第三章 「ユメ」 21
受話器を置いて振り返ると、ナナコがどんぶりの中のご飯でおむすびを作っていた。
「行くんでしょ?」
「ああ。でも……」
作りたての夕飯はおいしそうに湯気を上げている。ナナコがせっかく作ってくれた料理も、冷めてしまえば明らかに味は落ちてしまうだろう。何となく申し訳ないような気になってしまう。
「なら早く行った方がいい。郷力が心配だ。大丈夫……。料理は逃げたりしない」
「そうだな……。夕飯は帰ってきたら、ちゃんと食べさせてもらうからな」
うなずくナナコから、ラップにくるまれたおむすびを二つ受け取る。と、ナナコの白くきめ細かい指に違和感を覚える。
「って、お前、指切ってるじゃないか」
手を取ってよく見ると、指の薄皮が切れている。痕が残るほどじゃないが同様の傷がいくつもあった。味噌汁の具をカットする時にでも切ったのだろうか。
「問題ない。もう傷は塞がっている。ローマは一日にしてならず。由愛はいつも頑張っている。願いを叶えるには努力が必要だって教えてくれた。おいしいものを作るためには練習は必要だ」
「バカ、痛かっただろ? 綺麗な手がこんなになって」
叱りつける俺を、ナナコはこちらを覗き込むようにしてジッと見つめた。
「馬鹿でいい。綺麗じゃなくてもいい。わたしはただ武蔵に、わたしが作ったものを食べて欲しかった。だから……」
制服のままのナナコ。シンクの三角コーナーを見ると、テーブルにある料理以上の残骸があった。心なしかナナコのお腹がいつもより膨らんでいるような気がする。
俺が口にしたのは最高の出来のものだったというわけか……。
「ったく。お前ってやつは……」
ちっ、三角コーナーの玉ねぎが目にしみるぜ。目尻を拭おうとするもそれを阻まれた。今度はナナコが俺の手を握り返していた。傷ついた白い指が大きくゴツゴツとした手を優しく包み込む。
「だから、作ってよかった」
白魚のような指が、節くれ立った稜線をなぞる。
「食べてもらって、分かったんだ……」
「分かったって、何が?」
ナナコは掴んだ手をそのまま自分の胸に当てて、
「気持ちがいい……」
「なっ――!」
唐突な出来ごとに体が硬直する。下手に手を動かすと、いけない場所に触れそうになってしまう。
「この辺りが凄く心地いい」
と、ナナコが俺の意思を無視して、掴んだものを胸の中心に押し付ける。控え目なクッションに手のひらがわずかに沈み込む。
「気持ちいいものだな。誰かに褒めてもらえるのは……。おいしいって言ってもらえるのは……」
そういうとナナコは目を細めた。俺もオヤジと交代で料理はするが、『おいしい』なんて言ってもらっても、それは当り前のことで特に何かを感じるはなかった。だけど、目の前で穏やかな笑みを浮かべているナナコを見ていたら、なぜかその言葉が特別で、心に響いた。
「そうか。気持ちいいのか」
ナナコの言葉を正しいと証明するように、俺が触れた柔らかな場所は、優しくこちらをノックしていた。




