漁村オウル
ランペ駐屯地の敷地内にある一見すると小さな倉庫のような建物。その中央に設置された金属製の扉は、鍵がかけられ、厳重に管理されていた。この扉の奥には、黒い霧が揺らめく『ゲート』が隠されている。
スールたちと共に扉の前に立つと、ラヴァンが静かに鍵を取り出し、錠を外した。重厚な音を立てて扉が開かれると、その奥に黒い壁が現れる。
「行きましょう、団長」
ラヴァンの短い言葉に、ユーハンは無言で頷き、黒い霧が漂うゲートへと足を進めた。その霧が静かに波打ち、体を包み込む。
霧の中を抜けると、ひんやりとした感覚が全身を走った。次の瞬間、視界が明るく開け、潮風が頬を撫でる。
「ここは……」
目の前に広がるのは、青い海と白い砂浜。ストメリ湾沿岸の漁村、オウルだった。漁師たちが網を干し、子どもたちが砂浜で遊ぶ姿が平和そのものの光景を形作っている。
ユーハンは背後を振り返り、そこに静かに佇む黒い霧の壁――『ゲート』を見つめた。
「移動式を持ち出しているのか……これはただの召集ではないな」
ユーハンが低く呟いたところで、派遣されている騎士が近づき敬礼した。
「ヴィルホ様が天幕でお待ちです」
「うむ、案内を頼む」
「はっ!」
ユーハンは天幕へと足を向けた。スールとラヴァンも黙って後に続く。
天幕の中は整然としており、机の上には広げられた古文書や地図が並び、その中心には複雑な術式が描かれた一枚の羊皮紙が置かれている。ヴィルホは机に片手をつきながら、低い声でレズリーと話をしていた。
「団長が到着されました」
案内役の騎士の報告に、ヴィルホが顔を上げた。
「遅かったな、ユーハン」
その一言には冷たさが含まれていたが、ユーハンは敬礼を返し、すぐに問いかけた。
「申し訳ありません、急な召集でしたので。今日はこの漁村で一体何をするのでしょうか?」
ヴィルホは机の地図を指でなぞりながら、静かに答えた。
「いや、ここではない。サロ島に向かう」
「サロ島……」
「その通りだ。お前たちにはサロ島への同行を命じる」
その一言には反論の余地がなかった。
ユーハンは短く息を吐き、表情を引き締めて答えた。
「承知しました。準備を整えます」
ヴィルホは満足げに頷き、再び地図に目を落とした。レズリーが計画が順調であることを示すように冷静な一言を加える。
「ご協力に感謝します、団長」
***
天幕を出たユーハンは、砂浜に立ち止まり、波の音を耳にしながらストメリ湾を見つめた。視線を向けると、湾の向こうに孤高に浮かぶサロ島が目に入る。
サロ島――その島はヴァンナ教メルツィ派の教義において神聖な土地とされ、人が足を踏み入れることは禁じられてきた。大昔から湾の沿岸からその島に向けて祈りを捧げる儀式が行われ、その禁忌を破ることは神の怒りを招くとされている。
「団長……本当にあのサロ島に向かうのですか?」
スールの不安に満ちた声に、ユーハンは振り返った。その表情に動揺はないものの、目には明らかに複雑な感情が浮かんでいる。スールの言葉に一瞬視線を落としたユーハンは、再びサロ島に目を向け、短く答えた。
「そうだ……」
ユーハンの言葉は短かったが、サロ島の持つ意味と、これから起こるかもしれない事態に対する緊張が滲んでいた。