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第二章 「青い春」 5

 放課後。体育準備室から出た俺は、大きく息を吐き出しながら、本日分の授業を終えた安堵感にしばし浸る。

 大きく息を吐き出して天を仰ぎ見ると、空一面に薄く雲が広がっていた。遠くの空は、黒々とした色をしているが、まだこちらに来るには時間がかかりそうだ。いっそ降り出してくれた方が楽が出来たのになと思ったが、今となっては意味がない。

 それにしても体育の実技二連戦は、さすがにこたえる……。って俺は特別何もしていないんだけど、立ちっぱなしの作業というのは結構腰にくる。実際、何かしていた方が気が紛れるくらいだ。

 凝り固まった腰をトントンと叩きながら、教育実習生の控え室に入る。

 薄暗い教室の中に一人の実習生がいた。窓際に立って外を見ている。一瞬、昼間に耳にした幽霊でも出たのかと思ったが、それがすぐに杞憂だと分かる。後ろ姿でも分かる綺麗なフォルムな美女。

「赤糸さん……」

 俺の呼びかけに気付いた様子もなく、真夜花は窓の外に視線を向けている。厳密には中庭に沿って歩く生徒の一団を見つめていた。そのせいか少し顔がうつむき加減になっていて、長いまつ毛が下を向いて憂いを帯びている。

 その姿はとても美しくて、ずっと見つめていたいとも思ったが、このまま見ているのも気が引けるので、驚かさないよう注意しながらもう一度声をかけた。

「赤糸さん?」

 今度は声が届いたのか、真夜花はハッとすると顔を上げこちらに振り返る。同時に、ふぁっさーっと音を立ててひるがえる髪を手で押さえつける。

「近藤、ふぁん!?」

 押さえきれなかった後ろ髪がわらわらと口元を覆う。ウェーブがかった毛先がほんのりピンク色をした唇に張り付いて真夜花の美声を邪魔する。

「何を見ていたんですか?」

「も、もうすぐ雨が降りますね」

「?」

 思いがけない回答に俺は頭にハテナマークを浮かべた。

「天気が悪いと湿度で髪のクセが増すんです」

 真夜花が、手グシで髪を整えながら照れ笑いを浮かべる。

 笑ってはいけないと思いながらも、こらえ切れずに口元を隠して噴き出す。完璧な美貌を持ちながらも、意外とお茶目な所もあるんだなと、そのギャップにやられそうになる。

「ああ、それで外を見ていたんですね? それで、まだ、帰らないんですか? 他のみんなはもう帰ったみたいですけど」

「あ……。はい」

 基本、実技実習のある体育担当の俺が実習生の中で一番遅い。次に遅くなる実習生は決まっていないのだが、移動教室で実習授業のある生物担当の真夜花もそれなりに居残りの機会があるようだ。

「早く帰らないと、この学校、幽霊がでるみたいですよ」

「幽霊?」

 うらめしや~の格好でおどけてみせる俺に、真面目な顔で真夜花が首をかしげる。

「え、ええ……」

 居住まいを正して答える俺。正直、美人の真顔は、綺麗だけどかなり怖い。

「生徒が言っていたんですけど、何でも少し前からこの学園で幽霊を見たって噂があるらしいですよ。まあ、でも学生が言うことですから……。そういえば、赤糸さんは生物専門ですから、こういうオカルト系は信じてませんよね」

 肩をすくめる俺に、

「そう……ですね……」

 真夜花は、濡れたように艶やかな下唇をゆがめると、曖昧に微笑んだ。

 どうにも意味深な笑みを尻目に鞄を開けて帰り支度を整える。と、鞄の中にレポート用紙があるのに気付く。

「これは……」

 レポート用紙を取り出すと、その隙間からポロリと実習初日に渡されたプリントがこぼれ落ちた。

 手にとって見ると、そこには今回の実習のスケジュールが書かれている。探偵業に時間をとられたせいで、実習の資料を鞄に入れっぱなしにしていた。直近で何かイベントはあっただろうかと、目を通した俺は背中に嫌な汗を感じた。

 何と、実習中間報告レポートの提出日に、今日の日付が印字されていた。俺は念のためレポート用紙を手に、パラパラとめくってみたが、当然のように真っ白だった。

 プルプルと震えている俺に、「どうかしました?」と真夜花が声をかけてきたので、無言で新品同様のレポート用紙を渡した。

「あらあら……」

 顔を見合わせて苦笑いする。

「期限はたしか今日の5時までですよ。大丈夫ですか?」

「だ、だ、だいじょ――ばない」

 思わず泣きが入る。が、教科が違うので彼女のレポートを写すわけにもいかない。絶体絶命のピンチである。

 教育実習自体は本来の任務ではないが、仮にとはいえ教育実習生になった手前、その役になりきるためにはきちんとその責務を果たさなければならない。潜入任務とはそういうものである。少しでも手を抜けば、そこから探偵の身分がばれてしまう可能性がある。だから、やるべきことはきちんとやるべきであるとオヤジが言っていた。

 仕方がない。俺は改めて椅子に座って、レポート用紙を広げた。それから、これまでやってきたことを思い出す。

「…………」

 取りあえず、頭に浮かんだことを書いてみる。初日のオリエンテーションに、初授業に、実技……。

「う~ん」

 ポリポリとボールペンの尻で頭をかく。目の前には自分がやったことの羅列ばかりでごちゃついている。どうにも上手く自分の書きたいことが表現しきれていない。

「書きたいことや考えが上手くまとまらない時は、まず完成図をイメージするんです。そして、そのイメージに向かってあった出来事を書いていけば分かりやすいレポートになりますよ」

 頭を振り子のように揺らしていた俺に、真夜花が隣の席に腰を下ろしてそんなことを言ってくる。

 レポート用紙を覗き込むため、真夜花がこちらへと近づいてピッタリと二の腕が密着する。顔が近くて、すぐ側にある。髪をかき上げて耳にかけるとほんのりと香る女性特有のいい匂いがした。

 それから、真夜花は、「ちょっといいですか」とレポートを自分の手元に引き寄せると、サラサラとペンを走らせて俺が書き連ねた文字列を順序良く組み直していく。簡潔で、変に小難しい言葉は一切使っていない。丸っこく優しい印象の文字だけど、きちんと伝えたいことが実に分かりやすく書かれている。

「おお~。分かりやすい」

 自然と称賛のため息が漏れる。

「まず結論を、この文章で何を伝えたいか? それを強く意識して、その日何をしたのか、その結果どうなったのか。この実習で得たものは何なのかを書いていくと、明確で分かりやすいレポートになりますよ」

「なるほど、まず結論、結果が先にあるというわけね。逆転の発想って所かしら?」

「そうですね。そんな感じですかね。どんなものでも、完成をイメージしなければ、おかしなものが出来ますからね。家を建てたり、車を組み立てるのだって、完成図と言うか最初に設計図を描いてから作業に取り掛かりますよね。それと同じなんだと思います。今回は、教育実習のレポートです。自分が教師になれるだけのスキルがあると証明することをきちんと記述することが大切です」

 う~ん。妙に説得力があり、何だか納得してしまう。

 俺は何かスイッチが入ったように、熱弁してみせる真夜花が微笑ましくて、つい笑ってしまう。

「ごめんなさい。何だか赤糸さん教えるの凄く上手くて、本当の先生みたいだなって。赤糸さんならきっと立派な教師になれますね」

「そんなこと……」

 真夜花は、照れくさそうに頬を染めると体を縮こませた。



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