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第二章 「青い春」 6

「私は白金の方です」

 無事レポートの提出を終え学園から退散しようと下駄箱に向かっている途中、今更ながら真夜花の居所を訊くとそんな答えが返ってきた。

「白金ですか。これまた結構なお住まいですね」

 ハハハと俺は苦笑いを浮かべる。

 白金はこの辺の地域ではセレブの住む小高い丘の上の街で、俺の自宅兼コンビニはその麓にある。

 見目麗しい姿だけじゃなく、生まれにおいても真夜花は一流の人間のようだ。まあ、白百合女学園自体がお嬢様学校なので、別段驚くようなことでもないのだが、流石に違う世界の人間なんだと実感してしまう。

「それじゃあ、途中まで一緒ですね」

 と、二人で校門を出るまでは良かったのだが、五分ほど歩いた所でどしゃ降りに見まわれた。

 とっさに、シャッターの下りた店屋の軒下に避難したので、大惨事はまぬがれたが、それなりに濡れてしまった。

「びっくりした~」

 俺は化粧が崩れないようにハンカチを額に当てながら水滴を拭う。

「本当、急ですよね。凄く大きな雨粒。これがゲリラ豪雨というものなんでしょうか?」

 前髪を整えながら真夜花が水しぶきを避けて一歩後ずさる。

「ですね」

 まさに、その通りだろうと、うなずいて返す。

 校門を出るまでは、薄い曇り空だったはずなのだが、ポツリポツリと降り出した雨はものの十秒も経たないうちに本降りとなった。

 二人、肩を並べて黒々とした雨雲を見つめる。

「…………」

「…………」

 気まずいというほどでもないが、俺もそうだが、真夜花の方も普段実習生同士であまり会話をしていないので何となく押し黙ってしまう。共通の話題的なものでもあればいいのだが、真夜花が何を好きなのか分からないし、昔から何の気なしにする雑談は苦手な方だ。聞こえてくるのは、せっかちな雨音だけ。

 何となく俺は横目で真夜花の様子をうかがう。

 スーツの下の白いカッターシャツが雨に濡れて体に張り付いている。その下には、凝った装飾を施した下着が透けていた。黒か紺かはっきり分からなかったが、そのまま見ているわけにもいかないので、しぶしぶ視線を上に向かせる。と、真夜花は恨めしそうに、雨粒を降らせている雲を見つめていた。

「雨はお嫌いですか?」

「嫌いです……」

 上を向いたまま即答する。

「その髪のせい?」

 真夜花は雨に濡れ、もわもわとボリュームを増した髪の毛先を、指でクルクルといじっていた。

「意地悪、なんですね」

 そう言うと、真夜花はプックリと頬を膨らませる。怒っているわけではなさそうだが、何だか話しかけにくい雰囲気になってしまう。

 じっと遠くを見つめている真夜花。ボリュームはたしかに増えているが、髪全体がしっとりと湿り気を帯びて妙に艶っぽい。水もしたたるいい女とはまさに彼女のことだろう。くっきり二重まぶたが軽く瞬く。透き通るような真ん丸いブラウンの瞳が、潤い輝いた。

 どこか吸い込まれそうな瞳に見とれていると、俺の前髪にかかっていた細かな水しぶきが寄り集まり、一滴の雨粒となって地面に落ちる。とっさにハンカチを取り出そうとポケットに手を突っ込む。と、昼に由愛からもらったクッキーの小袋を見つけた。

「あの、良かったらこれ、どうですか? その……。赤糸さんのおかげで無事レポートも提出出来たし。お礼と言ってはなんですが……」

 話のネタにでもとクッキーを差し出す。ポケットに入れっぱなしだったせいで、両耳が欠けたトロロを不思議そうに見つめる真夜花。

「生徒が調理実習で作ったクッキーです。甘いものが苦手でなければ、いかがですか?」

 素直にクッキーを受け取った真夜花は、正体不明のUMAと化したトロロの頭部を控えめにかじる。大きな瞳がさらに大きく見開かれた。

「凄くおいしいですよね――」

「これは!」

 真夜花が、俺の言葉にかぶせて、「これは、誰が作ったんですか?」と詰め寄る。

「え? ええ……。さっきも言いましたけど、生徒の一人が作ったんですよ。一年の矢追由愛さんです。知ってます?」

「あの子がこれを……」

 真夜花が睨むようにして頭部を無くしたトロロを見つめてつぶやく。

「はい。すごく目立つ子ですよね。クラス委員で、成績優秀、スポーツ万能。おまけに料理まで出来るなんて天は二物を与えずどころか、三物くらい与えているんじゃないでしょうかね?」

 真夜花は、そんな俺の言葉なんか耳に入っていないようで、クッキーを噛み締めている。

「どうですか? もしかしてお口に合いませんでした?」

 俺は真夜花がクッキーを完食するのを待って、声をかけた。が、その言葉に真夜花は反応せず、どこか魂の抜かれたような顔色をしていた。

「赤糸さん?」

 流石に不安になって肩に手を置くと、真夜花はビクンと体を震わせてこちらを向いた。

「どうかしました?」

 それはこちらの台詞だと言いたかったが、そこはあえてスルーして、

「クッキーどうでした?」

「え……。あっ、はい……。もちろん、おいしかった……ですよ」

 真夜花は湿った前髪をかき上げる。どこかぎこちないようにも見えたが、明確に何かがおかしいと指摘出来そうもない。まあ、人はおいしいものを食べると自然と無口になるのは自然の摂理だ。さっきの彼女もきっとおいしいクッキーを口にして無言になっただけだろう。そう結論付けると、俺はおもむろに由愛から貰ったレシピをバッグから取り出して真夜花に渡した。

「それ、矢追さんに貰ったクッキーのレシピです」

 一枚ペラのコピー用紙を手に真夜花は、眉を逆ハの字にした。それから、レシピを穴が開きそうなほど厳しい視線で見つめる。随分と熱心だ。そんなに気にいったのだろうか?

「何でも子供の頃に作ったものらしいですよ」

「ええ……。しって――」

 真夜花が何かを呟いたかと思うと、ザアアア――と雨足が強まりその言葉をかき消す。水しぶきが目に入ったのか、瞬きをすると同時に雫が頬を伝いこぼれ落ちる。

 降りしきる雨。A4の紙が湿り気を帯びて、クシャリとへたった。



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