9 夜行列車で行こう
初秋。
夜の駅のホームに、ナユタはユーリと二人で突っ立っていた。
夜行列車に乗り込む為に、列車の到着を待っている。
定刻は過ぎているが、列車がホームに入ってくる様子はない。
まぁ、列車のダイヤなんて当てにならないものだから、我慢しようと思う。
隣で、ユーリが紫煙をくゆらせている。しばらく一緒に暮らしてみて分かったことだが、ユーリは大変な煙草のみだ。
気分転換と称して、しょっちゅう煙草に火を付けては吸っている。今も、列車の到着を待つ間に何本もの吸い殻が踏みつけられて足下に散らばっている。
「煙草ってさぁ」
「なんだ」
「身体に悪いよね」
「知ってる」
「ユーリって未成年でしょ。いくつだっけ」
「十七だ」
「未成年から煙草を吸ってる人の、がんにかかるリスクって、成人から吸い始めた人の六十倍だっていう統計があるんだよ」
「それがどうした。肺がんで死ぬなら本望だ」
「あとさぁ、受動喫煙って知ってる?」
「副流煙がどうとかいうやつか」
「そう。吸わない僕にまで、健康被害を受ける可能性があるんだよね」
「乳歯が永久歯にも生え替わっていないおまえに言われたくはない」
「この間、最後の一本が抜けたよ」
「うるさい。何をどう言われようと、私は吸いたい時に、吸う」
何だかんだ言って、ユーリはナユタの減らず口に付き合ってくれるので、面白くて良い奴だと思っている。
「そうそう。ナユタったら、おかしいの。下の歯が抜けたからって、屋根の上に投げちゃったのよ」
ナユタの左肩には、既にそこが定位置となったセラフィータが座って、足をぶらぶらさせている。外に出るとき、セラフィータはナユタから離れようとしない。他の人間から危害を加えられることを恐れているのだ。さんざ里で人間は危険な存在であると教え込まれて来たので、ナユタ以外の人間には心を許さない。
捕まったら、どんな酷い仕打ちを受けるか分からない、とよくぼやいている。
「さぞや、立派な牙が生えてくるんだろうな」
ユーリの皮肉を、ナユタは聞き流した。
「ねぇねぇ、ナユタ。あたし、お腹が減ったわぁ。苺が食べたい」
「そんなの、手に入らないよ。ここはお屋敷じゃないんだから」
「お腹減ったーー!」
「さっき、栗ご飯の栗を分けてあげたじゃない」
「あれじゃ、足りないのよぉ」
セラフィータの我が儘は相変わらずだ。時、所、場合をわきまえず、ナユタに無茶を要求してくる。それに付き合うのにも、慣れた。
「やっぱり、苺が、ブドウが食べたいのぉ!」
セラフィータはナユタの回りを飛んで、無茶な要求を開始した。これは、目的を達成するまで事態は収束しないぞ。参ったな。ええい、やってしまえ!
ナユタは無言でセラフィータを鷲掴みにすると、持っていた紙袋の中にしまい込んで、ぐるぐると巻いて封をした。それを、手近にあったダストボックスに放り込んだ。
「これでよし」
「これでよし、じゃない! 妖精は丁重に扱えと言っただろう。希少種だぞ」
ユーリはナユタの後頭部をはたいて、ダストボックスに手を突っ込み、紙袋を回収した。袋の中で暴れているセラフィータを出して、自由にしてしまった。
「あーあ」
「はぁ……」
ユーリが顔を右手で覆って、重いため息をついた。
一方、解放されたセラフィータは怒り心頭で、ナユタの眼前に飛んできて文句を吐き出した。
「なにすんのよ、アンタ! あたしを窒息死させるつもり?!」
「君がうるさいからだよ、セラフィ」
「もっとあたしを丁寧に扱いなさいよ!」
このように、ナユタのセラフィータの扱いも日に日に雑になっている。
「我が儘言わないなら、優しくしてあげる」
「む~~~~っ」
セラフィータはドレスの裾を両手で掴んで、真っ赤な顔を膨らませた。
「分かったわよ! もう、言わない!」
「ホント? ホントに?」
「ええ」
「だったら、僕の肩に座っててもいいよ」
セラフィータは大人しくナユタの左肩に腰を下ろして、それっきり黙りこくった。
「列車が来たようだ」
ユーリが見ている方を向くと、遠方に二つのライトが輝いているのが見えた、その光がずんずん近寄ってくる。
列車がホームに滑り込んで来て、ちょっとした嵐を巻き起こした。髪が風になびく。
「これに乗るの?」
「ああ、そうだ。これに乗り七日間かけて、大陸を横断する」
「七日も乗ってたら、お尻が四角になっちゃうよ」
「仕様がない。移動手段はこれしかないのだから」
列車に乗り込むと、とあるコンパートメントにユーリが入っていった。ナユタもそれに続く。中は意外と広々としていて、座席の他に二段ベッドが備え付けられてあった。
「アースシアだっけ? これから行く国」
「ああ、そうだ」
湾に浮いた巨大な陸繋島。主な渡航手段が列車のみという、非常に特殊な土地柄に築かれた街で、都市国家とも呼ばれている。
アクセスは不便極まりないが、随分と栄えているそうで、独自の文化と芸術が発展している一大リゾート地だという話だ。
ユーリと公正にじゃんけんで決めた二段ベッドの上に上って、一夜を過ごしたナユタは朝、窓の外から差してくる陽光で目覚めた。
ハシゴを下り、窓に張り付いて外の景色を眺めた。
「窓は開けるなよ」
ベッドに腰掛けているユーリは、既に身支度を調えていた。
「心配しないでも、この窓、開かないようになってるよ」
ナユタは窓枠をガタガタ揺らしたが、窓は上にも横にも動かない。はめ殺しなのだ。
「そうだったな」
ユーリは頬杖を突いてナユタの様子を伺っている。
それも、珍しくナユタがはしゃいでいるからだ。
「わああーーすごいなぁ。ねぇ、セラフィ」
ナユタは流れる車窓の景色に、目を輝かせた。列車は緑地帯を走っている。なだらかな稜線を描く山脈が光の線で彩られ、朝陽が顔を覗かせている。
見たこともない壮大な光景だった。
ナユタは感動で胸がいっぱいになったが、
「やだわ。ど田舎じゃない」
肩の上のセラフィータは水を差す。
「女の子には分かんないのかな、この男のロマンが」
「なに、それ? 食べられるの?」
セラフィータは意地悪ではなく、本気で言っている。
「そろそろ、朝食の時間だ。食堂車に移動するぞ」
「待ってよ。着替えなきゃ」
ナユタは窓から離れると、二段ベッドの上に上り、身なりを整えた。
ユーリは子供だからといって甘くない。最低限の時間しかくれない。ナユタは慌てて支度をし、ハシゴを下りた。
と、同時にユーリがコンパートメントのドアを開けて出て行く所だった。
「待ってよ、ユーリ!」
「もう、とろくさい子ねぇ。ちゃっちゃとしなさいよ」
左肩でセラフィータが煽ってくる。
そんなセラフィータは無視して、ナユタはユーリの背中を追った。
食堂車は既に旅人たちで賑わっていた。
案内された席に座るとき、ウェイターが椅子を引いてくれたので、それに合わせて座った。ここはどうやら格式高い食堂車のようだった。
提供される食事も、陸上で出されるものと何ら遜色はなかった。
朝はモーニング。内容はフレンチトーストと、卵料理と、コーンスープと、フルーツの盛り合わせ。
セラフィータは大好物のブドウと苺を抱えて、かぶりついていた。
「美味しーね、ユーリ」
ナユタはふかふかのフレンチトーストにナイフを入れながら、ユーリに話を振った。
「ああ。そうだな」
一晩、卵液に浸されたフランスパンに味がしみていて、美味だ。焼く際のバターの香ばしさも効いている。
卵料理はオムレツで、真ん中で割ると、中に野菜が入っているのが分かった。ケチャップソースを掛けて食べる。
「好き嫌いしないで、野菜も食べるんだぞ」
ユーリが急に保護者ぶる。
「僕、好き嫌いなんてないよ。何だって食べられるだけマシ、だよ」
「そう言えばおまえは、虐げられて育ったんだったな」
ユーリが思い出したように言う。
「そうだよ。だから、食べるものがあるだけマシ。着るものがあるだけマシ」
「うーん、なるほどな」
「アンタ、どんな生活してたワケ?」
ユーリは事情を理解しているが、セラフィータはそうはいかない。ナユタの過去を何も知らないのだ。
知らないなら、知らないでいい。あえて知らせて面白い話でもないのだし。
食堂車での食事は、昼はランチが、夜はディナーが提供されて、限られた食材の中からアイディアを絞った、多彩なメニューが楽しめた。
ナユタはコース料理など、初めて食したが、ユーリは優雅にワインを嗜んでいた。未成年のくせに、と思いはしたものの、その姿があまりに絵になるので、ナユタは何も言わないでおいた。
問題は風呂だ。シャワーもバスルームも装備されていないから、濡らしたタオルで身体を清めるくらいしか出来ない。頭を洗えないのが一番弱った。一週間洗えないとなると、かゆいしべたつくしで、気持ちが悪かった。
人形サイズのセラフィータは、小さな容器に湧かしたお湯を張って、水で温度を調整し、簡易お風呂を毎日楽しんでいた。このときばかりは妖精である彼女を羨ましく思ったものだ。凝視して、
「ナユタのエッチ!」
とお湯を顔にかけられたりしなければ。
その上彼女はナユタの肩にのるとき、
「なんだか、臭うわ」
と、くんかくんか嗅覚を働かせて、
「問題は、アンタの頭ね!」
そう、探偵張りに原因を突き止めて、ナユタの肩に乗ることを拒否した。勝手なもので、ずっと宙を飛んでいるのは疲れるからと、移動する際はナユタに両手で水をすくうときのような形を作らせ、その上に乗るのだった。
彼女は本当にわがままだ。お姫さま気取りだ。でも、その高飛車ぶりが彼女のアイデンティティーであり、愛らしさでもある。だから、ナユタはセラフィータの望むままに願いを叶えてやるのだ。
「ナユタ、おまえ、その年で女性の扱いを心得ているのは、賞賛に値するぞ。大したものだ。隅に置けんな」
と、ユーリに褒め称えられたりした。
列車での長旅のあいだ、主にナユタは車窓の景色を眺めることに時間を費やしたが、たまに飽きると、読書に没頭したりした。
ユーリも同様に、読書をしたり、書き物をしたり、うたた寝をしたりしていた。
そんなこんなで四日目、頭の気持ち悪さが限界に達しようとしていたとき、
「次の駅で、三時間ほど停車するらしい。そのあいだに街へ出て、公衆浴場でも探そう」
と、ユーリが提案した。
「お風呂?」
二段ベッドの上にいたナユタは、声を跳ね上げた拍子に、天井が近いことを失念して頭の天辺を強か打ち付けてしまった。
「あいたたた……」
頭を両手で抱えて痛みに耐えていると、セラフィータが飛んできて、
「ナユタったらおバカねぇ。おっちょこちょいねぇ」
と、笑いながら周囲をくるくる回るのだった。
ともかく、次の駅で止まれば、風呂だ。風呂が待っている。
こんなにも希望の星を渇望したのは、これまでの人生においてあったろうか。いいや、ない。きっと、初めてだ。
ナユタの短い人生で、希望を夢見る日など、ありはしなかったのだ。毎日は灰色のくすんだような日々だったのである。
そうして、ナユタは窓に張り付いて、列車が駅に着くまでウキウキしながら待った。
「あ、駅舎が見えた!」
遠目に駅を発見したナユタは、意気揚々とユーリに報告した。
「そうか、もう着くのか」
ユーリは本から顔を上げた。
やがて列車が駅に入って、完全に停車した。
アナウンスが流れる。
「着いた! ユーリ、早く行こっ!」
てっきり一緒に行動するものだと思っていたナユタは、椅子に腰掛けたまま動こうとしないユーリを怪訝に思った。
「私はここで荷物番をしている。おまえは先に街へ行って、ひとっ風呂浴びてこい」
「え……あ、うん……」
ユーリがまた本に目を落としたので、ナユタは大人しく一人で行くことにした。ちょっとだけ、ユーリの性別が判明するかもと期待したものの、それは叶いそうにない。
ナユタは着替えとタオルなどの入浴に必要なものを詰めたカバンを背負って、コンパートメントを出た。
お疲れ様です。実は執筆するのに、前章とこの章の間で一年空いてます。なので、今後齟齬が出て来るかも知れませんが、大目に見てやって下さい。
あと、ナユタの言う煙草の健康被害についての数値ですが、うろ覚えです。真に受けないで下さい。確か、そうだったような、みたいな感じです。
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