第6話.「おや? 断ってもいいのかい? 体育の単位落としたら留年しちゃうよ? だから留年しない様に僕がいろんなこと教えてあげるよ。で、な、い、と、お父さん悲しませちゃうよぉ?」…………は?
アルベルト皇太子殿下とヒルデガルド嬢が婚約……か……。
私は元男だ。だから男とは結婚する気になどなれない。それに私はムスケリオン公爵だ。この公爵家を繋ぐには婿養子を取らなくてはならない……。
私は溜息をついた。なんだろうか、この感じは……。
ヒルデガルド嬢はますますレディーになっていっている。しかし自ら作成した論文を抱えては時折見せる表情が、なぜか悲しげだ。
アーシェリー嬢は研究の成果で交友も増え、まさに順風満帆だというのに……。
どうにも私はモヤモヤして、再教育訓練所のチンピラ共を柔道場で投げ飛ばしては更生を試みている。
「が、ガブリエラ姉さん! もう勘弁してくだせいぃぃ!」
「精進が足りんっ! ──次!」
「はぁっはひいぃぃぃっぃいぃい!」
その時、父はやって来た。
「我が愛しのガブリエラよ! 可愛い可愛い我が娘よ! 愛ゆえに、父はやって来たぞ!」
「父上、なにをおっしゃっているのですか?」
「え、あぁ、まぁそれよりだ、実は重要な話がある。かなり重要だ。こっちへ来なさい」
「ん? はい……」
再教育訓練所内にある殺風景な部屋。ここは悪名高い懲罰独房である。
「ここなら大丈夫だ。探査もしてある」
「探査? 父上、話とは」
(だが、壁に耳あり障子に目あり、だ。小声で話させてもらうぞ。お前もワシにならえ)
(畏まりました)
(──単刀直入に言う。帝国枢機内閣府に敵国のスパイがいる……!)
(──ッ!)
(だが、まだ特定できていない。あぶりださねばならん。手伝え、良いな?)
(──御意!)
父が言うには……
アーシェリーを虐めていた元特待生の娘が、士官学校戦略部策略科の策士たちに舌戦イジリにあっていた時に、どうも引っ掛かる単語をいくつか口にしたらしい。
それを策略科の策士たちが気にかけて推理していったところ、なんと帝国を陥れる陰謀が浮き彫りになったと言うのだ。その陰謀とは、
『リスク隠蔽住宅ローン金融商品取引増進経済破綻工作作戦』
──通称『サブプライムローン経済破綻工作作戦』だと言う。
しかも最悪な事に、シンポジウムで有名になり、ほぼ二国間で採用が確定したヒルデガルド嬢の論文中の経済施策に、それがしれっと機能するよう巧妙に隠蔽されていると、策士たちは突き止めたのだ。
父は直ちにヒルデガルド嬢の論文に助言した経済学者を探したらしい。だが経済学者は既に、帝国から姿を消していたという……。
そこで父は、ここで大きく動いては黒幕を取り逃がすと思って、隠密作戦にシフト。私へ協力を要請したという訳だった。
(ま、まさか! ヒルデガルド嬢が!?)
(いや、安心しろ。彼女は利用されているだけだろう……)
ほっ……。
(それで、父のハインリヒ外務大臣は……?)
(わからない。だが白だとしても、彼の周りにはスパイの息がかかった者だらけだろう。和平交渉が上手く行きすぎているのはそのせいかもしれない。彼も利用されている可能性が大いにある……)
(それは……しかし、どうやってスパイを特定するのですか?)
(そこで、だ。ガブリエラ、気にならないか?)
(何をですか?)
(突然の、皇太子殿下の婚約話だ)
ん? ヒルデガルド嬢、論文に隠された工作、婚約……。
(つまり父上……)
(工作を完成させるには、皇太子殿下とヒルデガルドを結婚させる必要があると言う事だ)
(それは……皇族の権威を後ろ盾に論文に忍ばせた工作を推進させる為にですか……!)
(そうだ! そこでもし、婚約が破談となりそうになれば、黒幕はどうする?)
(──動く!)
(ハッハッハ! ガブリエラ、そこでお前の力がいるのだ。アルベルト皇太子殿下には既に話を通してある。お前はヒルデガルドとアーシェリーの二人の協力を得て、アーシェリーを“ヒロイン”に、ヒルデガルドを“悪役令嬢”へ仕立て上げろ)
(そ、それは──!)
(作戦名:オペレーション悪役令嬢だ!)
(──オペレーション悪役令嬢!?)
なんと……!
(しかし父上、アーシェリーを巻き込むのですか!?)
(彼女も関係している。彼女の父は没落貴族だ。彼女の父はなぜ没落したと思う?)
(まさか父上──)
(そうだ。アーシェリーの父は、サブプライムローン工作の先行実験で経済破綻し、没落したのだ!)
(そ、それは……)
(いいか? よく聞け? 手順を言うぞ? まず皇太子殿下がアーシェリーを口説く、それに嫉妬したヒルデガルドがアーシェリーを虐める。そしてヒルデガルドが悪事を働き悪名を垂れ流す。そして将来婚約破棄の可能性を敵へ示唆する)
(なるほど。ならば敵スパイは婚約破棄の元凶・アーシェリーを消そうとする……)
(そうだ。その時お前はアーシェリーに接触して来たスパイを確保しろ!)
(父上、しかしスパイが誰だか見当もつきません! それでは……)
(ハッハッハ! ワシの軍師たちを舐めるではないわ。既にある程度特定はしてある。スパイは、──体育教師の誰かだ!)
父の軍師団は一計を案じた。
帝国と敵国の暗号解読はお互いある程度傍受されている。だがわからない事があった。
『“T”のスパイを派遣』の“T”が何かわからなかったのだ……。
そこで軍師団はそれぞれの科に関わる暗号文を垂れ流した。そのうちの一つに『体育教師のテニスラケットが不足』という暗号があった。
敵はまんまと動いた。
『直ちに“T”へテニスラケットを』と暗号を打診したのだ。
こうして“T”は、体育教師とわかったのである。
──やるではないか、軍師団!
ヒルデガルド嬢は自身の論文に工作を盛り込まれ、見破れなかった自分に静かに怒り狂った。アーシェリー嬢も父の事となると本気でキレて協力体制は万全となった。
アルベルト皇太子殿下はオペレーション悪役令嬢に従い、アーシェリー嬢を公の場で口説いた。
「──君の瞳、とても綺麗だね。君を見ているとなぜか胸が疼くんだ……なぜだかわかるかい? 僕にはわからないよ……教えてくれるかい? もしかしたらその唇に、秘密が隠されているのかもしれない……」
ヒルデガルド嬢は猛烈に嫉妬したフリをした。きつく当たるフリをしてアーシェリー嬢の持っていたどうでもいいノートをビリビリに破ったりして虐め倒した。猛反発を受け派閥が形成され、紅組白組、源平合戦のようになってしまった……。
「まさかあのヒルデガルド様が……」
と、帝国宮廷学舎に暗雲が立ち込め騒然とした。そして悪名が積み重なっていった……。
そんなある日、体育の授業で事件は起きた。
「う~ん。アーシェリー君? 君は運動音痴だねぇ? 僕が君へテニスを手取り足取り教えてあげるよ? ほら、こっちへおいで?」
「い、嫌です……そんな……」
「おや? 断ってもいいのかい? 体育の単位落としたら留年しちゃうよ? だから留年しない様に僕がいろんなこと教えてあげるよ。で、な、い、と、お父さん悲しませちゃうよぉ? ほらぁ、体育倉庫に来なさい?」
「──うっうう……。は、はい……わかりました。その前に、お手洗いに、すぐ向かいます……」
「う、うひ、うひひひひひひい! ものわかりが良くてすばらしいねぇ! 早く来るんだよ? アーシェリー君? うひひひひゃひゃひゃひゃっ!」
──馬鹿が。
私は体育倉庫の戸を開ける。
「──こんにちは、先生。私、球技苦手なんです。手取り足取り教えてください」
「えっ!? えぇぇえぇ!? が、ガブリエラ、げ、元帥!? ちょっ! な、なぜここにぃぃい!? ええぇぇ!? うえええぇぇぇぇえええ!? あ、あ、ああ──────ッッッ!!」
この体育教師は知っている事すべてを吐いた。
こういう一部の教師のせいで、真面目に頑張っている教師たちの名を汚す悪は許さん。
「──アァァァァァァッァアァアアアァアァァアアァァァ!!」
黒幕は帝国枢機内閣家令大臣(財務大臣みたいなポジション)だとわかった。しかしこいつの供述だけでは強要や買収などの可能性も疑われ証拠不十分とされてしまう。
そこで決定的な証拠も得る必要があった。
ターゲットは絞られている……。多くの情報も手に入った……。
次なる作戦名は、
──『オペレーション婚約破棄』である。