ゴボゴボ
~40日目~
毎日、根気良く話しかける。
物の名称だけでなく、行為の名称も繰り返し唱えて、関連付けを促す。
「これが、石」
「あれが、蝙蝠」
「投げる」
「当てる」
「落ちる」
「食べる」
その反復作業に対して、最初に成果を出してきたのは、意外なことにミドリだった。
「ミドリ、今から右の壁に石を投げるから、拾ってきて」
「ピィ」
私の声に反応して、ミドリは移動を開始する。
ぷよぷよふよ。
ぷよぷよぷよ。
ゆっくりと『左側の壁』の付近まで移動したミドリは、ベチャリと床に広がった。
「絶対にココから動きません」の構え。
うん、複数の言葉を理解している動きだ。
すごい進歩。
「……問題は、どうして左の壁のほうに行ったのかって事なんだけど」
「まあ、石で遊ぶのが嫌いなんだろうなあ」
スライム達は、それぞれ好みが違う。
ミドリはあまり活発に遊ぶような子ではないのだ。
寧ろ、アオ達が石遊びをしていると遠ざかるような性質を持っている。
なら……。
「石を拾ってきたら、歌をうたってあげるよ」
ピクリ、とミドリは反応した。
この子は、特殊な音に対して、強い反応を示す。
もっと端的に言ってしまうと、歌が好きなのだ。
私がポイと石を投げると、ミドリはゆっくりと移動を始めた。
今度は、石がある右側の壁に向かっている。
「これだけ早く複数の言葉を理解出来るようになったのは、音に興味があるからかな」
「もっと沢山の言葉を覚えれば、複雑な意思の疎通も可能に……なる?」
この子達が元々持っている高い知性と理性、それに私が知っている知恵を付け加える。
そうすれば、スライム達の手助けを受けてここから脱出することが出来るだろうか。
天井の穴からスライム達を外に送り出し、自立的に蔦や縄を発見させて、それを固定させ穴から吊り下げる。
……やはり、縄や蔦という「スライム達が見た事も無い物」を覚えさせる方法が、思い浮かばない。
ぷよぷよと音を立て、ミドリが石を持ってきてくれた。
そのお返しに、私は歌をうたってあげる。
まあ、そんなに沢山の歌を知ってるワケじゃないんだけどね。
「暗いときも明るいときも」
「私達が共に歩めますように」
幼馴染が教えてくれた歌。
私の誕生日に、唄ってくれた歌。
もう一ヶ月以上も、彼女に会ってない。
~48日目~
「あのさ」
「……」
「クロって、何か更にヒトに近づいてない?」
「……」
そう、クロは以前に比べて明らかに精度が上がっている。
『ヒトとしての形』の精度だ。
相変わらずまったく動かないのだが、徐々に変化していっているように思える。
だって、以前はもっとズングリむっくりしていたし。
手足もただ太い棒をくっつけただけみたいな大雑把な形だったから。
けど、今は『ヒトの形』に近づいている。
具体的に言うと、頭部の形状がヒトの顔に近づいてきている。
腕や足や腰が細くなり、間接部が生まれている。
そして、胸に当たる部分が、少し盛り上がってきている。
クロは、メスのスライムだったのか。
いや、単純に私の姿を模しているだけ、という可能性もあるかな。
「クロ、手を見せてみて」
無反応。
ツン、とした感じで明後日の方角に顔を向けている。
昆虫の類は変体の時に蛹になり、まったく動かなくなることがある。
その手の形態の時、昆虫は極端に「弱く」なる。
ひょっとしたら、クロもそんな状態なのかもしれない。
「ううん、無闇に接触するのは避けたほうがいいのかな」
クロに何かあったら困る。
……。
……。
……。
困る?
ああ、確かに脱出の手段が減るという意味では、困った事態になるだろう。
……けど、今の私の反応は。
まるで、考える間もなく浮かんできたかのように。
何の思考も通さず「困る」と思ってしまったような気がする。
何だか不思議な感覚だ。
クロが、動かないまま、久しぶりにゴボゴボと音を出した。
~54日目~
夢を見た。
過去の夢ではなく、今の夢だ。
洞窟の中、私の前にクロが立っていて、私に話しかけている。
「ゴボゴボあさんゴボゴボようになゴボゴボゴボゴボ」
「だからゴボゴボゴボゴボゴボってくだゴボコボコボ」
「わたしだってゴボゴボゴボゴボてますからゴボゴボ」
こんの子は、ヒトの夢の中に入るなって言ったのに、まーた来たのか。
まあ、今日は幼馴染の夢を見ていたわけでは無いから、別に良いんだけど。
ただ、今後の為に、一度きつく言い聞かせたほうがイイのかもしれない。
私は、拳を持ち上げて、クロの頭に軽く叩き付けた。
「こら!」
「っ!」
女の子の声が聞こえた気がした。
それで夢から覚めるかなと思ったが、覚めなかった。
拳は、半分くらいクロの頭部に沈み込んでいる。
ヌルリとした冷たい感触。
うん、やはり触るならアカの方が暖かくて心地よい。
「というか、これ、ひょっとして夢じゃないのかな」
「ごめん、クロ、私寝ぼけてて、てっきり」
てっきり夢なのかと勘違いしてた……と言い切ることは出来なかった。
クロの反撃があったからだ。
「ガボガボガボガボガボガボガボガボガボ!」
「ガボガボガボガボガボガボガボガボガボ!」
「ガボガボガボガボガボガボガボガボガボ!」
うわあ、すごい。
身体の一部を回りに撒き散らしながら何か主張してる。
最近わかったけど、クロがガボガボ言う時は怒ってる時なのだ。
ゴボゴボ言ってる時は、比較的機嫌が良いように思う。
「ガボガボガボガボガボガボガボガボ!」
「ガボガボガボしかガボガボガボガボ!」
「ガボガボガボガボわかってガボガボ!」
「わたガボガボいちばんガボガボガボ!」
「ガボガボどうしガボガボなんでガボ!」
あれ、クロから出ている音に、何か別の音が重なっている気がする。
いや、音というか……。
「ガボガボガボもうガボガボガボガボ!」
「いつになってらガボガボガボるように」
「ガボボボボガボですかガボボボボボ!」
「いいかげんにガボガボガボボボボボ!」
「ガガガガうがががガガガガガガガガ!」
「ボボミドリてつだいなさボボボボボ!」
「これは、声かな」
「何時になったら……って言った?」
「い、い、い、ガボガボガボガボガボ……」
「……」
「……」
「……」
「クロ?」
クロの目が、パチリと開いた。
私と、視線が合う。
「い、い、い」
「ガボガボガボガボ」
「言いました」
「ガボガボガボガボ」
「何時になったら、意志が通じるのって」
「ガボガボガボガボ」
「ずっと、頑張って」
「ガボガボガボガボ」
「夢の中に入ったのだって」
「ガボガボガボガボ」
「なのに、あんな言い方、酷い」
「ガボガボガボガボ」
「そもそも、どんなつもりであんな名前つけたんですか」
「ガボガボガボガボ」
「まあ、けど呼ばれている内に愛着が」
「ゴボゴボゴボゴボ」
「一番許せないのが」
「ガボガボガボガボ」
「許せないのが!」
「ガボガボガボガボ」
「うががががが!」
一度に、複数の事が起こった。
まず、クロが喋っている。
しかも、かなり複雑な文章を破綻無く駆使しているように思える。
何時の間にヒトの言葉……文章を覚えたのだろう。
何やら怒ってる。
次に、クロに「眼」が出来ている。
いや、眼だけでなく……。
鼻も、口も出来ている。
急速に、ヒトの顔立ちが出来ているのだ。
その口からは先ほどの声が。
「一番許せないのは、私の知能が他の子達に比べて劣っていると言った事です!」
「劣っている訳無いじゃないですか、私を、私を何だと思ってるんです!」
「ガボガボガボガボガボガボ!」
「系譜姉妹の中で、一番最後に卵から生誕したスライムですよ!」
「つまり、最新鋭のスライムです!」
「ガボガボガボガボガボガボ!」
「最も新しく、最もかしこく、最もお母さんに愛されるべき存在、それが私です!」
「どうしてそれを判ってくれないんですか!」
「ガボガボガボガボガボガボ!」
クロの言葉が終わった時、そこには一人の女の子が立っていた。
身体や髪は黒い軟体だけど、それは確かに女の子に見える。
凄い。
思わず、クロの周囲をくるっとまわり、確認してみる。
「な、なんですか、お母さん」
手足の指もある。
鎖骨や腰骨のくびれもある。
黒く半透明では有るけれど、ちゃんとヒトの形に成っている。
しかも、私を模してヒトの形になった訳では無いようだ。
身体付きは私よりも若干ふっくらしているし、何よりずいぶん顔が違うように思える。
クロがこの容姿を、選んだのだろうか。
「ゴボゴボゴボゴボ」
「いい加減にしてください、お母さん」
「まあ、どうせ私の言葉はまだ判らないんでしょうけど」
「ゴボゴボゴボゴボ」
「けど、もう少し私の個としての能力を認めて欲しいのです」
「私と意思疎通出来ていないのに、他の子達に言葉を教えようとしたりするのは止めてください」
「ゴボゴボゴボゴボ」
「時間の無駄です、姉妹で一番かしこいのは私なのですから、もっと私を見てください」
「ああ、けれどもミドリに幾つかの言葉を教えたのは良い判断だと思います」
「ゴボゴボゴボゴボ」
「音波に対して高い親和性を持つミドリが理解した事は、私に流れ込んできました、この知識があれば」
「私が言葉を発する事が出来るようになるまでの時間をかなり短縮出来ると……」
「クロ」
「はい、なんですか、お母さん」
「喋れてるよ」
「……はい?」
「そっか、クロは一番かしこかったのか、ごめんね、勘違いして」
「……あれ、私」
「ん?」
「……」
「クロ?」
「言葉を交わすのは初めてになりますね、お母さん」
「私は最も優秀なるスライムの末裔、進化系譜の頂点、最新鋭のスライム」
「名は、そうですね、貴女の意志を尊重して……クロ、と名乗っておきましょう」
「本来であれば、有りえないのですよ、私達がヒトの意志を尊重するなど」
「お母さんは、それをとても名誉に思うべきです」
「そして、私達に変わらぬ愛情を注ぐべきなのです」
「まあ、このような事は改めて言う必要もない、当たり前のことなのですが」
「それでも、私はヒトが行う、言葉のやり取りを尊重したいと思います」
「誇り高き私からのプレゼントと言った所でしょうか」
「一番愛されたいってさっき言ってたよね」
「ガボガボガボガボガボガボガボガボ!」
彼女は一瞬で退化した。