サロ島
曇りがちな空の下、波音が砂浜に響いていた。風が次第に強まり、漁村の船着き場には緊張感が漂っている。浜辺にはヴィルホ一行のために用意された漁船が並び、漁師たちが操船の準備を進めていた。
護衛の騎士たちは甲冑の音を響かせながら物資を積み込み、出発の準備を急いでいる。ティテルは砂浜の少し離れた場所に立ち、兄たちを見送るためじっと舟の方を見つめていた。
「スール兄さん、ラヴァン兄さん……気をつけて」
彼の控えめな声は波音にかき消され、届いたかどうかはわからない。振り返ったスールが軽く笑い、手を振った。
「お前こそ、村でちゃんと見張りをしてろよ」
ラヴァンは舟に向かう途中で足を止め、ティテルに近づき肩に手を置いた。
「戻ったら剣術の稽古に付き合えよ。次は負けないからな」
ティテルは苦笑しながら頷いた。
「わかった。帰ってきたら……二人とも鍛えてやるよ」
兄弟の会話は短く、素朴だったが、そのやり取りには互いの信頼が込められていた。スールとラヴァンが舟に乗り込む後ろ姿を見つめながら、ティテルは一言だけ呟いた。
「無事に帰ってきてくれ……」
その願いは、寄せては返す波音の中に、かき消されるように消えていった。
***
漁船が次々と浜辺を離れ、ストメリ湾へと漕ぎ出した。空を覆う雲が海面を灰色に染め、波のうねりが船体を揺らしている。その中、漁師たちは無言で櫂を動かし、騎士たちは甲冑のきしみを響かせていた。
先頭の舟に座るヴィルホは水平線の向こうをじっと見つめている。隣にはレズリーが座っていたが、彼も一言も発せず、ただ計画の進行を思案しているようだった。
後方の舟に乗るユーハンは、ふと背後を振り返り、同行していない聖騎士団の姿がないことに気づいた。
「ヴィルホ様、聖騎士団は……」
一瞬口を開きかけたが、ヴィルホの背中から漂う無言の威圧感に言葉を飲み込む。
聖騎士団がいない……ただの任務ではないな。ユーハンは心の中で警戒を強め、視線を部下たちに戻し声をかけた。
「皆、気を引き締めろ。油断するな」
その一声に騎士たちは緊張を取り戻し、周囲の警戒を強めた。漁師たちも櫂を握る手に力を込めた。
***
荒れ果てたサロ島の岸辺に漁船が次々と接岸した。島全体を覆う不気味な静寂は、侵入者を拒むように感じられた。岩場が広がり、荒涼とした光景が広がる。風が音もなく吹き抜け、不気味な静寂が辺りを包んでいた。
ユーハンは舟から降りると、硬い地面に足をつけ、島全体を見渡した。
「ここがサロ島か……」
その呟きは波音に溶けるように消えた。
岸辺では護衛の騎士たちが荷物を下ろし、天幕を設営する準備を始めていた。ヴィルホは冷静な声で指示を飛ばす。
「天幕を設営しろ。装備と物資を中心部へ運べ」
その言葉に応じ、騎士たちは迅速に動き始めた。
レズリーは地面にしゃがみ込み、地形や魔力の流れを観察していた。その手には古文書が握られ、彼は冷静な口調で呟いた。
「計画に最適な場所だ。この静けさも、儀式にはうってつけだ」
冷たく淡々とした彼の声に、傍らのベアテが肩を震わせたが、すぐに作業へと戻った。
ユーハンは岸辺の荒涼とした風景を眺めながら、背後で働く騎士たちの音を耳にしていた。
「この静寂の中で、いったい何が始まる……」
その問いに答える者は、誰もいなかった。