森
洞窟を出て少し離れた所に、弓と矢筒が落ちていた。
弦は外れているが、特に損傷は無いようだ。
洞窟に落ちた時に瓦礫に潰されたのかと思ってたけど。
地上に取り残されてたんだね。
良かった。
この弓は、割と気に入ってたんだ。
弦を付け直し、指で弾いてみる。
ビンっと音がした。
久しぶりに聞く音だ。
とても、気持ちがいい。
山を降りて、森に足を踏み入れる。
深い木々の匂い。
動物や虫の匂い。
湿度を孕んだ土の匂い。
緑色。
土色。
水色。
草の音。
川の音。
虫の声。
それらが、私の五感に染み渡ってくる。
ああ、帰ってきたんだ。
私は、ここに、故郷に。
心が躍る。
気持ちが高ぶる。
走り出したくなる。
そう、そうだ、ここは私の住処なのだ。
ずっと、そうだったのだ。
私は、ここで生まれて。
ここで、暮らして。
ここで……。
……。
……。
……いや、落ち着こう。
まずは、村に行かないと。
幼馴染が、待っているのだから。
私は、村へ向かう最短経路を走り始めた。
天候は晴れ。
昼頃には到着できるだろう。
走り始めて10分後。
周囲に気配を感じた。
何者かが、私を追跡している。
ケモノかな。
数は……1、2、3、4。
4体。
集団で狩りをするケモノ、狼だろうか。
……いや、狼は吼える事で連携し、獲物を狩場まで誘導する。
私を追跡している連中は、まったく吼えていない。
それどころか、移動音すら殆ど立てていない。
にも関わらず、きっちりと連携して私を追跡してくる。
本当なら足を止めて観察したいけど、今は村へ急ぎたい。
だから……。
そのまま速度を緩めず疾走する。
獲物たちも、離れずに追跡してくる。
獲物の姿は視認出来ない、つまり私の死角。
獲物の匂いは確認できない、つまり風下。
獲物の移動音は鈍い、つまり音が出にくい経路。
周辺地形は湿地に差し掛かる。
獲物が選択できる移動経路は極端に少なくなる。
ここであれば、どの場所に足を掛けて移動しているのか、容易に予想がつく。
一歩進む間に、私は四本の矢を放った。
二歩進む間に、その矢は獲物達が通ると予想される地点に、落下する。
三歩進む間に、獲物に矢が食い込んだ。
一匹目、命中。
二匹目、命中。
三匹目、命中。
四匹目……弾かれた?
着弾音から考えて、硬い殻に覆われた動物だろうか。
その割には、他の三体はあっさりと倒れた。
複数の種族の動物が群れになっている?
まあ、例が無いわけじゃないけど。
……。
……。
……。
このままだと、村まで着いてきちゃうか。
よし、ここで仕留めよう。
急制動。
それと同時に、矢を番う。
獲物も急停止したが、止まりきれなかったのか木々の死角から姿を現す。
それは、巨大な猪だった。
凄い、こんな身体で私を追跡してたのか。
いや、そんな事よりも気になる点がある。
「全身鉄に覆われた猪なんて、見たこと無いんだけど」
猪は、私の姿を確認すると、再び移動を開始した。
いや、それは移動ではなく「攻撃」だった。
凄まじい速度で、私に向けて突撃を掛けてくる。
仮に、猪を覆っている鉄が本物なのだとしたら。
その重量は凄まじいことになる。
そんな重量の突撃を受ければ、私は忽ち死んでしまうだろう。
何より、鉄には、矢が通らない。
ここで復習をしよう。
ごく簡単な、職業の復習。
狩人は、対人戦闘では戦士に劣る。
集団戦闘では、騎士に劣る。
射程では狙撃手に劣る。
器用さでは盗賊に劣り、速度では無手の武闘家に劣る。
魔法使いのように火炎を起こすことも、僧侶のように人を癒すことも出来ない。
死霊術師のように、シビトを操ることは出来ない。
通訳者のように、多種族の言葉を操ることは出来ない。
では、狩人は、何に秀でているのか。
狩人は、ケモノを狩ることが出来る。
人類がまだ国という概念を持たぬ、古い時代。
言語体系さえ確立されていない時代から、彼らはケモノの狩り方を研鑽し始めた。
その技術を磨き続けた。
視線を読み、匂いを嗅ぎ、音を聞く。
空気の流れを読み、湿度を嗅ぎ別け、鼓動を聞分ける。
移動範囲を予想し、空間を把握し、ケモノの意識の死角を突く。
長く継承され続けた「経験」がそれを可能にする。
人類最古の戦闘職、狩人。
その系譜の最先端が、彼女である。
猪が突撃を開始した次の瞬間、鉄に覆われていない部分に矢が殺到した。
相手を視認すのに必要な軟体構造、眼。
呼吸時に粘液が必要な、鼻腔。
運動時に可動性が必要な五つの間接部。
射線が通る範囲の急所全てに矢が突き刺さる。
その数、合計12本。
それでも、猪は止まらなかった。
眼が潰れているにもかかわらず、まるで狩人が見えているかのように。
突撃し、牙を突きたてようとする。
その牙が、狩人に届く直前。
13本目の矢が、再び猪の目に突き刺さり。
そのまま貫通し、体内を蹂躙、背中からボシュッと突き出た。
そこまでして、猪はやっと息絶えた。
「何なんだろうね、この猪」
「どう見ても普通じゃないんだけど」
「突然変異?」
「いや、けど……」
何故か、クロ達の姿が頭を過ぎった。
そうだ、私は最初、彼女達を突然変異で巨大化したスライムだと思って……。
「……ううん、判んないや」
「ねえ、貴方なら判る?」
「そこに、隠れてずっと見てるよね?」
100m程先の大木。
その陰から、ヒトの匂いがする。
害はなさそうだから放置してたけど。
流石に、この状況だと、少し気になる。
「出てこないようなら、もう行くけど」
「ま、ま、待ってくだ、さいっ!」
大木から姿を現したのは、黒い髪の女性だった。
あれ、私、このヒトと……会ったことがある?
けど、名前も何も思い出せない。
おかしいな、確かに、見覚えが……。
「う、うふふふ、わ、悪気は無かったんです、ちょっと、ちょっとだけ」
「迷いの森の狩人さんの力を、た、た、確かめたかっただけで」
「も、も、も、勿論、殺す気なんてなかったんですよ」
「だって、だって、うふふふ、わ、私は、迷いの森の狩人さんの、ファンですし」
女性は、私に視線を合わせないまま会話を続けた。
「そう、そうです、私、私、ファンなんです!」
「見ました、私、見ました、あの時、大会会場に居たんです」
「100年に一度行われる、帝国主催の狩猟大会!」
「高名な弓師や帝国の騎士達を押しのけて、優勝を果たした貴女の姿を!」
「凄かったです、ほ、本当に!特に凄かったのは終盤に行われた竜種狩り!」
「か、感動したんです!ヒトの力で竜を狩れるなんて!」
「うえへへへ、す、すごいなあ、話しちゃった、私、迷いの森の狩人さんと話しちゃった!」
一度、幼馴染と一緒に帝国を訪れて狩猟大会に参加したことがある。
あの時も、森から離れた影響で体調悪くして幼馴染に介抱された。
まあ、大会会場が帝国領内の大き目の森だったので、体調は戻ったけど。
森じゃなかったら、私はかなり序半に脱落してたんじゃないかなあ。
「それで、貴女は何者なの?」
「この猪は、貴女が飼育していたの?」
話が逸れそうなので、修正してみる。
本当ならさっさと村に向かいたいが、何故か、この女性のことが気にかかる。
「あ、す、すみません、そう、そうです」
「その猪は、私が作ったもので、えっと、その」
「わ、私は、合成術師なんです、そう、今風の言い方をすると」
「キマイラマイスター、って感じです、えへへへ」
そっか、気になる理由かわかった。
イライラするからだ。
何故か、このヒトが喋っているのを聞くと。
心が騒ぐ。
何でだろう。
「じ、実はですね、私は探し物をしてるんです」
「私が作った合成生物なんですけど、ずっと前に逃げ出しちゃいまして」
「この近くに、隠れてるって事は判るんです」
「最後に魔力反応が途絶えたのは、この『迷いの森』の近辺でしたから」
「きっと、きっとこの森に入ったから、魔力反応が途絶えたんだと思うんです」
「こ、この森の中は、魔力が濃すぎて、探知魔法とか通りませんから」
「だから、こ、こ、困ってたんです」
「……そんな時、思い出したんですよ、迷いの森には」
「狩人さんが居るって」
「ふ、ふふふ、狩人さんに手伝ってもらえたら、きっと探し物もすぐに見つかります」
「ああ、私は運がいいなあ、うふふふふふ……」
「けど、誤算でした」
「近くの村を訪れて聞いたら、三ヶ月近く前から狩人さんが消息不明だって言われましたから」
「きっともう死んでるんだろうって、あの村長は言ってましたから」
「がっかりです」
「けど」
「けど、村長の娘から、聞いたんです」
「アイツは、きっと戻ってくるって」
「そう、そうですよね!」
「ヒトの可能性を凝縮したような狩人さんが」
「自分のテリトリーの中であっさり命を落とすはずがありませんから!」
「きっと、きっと何か特殊な事態に巻き込まれて帰ってこれないだけなんです!」
「私はそう信じて!」
「信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて」
「待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って」
「探して探して探して探して探して探して探して探して探して探して」
「そして、今日、狩人さんを見つけたんです」
「めでたし、めでたし」
「ところで、狩人さん」
「どうして、今まで戻ってこなかったんですか」
「ひょっとして、何か変な物に遭遇したりしませんでしたか」
「具体的に言うと、純白の魔物とか」
「だって、それくらいじゃないと説明がつかない」
「貴女のような優秀な狩人が行方不明になる理由が」
「思いつかないんですよ」
「ねえ、狩人さん」
そいつは、何時の間にか私の目の前にまで迫っていた。
ああ、私がどうしてイライラしているのか判った。
こいつの顔は。
クロと似ているからだ。
髪形が違うので、すぐには気付かなかったけど。
きっと、クロはこいつの顔を模している。
クロが何故、コイツの顔を模しているのかは判らない。
恐らく純白のスライムだった頃に何か因縁があったのだろう。
けど。
クロは、こう言っていたのだ。
「外は、辛いばかりでした、怖かったという記憶しかありません」
コイツが探している合成生物というのは、きっとクロ達だ。
これは勘だけど。
コイツをあの子達に、会わせてはならない。
絶対に。