ガボガボ
~80日目~
「晴れです、晴れ、久しぶりに晴れましたよ、お母さん!」
「見てください、お母さんに抱きついてもこびり付いたりしません!」
「ちょうど良い湿度、ちょうど良い温度、ちょうど良いスキンシップ!」
「ゴボゴボゴボゴボゴボ!」
クロの機嫌はとても良い。
良すぎる。
離れない。
性的なことをされる様子は無いのだけど。
私は再び、身動きが取れなくなる。
まあ、けど、クロだって一時的に興奮状態になっているだけなのだ。
多分、数日もすれば落ち着いてくれるだろう。
それまで、我慢、我慢。
私は我慢した。
けど、我慢できなかった子が居た。
~83日目~
「母さまは、ボクと一緒に外に行くんだから、邪魔しないで」
この日、彼女達姉妹は正面衝突した。
私と一緒に外へ行くと約束していたアオの我慢が頂点に達したからだ。
もう少し気をつけておくべきだった。
アオは行動的な分「先延ばしにされる事」が苦手だったのだ。
アオの言葉を聴いたクロは、途端に不機嫌になった。
「外に?一緒に?貴女が?お母さんと?」
「そう、ボクと母さまが」
「……ママ、いっちやうの?」
不安そうに声を上げたアカの声をクロが遮った。
「行きません、そもそも何時そんな話になったのですか、誰の許可を得て?」
「しばらく前に、母さまは良いよって言ってくれた」
「お母さん、言ったんですか?」
「……ママ?」
「母さま、言ってくれたよね?」
蜂の巣を突いたかのような騒ぎになった。
黙っているのは唯一、ミドリだけだ。
もう少し、穏便に事を進めたかったんだけどな。
まあ、けど成ってしまった事は仕方ない。
あとは最善を尽くすだけだ。
「言ったよ、アオに、一緒に外に出ようって」
「アオは、それを希望していたからね」
「私も同じ事を希望してるんだし、協力し合うのは当然のことだよね」
「私は前から」
クロは黙って顔を伏せている。
「外に出たいって言って……」
アカは怯えた顔で私を見つめる。
「たと、思うんだけど……」
不思議な圧力があった。
それ以上、私は言葉をつづけられなくなる。
その場を、沈黙が支配する。
空気が凍った気がした。
アオが爆発した時とは、また別の雰囲気だ。
「わた……ちに……」
「え?」
「私達に黙って、外に出ようとしたのですか」
クロは俯いたままそう続ける。
表情は見えない。
「いや、黙ってというか」
「私達に黙って、行くつもりだったんですか」
「クロ、話を」
「私達に黙って、黙って、黙って、黙って」
「それで、終わるつもりだったんですか」
「私達を、私達を、捨て、捨て、捨て、捨ててて」
クロのその言葉に、アカは強く反応する。
怯えたような声で。
「……やだ」
「やだ、やだ、やだよぉ、ママ、いっちゃうの、やだ」
「アカ、悪いことしちゃったの?アカが悪いの?」
「悪いの悪いの悪いの悪いの悪いの悪悪悪悪悪」
あれ、なにか。
何かおかしい。
激しい頭痛と、吐き気がした。
眩暈がする、立っていられない。
思わず膝をついた私の頭に。
クロの声が、頭に響く。
頭の中に入り込み大切な部分を壊そうとする。
それと同時に、熱風を感じた。
アカの声に呼応して、洞窟内の温度が上昇する。
眼が開けていられない。
肌が痛い。
クロの力とアカの力が。
洞窟の中を荒れ狂う。
彼女達に、殺意は無いと思う。
ただ、状況に適応できず過剰反応を起こしているだけだ。
彼女達は、まだ生まれたばかりの赤子なのだから。
ストレスに対する耐性が無いのだ。
どうしよう。
このままだと、文字通り話にならない。
どうしたら。
ふと、クロの言葉が頭に浮かんだ。
「このような事は改めて言う必要もない、当たり前のことなのですが」
「それでも、私はヒトが行う、言葉のやり取りを尊重したいと思います」
結局のところ、足りなかったのは交渉でも説明でもなく。
コレなのかなと思う。
私は、彼女達から母と呼ばれている。
それは、私自身が選択した行動の結果だ。
けど、決定的な言葉を、私は口にしていない。
ずっと前から、心の中に浮かんでいたのに。
何故か、決して言葉にはしなかった。
多分、彼女達は、蝙蝠肉なんかよりも、この言葉を欲していたのだろう。
今まで具体的な形として与えられていなかったから、不安だったのだろう。
それが今回のような形になって、爆発したのだ。
私が、両親からずっと与えてもらっていた言葉。
私が、彼女に与えることが出来る言葉。
伝えなくてはならない。
熱風の中、私は眼を開ける。
割れそうな頭の痛みを無視し。
彼女達に。
「クロ、アカ、そしてアオとミドリも」
「私はね、みんなを」
「みんなを」
「愛してるよ」
私の気持ちを伝え始めた。