第四章 「夢集いし刻(とき)」 13
真夜花にかけよった所で、また携帯が震える。着信はナナコからで、今度は電波の調子がいいのか、手短に用件を伝えると通話を終了させた。
真夜花へと手を差し伸べる。が、さっきまで一刻も早くここを出て行こうとしていたのに、真夜花はそれを無視した。なぜかと思って見ると、足の先端に向けて薄く透明になっている。そりゃ、こけて当然だな。それにしても、どうやら本当に時間がないようだ。
「由愛なら大丈夫だ。ちょっと俺の連絡が遅いんで、由愛からナナコの方に問い合わせがあっただけみたいだ。だから、心配ないよ」
その言葉に、真夜花はお尻を床につけたままホッと胸をなで下ろした。
「これではっきりしたよな。自分の本当にやりたいことが……」
「ええ……。ようやく思い出しました」
薄い笑み。
「だけど、もう間に合わないわ」
手のひらを広げると、真夜花は半透明になった指先を見つめる。
「自業自得ね。あの日、私があの子にきちんとさよなら出来ていれば、きっとこんなことにはなっていないはずだった」
「あの日?」
真夜花は、消えつつある手のひらに視線を落したまま語り始めた。
「そう……。あの日は、あの子がずっと目標としていた全国小学生統一テストの結果発表日だった。だから前から、その成績が良かったらお祝いしようって約束していたの。ご馳走や甘いお菓子をいっぱい用意して、頑張ったねって、ささやかだけど今まで頑張ってきたお祝いをしようって」
真夜花の指先がビクンと震える。
「だけど、私には出来なかった。多分、自分でもその時には気付いていたんだと思う。私があの子に教えることは何もないんだと。これで自分の役目は終わってしまうんだと。だから、私は願ってしまった。もう少し、あと少しだけって……。そして、嘘をついた。『今日は用事があってお祝いが出来ないから、また明日ねって』あの子は、疑いもせずに、『うん』って言って、指切りをしたのよ」
――そして、その次の日からあの子には私が見えなくなっていた。
そんな言葉が俺の耳に響いた。
「あの子は消えた私を探していた。クラスの子たち、近所の人に、いないはずの人間のことを聞いてまわっていたわ。私も叫んだわ。私はここだと、ここにいる。あなたのすぐ側にいるんだと、何度も、何度も叫んだのよ。だけど、その想いは届くことはなかった。そして、ひと月、ふた月、半年経った頃には、あの子は私のことなんて口にすることもなくなっていた。ただ、自分の勉強に没頭し、周りの人に気を使ういい子になっていたわ」
「そうか……」
「あなたの言った通りです。子供は勝手に育っていくものね。お祝いの日、一緒にお菓子も作ろうと思っていたのに、あの子は自分の力だけできちんと作れていたわ。私が想像していた以上にね」
首をかしげると、真夜花は説明を付け加えた。
「いつだったか、あなたが見せてくれたクッキーのレシピ。あれは麻耶が由愛のために遺したものなんです」
あの調理実習の時のやつか。
「そして、それこそが麻耶が由愛に一番残したかったものだったんです。自分の研究を引き継がせることなんて、本当はそんなに大切なものじゃなかったのよ。今ならそれが理解出来るわ」
「え……」
「麻耶が残した一枚のメモ。研究や実験漬けで、料理なんてほとんどやったはずなかったのに……。難しいレポートの間に大切に挟まれた願い……。麻耶が由愛に一番残したかったもの……」
今さら、そんなことに気付くなんてと、真夜花は後悔の念と共に吐き出す。
「ただ幸せな時間を我が子に過ごして欲しい。両親の研究を引き継がせることなんかじゃない。それこそが、私が成すべきこと。託された想いだったんです。でも、私はその親子の想いを裏切ってしまった。悪いのは私だったんだ。だからこれは罰なんです。永遠にたどり着くことのないゴールを追い求める呪い」
色を失っていく手足。刻一刻と終焉は近づいていた。別れはもう止めようがない。だけど、その結末を変えることくらいは俺にだって出来る。




