第一章 「運命の女(ファム・ファタール)」 5
と、また唐突にナナコが俺を示して、「ムサシだ」と由愛に紹介する。
って何、本名で紹介してるんだ! 心の中で突っ込みを入れる。
「ムサシさん……ですか? その、個性的なお名前、ですね?」
由愛は三つ編みの先っぽを指にクルクルと絡めて、不思議そうに首をかしげている。
「ああ、違う違う。ムツミよ。私は、近藤ムツミ」
俺は首を横に振ると、自分の胸――厳密に言うと人工的な膨らみを形成している作り物の胸に手を当てて訂正する。
「ムサシは――。そう、私の双子の兄の名前。この子よく間違えるのよ」
ホホホと笑って誤魔化す俺の話を、由愛は、「そうなんですか~」と疑いもせずに受け入れているようだった。ナナコの方は、自分の役目は終えたと思ったのか、既にレジャーシートへと腰を下ろしている。
この野郎、ここで調査の現状報告をしようとしていたのを忘れてるんじゃないだろうな……。とは言え、下手にこの場を去って由愛に不信感を与えても仕方がないので、俺も靴を脱いでレジャーシートへと足を踏み入れようとした所で、
「それで、お二人はどういうご関係なんですか?」
と、凄い今更の質問を受けて思わずズルッとこけそうになる。
「え? そこから?」
思わず素の自分に戻りかける。
「すいません。ナナコちゃん、ここに来るなり『ちょっと待ってて』って言って突然いなくなっちゃって」
そう言うと、恥ずかしそうにテヘっと由愛はピンク色の舌を出して笑った。
その辺はナナコが上手く言っておいてくれていると思っていたのだが、流石にそれはハードルが高かったようだ。いよいよナナコのコミュニケーション力のなさをどうにかしないとな……。
そんなこんなで、俺たちは改めて互いの自己紹介をしながら、昼食をとった。
当然ながら、俺たち二人がこの学園に事件の捜査で潜入している探偵だということは隠しておいた。取りあえず、俺とナナコは従姉妹関係で、今は家庭の事情で一つ屋根の下、一緒に暮らしているというような内容で説明を行った。
当たり障りのない内容ではあるが、談笑しながらランチタイムを三人で過ごした。にしても、オヤジが作った弁当はナナコには少しボリュームがあるらしく、由愛が自分で作ったという、野菜メインのカラフルなお弁当と二人で交換しながら食べていた。
昼食中、由愛は随分とナナコの世話を焼いていた。年齢的には同じはずの二人が、仲の良い姉妹のように見えて、俺はどこか安心したようなほっこりした気分になっていた。
ニヤニヤと二人の様子を観察していた俺を、ナナコが何かもの言いたげな顔で見ていた。
本人的には不本意だろうがこちらの思惑的には良い傾向ではある。
今回の任務。俺と、事務所の所長であるオヤジもだが、実の所ナナコに関しては、本来の潜入調査よりも主に年の近い人間と接することの方が優先事項だと考えている。
愛情遮断症候群だったナナコは、出会った時よりも人間味は増したとはいえ、俺とオヤジ以外の人間と接することに慣れていない。普通に生活するのに致命的な問題はないのだが、やっぱりそれなりにちゃんとした受け答えくらいはして欲しいと思うわけで、この任務を通してその辺が少しは解消してくれればと密かに期待している。
そんな画策も、目の前の光景を見ていたら上手くいくような気がした。甲斐甲斐しく世話を焼く由愛に、ナナコも無表情ながらもまんざらではないように見える。淡い期待を抱いて俺は二人を温かく見守った。