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レンという少年

「ふあぁ、今日もいい天気だねえ」 


 長い金色の髪をした女が背もたれに全体重を預けながらあくび混じりに呟く。怠惰極まる動作だったがそんなことで彼女の美しさを損なうことはない。 


 この女性、ティーネはオレの命の恩人だ。森の中をあてもなく彷徨っていたオレの命を救うだけでなく居場所をくれた。


 ともに過ごすようになってから数か月しか経っていないがそれにしても謎が多い人だった。見た目から判断できる歳は自分より一回りほど上ではあるがまだ大人とは言い切れない。そんな外見なのに、妙に達観したような振る舞いを見せることがある。


 多才な人でもあった。炊事に裁縫などという家庭的なものだけでなく、狩りや乗馬などという体力を必要とするものも難なくこなしていた。そして絵、というものを描いているところを見たことがある。目にしたものをそのまま切り取ったかのような正確さで紙の上に景色や人を写していた。こっそり見様見真似でやってみたがまるで上手くいかなくて彼女の凄さが身に染みて分かった。


 魔法も使えるのだと言っていたこともあったがその目に見せられるまでもなく嘘ではないと確信している。彼女の存在そのものが魔法と同じくらいに信じ難い存在だったから。ティーネのような人がいる世界ならば魔法もきっとあるのだろう。


 知識も豊富で文字すら読めなかったオレに根気強く付き合って色々なことを教えてくれた。本人の口から直接聞いたわけではないが子供になにかを教えるのは初めてはないのだと思う。そう思えるくらい手馴れていた。


 そんな彼女に対して不満を抱くことなどあってはならないのだが、一つだけ、たった一つだけ不満があった。


「ティーネ。オレに稽古をつけて欲しい」


「え、やだけど」


 頬杖をつきながら彼女は即答した。今まで何十度も頼んだがこれだけは通らなかった。彼女に頼み事をすることはほとんどないが他のお願いなら聞いてくれるのに。


「なんでさ」


「何度も言ったでしょう。今のご時世にそんなもの必要ないって」


 何度目か分からない問答をする。彼女の言い分はずっと変わらなかった。『今は平和な時代なのだから戦う術など身に着ける必要はない』と。


 だがオレにはとてもそうは思えない。センソウ、というクニ同士の争いがなくなったからといって、まあオレはそんなこと経験したこともないからその表現もピンとこないが、人が人を傷つけるのにそんな大層な背景はいらない。現にこの間も 危ない目に遭った。


「でも前、盗賊に襲われた。ティーネが強くなかったら二人とも死んでたかもしれない。強いほうがいいじゃないか」


 食料や衣類をそろえるために森から出て買い出しに行った日の帰りだった。見るからに野卑な男達に囲まれて聞くに堪えない脅し文句を聞かされた。なんとかしてティーネだけは逃がそうと足りない頭を働かせたが、彼女はオレの助けなど借りずものの数秒で男達を制圧してしまった。


 あの時の動きは今でも鮮明に覚えている。足さばきは風のように軽やかに、打撃は雷のように激しかった。あんな風に動けたら、そう思ったから彼女に教えを乞うているのだが。


「あんなことは滅多にないの。あのボンクラどもは千年に一匹しか見ない幻獣並みの珍種だと思いたまえ」


 そうなのだろうか。オレの元いた場所ではあの程度のことは珍しくもなんともなかったのだが。しかし、ティーネが言っているということは本当なのだろうか。


「………でも」


「そんな子犬みたいな目で見てもダメダメ。ペンは剣よりも強しと偉い人が言っていたそうだよ。物騒なことは忘れて勉強しなさい」


 どう考えても剣の方が強いのではないだろうか、そう思いながら尚も彼女の顔を見つめていると


「…どうしても教えて欲しい?」


 観念した、とでもいうように大きく溜息を吐いた。ようやく教えてくれるのだと胸が弾んだが、それは早合点だった。


「じゃあ一つキミに課題を与えよう。それをクリア出来たら教えてやってもいい。ただし」


「…ただし?」


「もし失敗したらその時は二度と戦い方を教えてくれなんて言わないこと。それでもいい?」


 ”二度と教えない”。失敗した時の対価は想像以上に重かったが、どうせ今のまま断られ続けても結果は同じ事だ。その課題とやらを達成するしかオレの望みは叶わない。そう結論付けて頷いた。


「…」


「じゃあ外に出よう。ここじゃ出来ないからね」


 家の外に出る。木で作られた立派な家。ティーネは初めて出会った時『窮屈な家でごめんね』と申し訳なさそうにしていたがそんなことはない。オレが元住んでいた場所よりは遥かに広いしなにより暖かみが満ちている。どんな酷い雨の日でも、どんなに暗い夜の中でも、ここにいるだけで安心できる。


 


 ティーネに連れられて歩くこと数分、彼女はある木の前に立ち、なにやら聞いたことのないような言葉を呟いた。首を傾げながらその様子を眺めていると彼女は振り向いた。


「この木を倒してごらん。制限時間はなし。家にあるものなら何使ってもいいよ。だけど終わるまではご飯も水もなし。いつやめてもいいけどその時はさっき言った条件を呑んでもらう。分かった?」


「分かった。やってみせる」


 自分の胴を三個重ねても足りない程太い幹をしているが道具は何を使ってもいいと言われた。納屋にあった斧を使えば自分でもなんとかなるだろう。


 そんな想像はあっさりと裏切られた。


 なにかがおかしいと気づいたのは始まって数分のことだった。いや、最初の一振り目から違和感はあった。


 刃が一切食い込まないのは自分が非力だということで説明がつく。だが明らかにぶつかった時の音が木の出すものではなかった。まるで鋼で出来ているかのような高く重たい音。そんなこともあるかと気にせず百度以上振ってみたが傷一つすらつかない。


 思えばあれほどオレが戦うことを嫌がっていた彼女が簡単な課題を与えるわけはなかった。こういう仕掛けがあったというわけか。


 こんな木が自然に生えるわけもなし。彼女がなにか細工をしたのだろうが、一体どうやってやったのだろう。彼女の言う魔法というやつなのだろうか。


 手の平に出来た血豆を数えながら考えていると意地の悪そうな顔をしたティーネが窓から身を乗り出してこちらに声をかけてきた。


「あららまだ出来てないのかい?ところで美味しい牛さんのシチューがこっちにあるんだけれどどうしようかな~?諦めるなら食べさせてあげるのにな~」


 朝から昼下がりまでずっと斧を振っていて空腹感を覚え始めていたが、その手には乗らない。戦い方を学びたいという気持ちも強いが、彼女に面と向かってやってみせると口にしたのだ。途中で投げ出すことなんて出来ない。


「……」


 夕暮れになってまた彼女が声をかけてきた。


「……そろそろやめにしないかい?あ、そうだ!!今日一日だけは例外として飲んだり食べたりしていいからさ!!一度ここに帰って───」


 陽が沈んでまた昇った。空腹感や痛みはどうでもいいが段々と力が入らなくなってきた。ようやく刃が入ったところなのにこれでは先が思いやられる。


 黙々と振り続けているとまた彼女が話しかけてきた。今度は家からじゃなくて直接こちらに足を運んでいるようだ。けれど振り返る余裕はなかった。


 近くからの声の筈なのにやけに遠く感じる。一日寝ていないからだろうか。


「そろそろ諦めようよ。もう一日経ってるんだぜ。無理だって」


「…まだ決まってない。ほんの少しだけど刃が通ってる。続ければ斬れるってことだろう?」


「…そんな、いつまでかかるのさ」


「分からない。でもオレはやるよ」


 また斧を振り始めるとティーネは口を閉じた。そのまま家に帰るものだと思っていたのだが足音はしなかった。どうやら後ろで見物するつもりらしい。オレはいいが今は秋だ。夜風が障らないか、それだけが気がかりだった。


 


 二回目の夜を迎えた時、彼女がまた話しかけてきた。聞いたことのないくらい狼狽えた声だったものだから思わず振り返った。


「ねえレン。やっぱり教えてあげるからさ、一回止めようよ。このままだと死んじゃうって」


 暗がりの中に閉じ込められた子供のような顔だった。そんな顔をさせている原因をすぐにでも取り除いてやりたかったが、それが未だに課題を達成出来ない自分の不甲斐なさだと分かっているからどうすることも出来ない。


 そういえば、不眠で自分の感覚が狂っていただけかもしれないが、彼女の気配を背後からずっと感じていた。彼女もちゃんと寝ていないのだろうか。


「ごめん、ティーネ。すぐ終わらせるから。アナタまでこんなところにいる必要はない」


「だから、もういいんだって。止めてよ。キミが死んだら私は…」


「……」


 盗賊に襲われたあの時、彼女があっさりと倒してしまったが、もし彼女が普通の人間と同じように弱かったら死んでいた。いや、それよりもっと酷い目に遭わされていただろう。


 そう考えるだけで落ち着いていられなかった


 優しい彼女のことだ。オレが死ねばきっと悲しんでくれるのだろう。だからこそ、危険な時にそんな彼女の後ろに隠れるような人間にはなりたくなかった。そんな風になるくらいなら、弱いままなら、死んだほうがマシだ。


「お願い。私が悪かった。なんだってしてあげるから。もうやめて───」


 すすり泣く音がしたが、意識が朦朧としてもう何を言っているかすら分からなかった。ただこんな風な泣き声を聞いたことがあるなと、そんな感想が───


「レン!レン!?しっかりして!?」


 立ち上がろうと思っても、もう体が言うことを聞かない。なにもかもが自分の手から離れていくように、感覚の次は意識そのものが消えていく。


 死ぬことは欠片も恐ろしくないが、泣いたままのこの人を置いていくのは嫌だな、と最後にそう思った。

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