全力で取り組んでいただけだ。怒られる筋合いはないと思う。
彼女は自分自身を落ち着かせるように長い髪を指で弄ぶ。しばらくそうして落ち着いたのかいつものゆったりとした口調に戻った。
「…剣も弓も槍も私が知ってる武器の使い方は全て教えるよ。もちろんそれだけじゃなく素手での戦い方もね。でもキミに一番必要なのは逃げる心構えかな。今のままだと犬死にすることになる」
「そんなことない、と思うぞ」
無理だと思ったら流石に逃げる自信はある。自分はそこまで勇敢ではないし無駄に死にたいとも思わない。木を切るのを止めなかったのはもう少しで出来ると思ったからだ。ただ少し体力の配分を見誤っていただけで。
「自覚がないようだからそこのところは徹底的に分からせるとして、すぐは無理だよ。キミの体が治ってからだ。頭も体も動いていないだろう。しばらく休んでからにしよう」
「…そうやって誤魔化そうとしてるわけじゃないよな…?」
「師匠のことを信じなさい!私が前言撤回したことなんてあったかい?」
「ついさっき」
指摘を完全に無視して彼女はにこやかに笑う。なるほど、都合の悪いことは聞き流す性格らしい。
「こっちにおいで。いっぱい作ったんだから。お肉も野菜も果物もいっぱいあるぞう。汚れているから体も洗ってあげよう」
「じ、自分で出来るからいい…」
「照れなさんな~こんな美人なお姉さんとお風呂にはいれるのは今だけやぞ~子供特権は使える内に使っときなさ~い」
浴場で彼女の裸体を見るのも彼女に自分のを見られるのも恥ずかしかったがお湯と泡で体を洗い流す感覚はとても心地よかったし、夕食も美味しかった。見たことのない食材、嗅いだことのない匂い、体験したことのない味に満ち溢れていた。食べている最中妹にも食べさせてやれればという考えがふと過って涙が出たが、彼女は何も言わずにそっと抱きしめて待ってくれた。泣き止むまでの長い間ずっと。