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未来創造社シリーズ

リフリジレイター

味気なく思ってしまった部屋の飾り。月替わりにカレンダーをめくり、現れた波間の写真だけが目立っている。ゆるがせにしないようにと心掛けていた自分への栄養は季節を跨いでゆくうちにぼんやりしたものに。そして気付くと外ばかり眺めている。



<本も読んでないなぁ>



なんとなく気楽でも、瑞々しい感性が描き出す熱を帯びた何かには憧れてしまう。浮かび上がるイメージが懐かしの校舎とか、プールで水浸しになっている光景とかなのが、やはりというか。勇気を振り絞って呼び出して、思いの丈を打ち明けるシーンはわたしの記憶の中には存在しないけれど、素敵だと思う気持ちはきっちり持ち合わせている。数日前の夜、微熱で飲んだ市販の風邪薬が机に置きっぱなしになっている。



『そういうところだよ』



心の中の誰かがそんな風に伝えてくれたような気がする。そんな風にして自分を導いて欲しいと感じたのは気持ちが弱っているからなのかも知れないけれど、小箱を片付けながら出来たら可愛らしい妖精さんでも現れてくれたらと感じた。天気もいいし、暑さも手加減をしてくれている日だったので漠然と出掛けたい気持ちになりSNSのフォロワーさんの投稿を眺めていると、近場で「○○マルシェ」が開かれているという情報に辿り着く。以前にそういう場所に出向いた時に手芸の品など飾りには持ってこいのものが売られている事を知ったので、せっかくなので行ってみようという流れに。




マルシェとは青空市の事らしいけれど、まさに青空に迎えられた会場は多くの人で賑わっていた。出店している中には食べ物も、お酒も、高級そうなアクセサリーもあったけれど、みな上機嫌で雰囲気はとてもいい。一通り見回って、どこかの国の木製のオブジェあたりを購入するかしないかで迷い始める。すると、会場に少し場違いなスーツ姿の若い男性が駆け込んでくるのが見えた。彼はわたしが通り過ぎた時に留守状態になっていた一画に入り、持ってきた紙袋から何かを取り出して机の上に並べ始めた。ちょっと怪しげではあったけれど気になってしまって立ち寄ると、その短髪の男性がわたしを見て少しぎこちなく会釈した。


「い、いらっしゃいませ」


どうやら緊張しているらしい。若いようだし、もしかしたら初めての出店で手間取っているのかも知れない。勝手にそう解釈してわたしなりに気遣いをしながらゆっくり訊ねる。


「これは何の商品なんですか?」


「はい。こちらは最新の科学の知見に基づいて作られた、『気』の流れを感じ取る能力を高めてくれるブローチです」


「『気』の流れ?」


怪しいとは思っていたけれど、この言葉で一気に胡散臭さが増す。気持ちは引けたけれど男性が結構自信がありそうに言うので一応具体的にどういう効果があるのか訊ねてみた。


「はい。『気』は至る所に巡っているのですが、特に人間や動物が発する『気』を上手く感じ取れるようになると直感力やインスピレーションが高まって、いいものに巡り合える可能性が高くなります。例えば『気の合う人』に出会いやすくなったり」



わたしはこの時、一旦「ふう」と息を吐いて冷静になるように努めた。そしてどちらかというとビジネスライクな感覚で彼に「名刺をいただけますか?」と問うた。「いいですよ」と手渡された名刺には、


『未来創造社  営業 堂紫陽』


と書かれてある。「どう しよう」ですと読みを教えてもらったところで再び考え込む。正直、『気』の流れ云々はわたしにとっては眉唾ものなので関係なかったのだけれど、肝心なのはそのブローチが単純に装飾品として魅力的で値段もお手頃だったという事。今一度男性の表情を窺うと、それまでと変わらずやや緊張しているようではあるけれども純朴そうな笑みを浮かべている。


<まあ、考えてみるとパワーストーンとかもそうだしね>


自分に言い聞かせるように財布を取り出してブローチを一つ購入する。その際、ブローチの説明書きを手渡されそうになって、「あ、大丈夫です」と断ったことを付け加えておく。



マルシェを後にして帰り道で何となくブローチをつけてみた。当然ではあるけれど特に変化も感じない。ただアパートに戻り掛けたところである違和感を覚えた。



<あれ?このバイク誰のだろう?>



アパートの駐車場に見慣れないバイクが一つ停められている事に気付くわたし。ある程度長く住んでいるので住民の顔は覚えているけれどバイクで通勤しているような人は居なかった記憶。その答えはすぐに判明した。アパートの方から出てきた一人の男性と同じく住人の女性。仲良く歩いてきたことから、



<なるほど交際しているのか>



と納得しかけた時、背の高い男性の方がわたしに気付いて住人の女性と何か言葉を交わしてから、わたしの方に近づいてきた。



「あの実は僕等、配信の楽曲を制作しているんです。それで今度ライブの予定なんです。もしよければチラシどうですか?」



住人の女性とは毎朝見かけると挨拶をする関係だったけれど音楽活動をしているのはこの瞬間まで全く知らなかった。そして部屋に戻って調べてみると、ネットでクオリティーの高い楽曲を購入できるようなアーティストの二人組であるという事実を思い知る。



<そんなの聞いてないよ…>



バイクで颯爽と駆け抜けてゆく音が響いたけれど、『よい事』であるのは間違いないので息を整えてからネットで彼らのMVを視聴してみる。透明感のある女性の歌声が、このアパートの住民のものであると知ると確かに以前から声が綺麗な人だなぁと思っていたとか、思わなくもない。海辺を裸足で歩く少女が日が落ちかけている淡い蒼に溶け込んでしまうような、なんとも言えない美しい情景に心を奪われる。




うっとりとしたまま、二人のライブの告知のチラシを眺めていた。



それから二週間ほど、まるでブローチの効果が本当にあると信じたくなるような事が沢山起こった。道を歩いていて偶然同級生に出くわすとか、たまたま入った店でセールをやっていたとか。流石に好きなタレントを美容室で見かけた時にはビックリしすぎて声が出なかった。ただ暑さが本格化してきたのと比例するようにブローチをつけていても特に何も起こらないという「日常」に戻ってしまったよう。




ただ、「ウンディーネ」という精霊の名の二人組のライブに出かけられることはわたしにとっては大きな出会いであったことは間違いない。




☆☆☆☆☆☆☆☆



未来創造社営業部にて、部長の小松タヨは新人教育に余念がない。入社して間もない若手が慌てて出かけてゆく背中に向かって一声。


「堂くん、商品の取り扱いはしっかり説明しなきゃダメよ。繊細なものなんだから」


「はい」


彼が紙袋に携えていったのは新商品。ブローチにしては珍しい「取り扱い説明書」には「熱を持つと効果が薄れる場合がありますので、その際は一度冷凍庫で保管下さい」と書いてあった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 不思議な空気感に包まれたお話ですね。 ブローチの効力は今は弱まってしまっているかも知れないけれど、それ故に出逢えたバンドが主人公の幸せに繋がっていて、読んでいてじわじわと心が満たされるようで…
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