離縁してくれと頼まれましても‥旦那様は私の立場を理解していまして?
恋愛ものを書こうとしたら、なぜかこうなりました。
というか、ほとんどこうなります。
3月21日
誤字報告ありがとうございます。
対応については活動報告をご参照ください。
「ユリーナ、離縁してくれ」
先々週産まれたばかりの双子の娘達に母乳を与えていると、突然部屋に駆け込んで来た旦那様が私の目の前でスライディング土下座を決めました。
「痛!」
旦那様の突然の乱入に驚いた娘に乳首を噛まれ、私は思わず小さく叫んでしまいます。乳児の歯茎とはいえ慣れない授乳に敏感になっていた所を噛まれたので、思った以上に痛かった事に私も驚きました。
「あらあらびっくりしちゃったわね。貴女も後はミルクにしましょう」
驚きで硬直している娘のほっぺを優しく突いて口元を緩め授乳を止めると、旦那様を無視して窓際を振り返ります。
そこには乳母がいて、もう一人の娘にゲップをさせていました。
乳母は上手にゲップ出来た娘を傍に待機していた侍女の一人に預け、私の抱いていた娘を預かると泣き出す前に準備してあった哺乳瓶を咥えさせました。状況を読んだ乳母は軽く侍女らに目配せし、娘達と静かに部屋を出て行きます。
何も指示していないのにその場を理解して、私の望み通りに動く乳母はさすがです。
部屋に残されたのは土下座をした旦那様と、ベッドに座り滲み出て来る母乳をタオルで押さえた私だけでした。
「で、旦那様。何がどうなっての謝罪発言ですの?」
「すまない」
「だから、なんですの?謝る理由を言ってくださいな」
「す、すまない」
旦那様はギュッと拳を握りしめて土下座のまま謝罪するだけで、こちらを見ようともしません。
「顔を上げて、話はそれからです」
いつもと違う私の強気の言葉に、夫はビクつきながら顔を上げました。
「浮気相手に息子でも産まれたとか?」
旦那様の目がまん丸に開きます。
「図星かしら。で、お相手は?」
私の脳裏には一人の少女の顔が浮かんでいました。
「リリーナ、かしらね」
旦那様の顔が思いっきり引き攣りました。
リリーナとは、私の一応腹違いの妹の名前です。
「なぜ、それを」
「あら、当たりですの?」
私の実家は川を挟んで隣国と接した場所にある辺境の地を治める一族で長年領主をしています。
辺境伯として中央に籍を置いていた時代もあるという古い一族です。しかし我が国と隣国が和平条約を結んで国境での小競り合いが無くなった頃、ご先祖さまが両国の王に『表舞台に引っ張り出すな』と宣言し確約をもぎ取りました。
それから王都の屋敷を処分し領地に引っ込んだ後、三代に渡り宣言通りに暮らしている私の実家は『引き篭もり貴族』として貴族の間に知られています。
そんな王都と縁のない田舎領主の屋敷に、お父様が愛人と娘のリリーナを連れて私の前に現れたのは、お母様が亡くなって僅か一ヶ月後の事でした。
私より2歳下だという妹はカンシャクモチノワガママムスメで、私の物を何でも欲しがっては嘘をつき奪うことを嬉々としてやっている様な子供だったと憶えています。
やっと一緖に暮らせる3人にとって私は邪魔者だったのでしょう。お父様が2人を招き入れた翌週には、通い始めたばかりの王都の学園の寄宿舎に入れられました。
そして学園の休暇中に一度も実家に戻れる事なく卒業を迎えた当日、数回しか会ったことの無い婚約者だった旦那様の家に向かわされました。迎えの馬車が帰路途中の神殿に立ち寄ると、隣の領主と婚約者とお父様が待機していて4人だけの簡易な神前式が行われ、その後は妊娠が分かるまで旦那様の屋敷の敷地内で軟禁状態で過ごしていたのです。
嫁入りに実家の侍女を私に同伴させるのを渋っていたお父様は、妊娠後半になりお腹の子供が双子で出産が危ういと知った途端に掌を返すかの様に、実家の使用人達を旦那様の屋敷に寄越しました。それも祖父母の代から仕えてくれている古参の者達ばかり。
母子が儚くなった場合の責任を使用人達に押し付ければ、退職金も払わずに追い出せると考えていた様です。
けれど私にとって懐かしく信頼できる者達が側にいる事は心強く、それが良い方に向かった様で母子共に無事に出産を乗り越えました。
母が亡くなってから9年、漸く私は幸せを実感出来たのです。
そんな環境だったので、家庭教師を付け実家で過ごしていたリリーナとは殆ど面識がないのですが、あの少女がそのまま大人になったのならば旦那様に近づくだろう事は想像出来ていました。
「で、何と言われましたの?お父様に」
旦那様は言いにくそうに唇を何度も噛み締め、視線を逸らして口を開きました。
「ユリーナと離縁して、リリーナと再婚しろと」
私は大きく溜息をつきます。
「はぁ、‥お父様が言いそうな事ね」
「それに跡取りを産んだリリーナと再婚すれば、父上も領主を譲ると言っている」
「馬鹿ばっかりね」
私はお義父様の発言にも呆れました。
「私の娘達は神殿に届け出て、この家の長子と第二子として承認されてるわ。旦那様、あなたは我が国の制度を覚えてるかしら?」
旦那様は首を傾げました。
「我が国では神殿で承認された長子が跡取りですのよ」
「それは‥
で、でも、長子が女児の場合は男児が生まれたらそっちを跡取りに変えられるじゃないか」
「そうね」
旦那様がそう言うのも分からないではないのです。
旦那様は2人姉弟ですが、弟である旦那様が産まれると直ぐに跡取りは旦那様に変更されました。
そのことを言いたいのでしょう。
でもそれは旦那様の両親が男児に重きを置いていただけで、貴族のほとんどは男女関係なく長子が跡取りとなっているのです。
そんな事よりも、旦那様は肝腎な事を2つ忘れてます。
「変更出来るのは同母だからですわ。
義姉様と旦那様は同母の姉弟ですわよね?」
この制度は王族でも同じです。
第二子だったのに王になった現王様も長子である姉姫様とは同母でした。この跡取りの変更については、現王様が『隣国の王を愛して苦しんでいた姉姫様を、彼女が愛する隣国の王に輿入れさせる為』だったと、美しい姉弟愛として広く知られています。
とにかく偶に例外はあれど、我が国では長子以外が跡取りになる事は本当に滅多にない事なのです。
現に現王様には王妃様との間に姫様と王子様が生まれているけれど、次期王は長子の姫様と決まっています。
その事を思い出したらしい夫は、気まずそうに下を向いてしまいました。
「貴族の中での暗黙の了解ですが『愛人と子を持つ事が許されている』のには一応ですが理由がありますのよ。
それは『本妻の子供が絶対に跡取りとなる』からです。本妻以外の愛する者に子供が生まれようとも、正式な婚姻の元に生まれた子供しか認められないのです」
財力のある下位の貴族の中には暗黙の了解を知らず、平民の感覚で愛人を持つ者がいると聞きます。辺境の下位の貴族に育ったお父様も、きっと知らない者の一人なのでしょう。
リリーナはお父様の血の繋がった実の娘ですが、扱いは第二子ではありません。
領主の権限下で屋敷に居る間だけ教育を受けさせてもらえているだけで、家名を名乗る事は許されません。
貴族に必須なのは血族の確かな家同士の繋がりなので、家名を名乗れない者を貴族が身内に入れる事はありません。
なので、実家と何の関係もないリリーナが私の代わりに貴族である旦那様に嫁ぐ事は出来ないのです。
もちろん後妻に入った後に出来た子供ならば、前妻に子供がいない場合はその家の跡取りとなります。
前妻との子供がいたとしても、第二子以降として育てられ家名を名乗り貴族としての繋がりが持てるのです。
周りの諸国と違い、我が国の貴族は婚姻の前に子供を作る事はしません。
特に愛のある婚約をした貴族ほど婚前の清らかさを貫きます。愛する人との間に生まれてくる子の為に。
「あ、そうですわ。
忘れていないとは思いますけど、私の実家は母方の血族が引き継いでいます。
ですから入婿のお父様が何を言われようと、私が実家の主でお父様は仮なのです。ですから私達の娘のどちらかが旦那様の跡取りとなりどちらかが私の実家の跡取りになるんですのよ。
それは旦那様もちゃんと理解してますわよね?」
「あ、うん。ちゃんと理解しているとも」
お父様に簡単に唆された言動を見れば、旦那様の言葉が本当か疑わしい所です。
お母様が存命の時に決まった旦那様との婚約は、隣の領主に資金援助をする代わりに旦那様が婿入りし、旦那様と私の間に生まれた子供の一人を隣の領主の跡取りにする事が条件でした。
けれどお母様が亡くなって寄宿舎に閉じ込められている間に、私が嫁入りする形になったのです。
お義父様の『やはり息子に家を継がせたい』お父様の『ユリーナを嫁に出し、ユリーナの持つ権利を奪いたい』という願望にタッグを組んだ2人が、私達の婚約の条件を勝手に変えてしまいました。
お母様が亡くなり、お父様は自分の立場を勘違いしたのでしょう。
お父様はあくまでも実家の入婿。
残念ながら領主であるお母様が亡くなった時点で、実家の権限など全ては私に移っていました。
その事を知っているのは家令と実家の屋敷に仕える者達です。
当時私はまだ10歳の子供でしたので、家令と相談して対外的にはお父様に領主を名乗らせる事になりましたが、『父親は娘が成人するまでの仮の主』という事は、貴族の間では周知の事実でした。
お父様が私を追い出したつもりでいた学園の寄宿舎での経験が、皮肉な事に私に貴族としての社交術と知識を持たせました。他家に嫁がされようと私が実家の主である事は覆らないと知っていたので、小さな条件変更くらいはとお義父様とお父様の安易な画策を見逃すことにしたのです。
放っておいても将来自分の子供が跡取りとして両家を引き継ぐので、私は両家の発展に力を尽くすだけと考えていました。
まさか実家に帰る事なく嫁がされるとは思っていませんでしたが、それだって私にとって些細な事です。
そして産まれた娘達。
2人が成人するまでお父様をこのまま実家の仮の主とすることもできました。
今回の事がなければ、そうなっていたかもしれません。
初めての子育て中に実家の事で動くのは面倒なのですが、このまま放置していてもより面倒な事になりそうなので動く事になるでしょう。
いえ、もう始まってるのです。
仮の主とはいえ領主としての最低限しかない公務もまともに行えず、管理のほぼ全てを家令に投げている様な人です。
使用人達に見せてきた自分の言動が悪手だと気付くには、やり過ぎていますし遅いのです。
家令は先祖代々実家に仕えてきた一族です。血族至上主義で実家の表も裏も支えてくれる信頼ある一族なのですが、至上主義であるが故に過激な者も多く、時々暴走しそうになる彼らを束ねているのが家令その人。
寄宿舎から動けない私の代わりに、実家でお父様が馬鹿な行動をしないように操縦していたのも家令です。
ちなみに乳母や侍女も家令と同じ一族です。
お父様から夫への先程の発言は家令の目の前で行われたでしょうし、勝手に画策して私を嫁に出した事を含めて、流石にもう彼らを抑える事は出来ません。
旦那様が忘れているだろう肝腎な事のあと一つ、それはリリーナの母親が貴族ではないという事。
リリーナの母親は後妻になったつもりで過ごしていたけれど、お父様が勝手に出した婚姻届は不備があるとして破棄されたと神殿から報告を受けています。不備とは、貴族の婚姻届に平民の名が記されていた事でした。
我が国では貴族と平民は婚姻出来ません。
平民であるリリーナの母親とお父様が結ばれるにも平民のリリーナと旦那様が結ばれるにも、貴族側が平民になるしかないのです。
今まで後妻でもないリリーナの母親がリリーナと共に貴族の屋敷に住むことが出来たのは、領主の権限です。
つまりは、私の温情でした。
それもお父様の今回の馬鹿な発言によって永久に失われましたけれど。
「今頃は親子水入らずを楽しんでいるはずですわ。だって、やっとお父様が屋敷を出て平民になると決めたのですから。
これからはリリーナも堂々とお父様の娘だと名乗って、親子3人幸せになれますわね」
お父様達の幸せを願って微笑む私の言葉に、夫は真っ青になって小さく震えている様でした。
そう言えばリリーナが子供を産んだと言ってました。
「親子3人ではありませんでしたわ。
親子4人‥いえ、5人の方がより幸せかしら?」
旦那様、私の立場を理解していただけたでしょうか?
お読みいただき
ありがとうございました。