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ORATORIO (E)SCAPE  作者: しおん
7/29

7 フローレンスの呪縛

そこは、ざっと三十畳はあろうかという、広々としたボールルームだった。窓にかかる朽ち果てたカーテンや、かつてホールを照らしていただろう豪奢なシャンデリアは影もなく、過去の遺物へと変わり果てていた。

 ここで、華やかなダンスパーティーが開かれていたとは、にわかには信じられない様相を呈している。

「なんもねぇな」

 ヒースがランタンの明かりが許す限り、部屋の中をを見回した。

「立派な、シャンデリアがあるね」

 ユジュンは天井を照らして見た。

「おい、テン」

 いち早く、テンの異変に気が付いたのは、意外にもイリヤだった。

 イリヤが両肩を掴んで、テンの身体を揺するが、テンの見開かれた目はある一点を見つめたまま動かない。

 クーガーが、テンの異常に即するように、大きな鳴き声を上げた。

 それで、ヒースとユジュンも、背後のテンとイリヤを振り返った。

「どうしたの、おじさん」

『テンの様子がおかしい。それに……』

「それに?」

『この部屋に、何かがいるぜ』

「え?」

「しっかりしろ、テン」

 事態の好転を図るため、イリヤがやむなしにテンの両頬を張った。往復ビンタだ。

「イリヤ?!」

 ユジュンは驚いてイリヤを見た。

 イリヤは至って冷静だ。

「テンちゃん!」

「テン!」

 慌ててヒースも三人の付近まで寄って来る。

 果たして、テンは正気を取り戻した。

「めっちゃおる。みんなには、アレが見えへんの?」

 テンがホールの中央を指さした。

 ユジュンとヒースとイリヤは顔を見合わせて、テンの指さした方向を見、また顔を見合わせた。

 何も、見えない。何も、ない。

 霊感のあるテンの瞳にだけ、何かが映っているのである。

 テンはもどかしく、覚悟を決めたかのように、恐怖を必死で取り払って、ユジュンに向かってこう言った。

「ボクがチャネラーになるから、ユッちゃんは増幅器アンプになって」

 チャネラーつまりは霊媒者であるテンに、増幅器としてユジュンを繋ぎ、機能させようというのだ。

「増幅器?」

「ユッちゃんやったら、出来る。せやから、ボクと手ぇ繋いで」

 テンが差し出した左手を、瞬間、見つめたユジュンは、意を決してその手を右手で握った。

 繋いだ手から、伝播するように、テンの見ているビジョンが流れてきた。

 逆巻く風と、風に乗る皿やカップやソーサー、フォークやナイフ、花瓶などが、壁に衝突してパリンパリンと音を立てて割れている。風に髪が舞い、頬を叩いていく感触が確かにした。

 そして、ホールの中央に、その黒い影を見た。

 どす黒い、真っ暗な塊。

「その次に、ヒースと手ぇ繋いで!」

 ユジュンは風に目を細めながらも、差し出されたヒースの手を取って握りしめた。

「うわ! なんだ、この風!」

 どうやら、ヒースにもユジュンと同じ風景が見えたらしい。

 手を繋ぐ順は、目に見えるものをどう解釈するか、真実をどう捉えるかが問題になってくる。目には見えない世界を信じるヒースと、断固として認めないイリヤとを比べたとき、どちらがテンの能力がより強く伝わるかは火を見るよりも明らかである。

「最後に、ヒースと、イリヤ、手ぇ繋いで!」

 イリヤは無言のまま、ヒースと手を繋いだ。

「!」

 眼前で繰り広げられている現象に、イリヤも驚かずにはおられないようだった。

 これは現実に起こっていることではない。あくまでテンの見ているビジョン、イメージである。

「テンは、こんなものを、日常的に、見てるのか……」

「うん、イリヤ。見えてるし、聞こえてるよ」

 やっと分かってもらえたか、とテンはいくらか溜飲を下げた様子だった。

「生暖けぇ、風だな。それより、テン。こんな事が出来るんなら、さっさとやりゃーいいのに」

 ヒースが疑問符を打った。

「こんなん、急場しのぎや。ボクの頭ん中覗かれてるようなもんなんやで。そんなホイホイ出来る技やないんや」

 どうやら、消耗するか、限度があるようだ。

「あれ、あの黒いのの中に、人がいない?」

 ホールの中央に発生しているどす黒い塊に、ユジュンは目を凝らした。微かに、人らしき姿が見える。

「なんか、今にも悪霊化しそうやけど……確かに、女の人っぽい影は見えるなぁ」

 テンもユジュンに賛同した。

「人なんなら、話聞けんじゃね?」

 ヒースは軽々しく言った。

「霊に、話なんか、伝わるのか」

「それは、やってみないと分かんないよ」

 イリヤにユジュンがそう答えていたときだった。どこからともなく、女性のすすり泣くような声が流れてきた。それはしとしとと、湿っぽく、梅雨の雨のようだった。

 ユジュンは覚悟を決めて、その霊と接触することにした。

「お姉さん、どうして泣いてるの? どうしてこんな所にいるの?」

『私の声が聞こえるの……?』

 若い女性の声だった。

 すると、どす黒い塊は霧が晴れるようにして霧散し、うっすらとした影、という程度まで晴れた。女性の顔かたちまでははっきりとは見えない。

「あなたは、このお屋敷のハウスキーパーのひとですか?」

『いいえ。私は、この家の召使いです』

 話と違う。まぁ、往々にして噂とはそんなものだろうか。

「あなたは、自分が死んでること、分かってはりますか?」

 今度はユジュンに代わってテンが質問した。

『ああ、やっぱり……私は死んだのですね。でも、ここから動けません。どこにも行けないのです』

「何か、この世に未練がおありですか」

 テンがなるべく刺激しないように、慎重に尋ねている。

『ブローチが……旦那様に頂いた、エメラルドのブローチがないのです』

「ブローチ、ですか……心当たりはないですか」

『ルーシーが、私と旦那様の仲を羨んだ、同僚が盗んだのです。きっと、そうです』

「旦那様と恋仲やったんですか」

『はい。駆け落ちする予定でした。でも、ルーシーにあることないこと吹き込まれた旦那様は毒を煽って自害されてしまいました……』

「あることないことというのは?」

『同じ職場で働く下僕のマシューと懇意にしていると、旦那様の耳に入れていたのです。彼とは幼なじみで親しかっただけなのですが……』

「そのルーシーさんはどこに?」

『ああ、そうだ……確か、折しもその夜、夜盗が押し入って、屋敷中の人間を殺して回ったのです。私は、メインを殺すつもりでいたのですが、何の因果か、他の要素によってその願いは叶えられてしまったのです。私も夜盗に殺された。そして屋敷には、誰もいなくなった……』

「分かりました。ブローチを取り戻してきたら、あなたの恨みも晴れるんですね?」

『心残りはブローチを失ったことですから……』

 女性は、はらはらと、また涙を流して泣き始めた。

 テンがユジュンの手を離した。

 すると、目前にいた女性の姿が視界から消えた。

 なので、ヒースと繋いでいた手も離した。ヒースとイリヤも繋がりを解く。

「ブローチを取り戻すって、どーすんだよ? ルーシーって女も死んでるんだろ」

 ヒースは足下に置いてあったランタンを拾って、また、女性がいたはずの場所を照らしたが、やはり何も見えなかった。

「まずは、旦那様を探そう。自殺したって言うから、まだこの世に残ってる可能性が高い。話、聞こ」

 テンもランタンを拾った。

「屋敷の主人がおる部屋ってゆうたら、どこや?」

 ユジュンがテンの問題の解答を探しているうちに、ヒースが答えた。

「書斎、だな」

「うん、ボクもそう思う」

 テンは頷いて、ユジュン、ヒース、イリヤの顔を順に見た。

「行こ」

 三人はボールルームを出た。

「なんだか、空気が重くない?」

 それに、何やら闇が深くなっている気が、ユジュンはした。

 闇でこそこそ、何かがうごめいている気配すらする。

「うーん、なんていうんかな……こっからは、さっきの女の人が作った、想念の世界、異界やから、さっきまでとはちょっと違うもんが見えると思う」

「げ。ブローチを見つけるまで、こっから出られねーのか?」

「うん、そうやで、ヒース」

「とんでもねぇことになった……」

 ヒースはげんなりした。

「おまえ、これを、望んでたんじゃ、ないのか」

 イリヤにまで突っ込まれる始末だ。ヒースの不徳の致すところである。

「なんか、めんどくせーな、うわっ!」

 廊下をランタンで照らしながら歩いていたヒースが、照らした先にあったものを見て、仰天した。

「なに、これ?」

 ユジュンも、ランタンの明かりを重ねて照らした。

 浮かび上がったのは、紛れもない、白骨死体だった。ぽっかり空いた眼窩、むき出しの歯、肋骨からそれを支える背骨に骨盤など…それらを覆っている、ボロ布と化した衣服。完全に白骨化した人の死骸だ。

「さっきまで、こんなのなかったじゃねーかよっ!」

「返事がない、ただの屍のようだ……」

「こんなときに、ふざけんなよ、ユジュン!」

「だってさ、ヒース。おれたち、今、異界にいるんだよ。何があったっておかしくない」

「……」

 年下のユジュンに諭されて、ヒースはばつが悪そうに斜め右下を見つめていた。

 書斎までの廊下には、至る所に人骨が転がっていた。

 書斎の位置は、屋敷の構造に精通したヒースが当たりをつけた。

 そしてそのヒースの推理通りの場所に、書斎はあった。

「失礼します~」

 分厚い樫の木のドアを、先頭に立ったテンが開けた。

 そぅっと部屋の中へと入ったユジュンは、また、室温が低くなったなと感じた。

 床には散らばった書類の類いで覆い尽くされ、並んだ本棚はどれも空で、本は無残にも床に伏すようにしてバラバラに落ちている。

 部屋の中央に、大きなデスクと、チェアがある。チェアは背を向いており、カーテンの落ちた窓からは月光が差している。逆光になっていてよく分からない。

「すんません。旦那様はいませんかぁ」

 テンがランタンの光をチェアに向かって当てながら、呼びかけた。

 すると、どういう訳か、チェアが回転して前方を向いた。

 そこには、骸骨が座っていた。

「旦那様?」

『う、うう……私を呼ぶのは、誰だ……』

 男性の声が響いてきて、骸骨に、みるみるうちに旦那様の姿が投影され、肉が付いた人間のようになった。テンと手を繋いでいないが、ユジュンたちの目にもはっきり彼の姿は見えた。

『私は、レイブン・クロウジング。この屋敷の主である』

 レイブンと名乗った旦那様は、まだ年若い、二十代半ばの青年だった。

「はい、存じてます」

『どういうことだ……私は、確か、死んだはず……』

「はい、死んではりますよ」

『しかし、こうして肉体がある』

「ありません。気の迷いです。あなたは遠い昔に自殺しました」

『そうだ、私は絶望して毒を……』

 話の分かる霊のようだ。ユジュンはテンとレイブンの交渉を見守った。

「あ、そういえば、あの女の人の名前、聞くの忘れてたなぁ……あの、駆け落ちしようと思ってた人がおったんですよね」

『フローレンス! 彼女はどうなったのだ!?』

 あの女性はフローレンスと言うらしい。

「あなたが死んだ夜に、屋敷に夜盗が入って、殺されたそうです」

『夜盗が?』

「はい。で、あなたは誤解しているようですが、フローレンスさんは、あなたを裏切ってなんかいません」

『しかし、ルーシーの言うとおり、フローレンスはマシューと言う下僕と仲良さそうに話しているのを、私は何度も目撃した。それに、私が与えたブローチをなくしたというが、それはマシューと結婚する資金にする目的で、売ったという話だ』

「それは、ルーシーさんの策略です。ルーシーさんはレイブンさんとフローレンスさんの仲を羨んどったんです。せやから、レイブンさんに嘘を吹き込んだ」

『そんな……では、私は、何のためにむざむざと死んだというのだ』

「悲しい行き違いです。ご愁傷様です」

 テンは一礼した。

『フローレンスを信じられずに、ルーシーを信じた私が愚かだったのだな……』

「そういうことです」

『フローレンスも死んだとあれば、もうこの世に何の未練もない。私は大人しく天に召されるとしよう……』

 レイブンの亡霊は、胸の前で両手を組んだ。

「ルルさんの居場所は、分かりませんか?」

『夜中に夜盗に襲われたのならば、召使いの部屋にいたのではないか。逃げおおせていなければだが』

 テンは召使いの部屋の場所を詳しく聞き、ヒースがそれをメモに取った。

「フローレンスさんのことは、ボクらに任して下さい。ゆっくり、眠って下さい」

『そうか……勇気ある子供たちよ、さらばだ』

 骸骨からレイブンの霊が抜け出て、本当に光の差した天に向かって昇っていった。たまたま月光が差してそう見えただけかも知れないが、確かに成仏したと思われる。

 後には骸骨だけが残り、その頭部が突如、外れ、デスクを渡ってヒースの足下へ落ちてきた。

「ひえぇぇっ!」

 ヒースはそれを慌てて避けた。

「あっぶね……あやうく触るとこだった…」

「なに、ヒース。ビビってんの?」

 一連のヒースの動作がおかしくて、ユジュンは口元を押さえて、ぷぷぷと笑った。

「ビビってねぇし!」

 ヒースはムキになって、大げさに胸を張った。

 床ではころんころんと、頭蓋骨が揺れて転がり、動かなくなった。

「は・い・だ・ら!」

 ヒースは思いっきりその頭蓋骨を蹴った。頭蓋骨は弾んだりしないので、床をコロコロ転がって、壁にぶつかって止まった。それをクーガーが追っていって、匂いを嗅ぐ。

『やっぱり、死臭がしねえ。ここの屍は皆、そうだ』

 それはそうだろう。今、見えているのは、フローレンスの作り出した幻想の世界なのだから。

「ヒース。死者への冒涜や。呪われんで」

 テンがヒースを諫めた。

「さっき、成仏したじゃねーか」

「そういう問題ちゃう。行動理念が悪いんや。変な霊が寄って来るで。それになぁ、自殺は本来成仏できんのや。飛び降りとかやったら、自分が死んだと気付かず、地面に叩きつけられてはまた、起き上がって飛び降りをする。それを延々と繰り返す。楽になろう思て自害しても、死んだらその苦しみは生前の百倍や。寿命まで天には帰れずに、地上で遺された家族や親類縁者が苦しみ悲しむ姿を見続けなあかん。いちばんやったらあかん死に方や」

 テンは長々と諭したが、

「おどかすなよ!」

 ヒースは大仰な身振り手振りで、辺りを見回した。

「死者とは真摯な気持ちで接しなあかんて、じぃちゃんも言うとる」

 テンは以前言っていた。霊には自分が見えているとバレてはいけないと。誰にも相手にされない死霊は、自分の話を聞いてくれそうな霊感の強い人間を見つけると、寄って来る。だから、絶対に霊の類いには霊感があることを悟られてはいけないのだと。

「うるせぇなー! とっとと、諸悪の根源のメインって女のいる召使いの部屋に行こうぜ!」

 ヒースはあろうことか、内開きのドアを蹴って開けようとして、しこたま打った足をさすりながら、その場をぴょんぴょん飛んだ。

「なに、やってんだ、おまえ」

 イリヤが冷たい視線をヒースに投げかけて、重い樫の木のドアを開いて廊下へ出た。

 ユジュンとテンもヒースを横目に、ドアをくぐって廊下へと踏み出した。


お疲れ様です。お屋敷の探検はもう少し続きます。テンが八面六臂の活躍を見せる予感……。

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