4 探検の計画
子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。
そこはアースシアの街の中でも、最も歴史ある教会だった。その懺悔室の神父が座る方の部屋に子供二人がぎゅうぎゅう詰めになりながら、押し合いへし合いし、くすぐりあって遊んでいた。
「やめてよぉ、イリヤ!」
弱点である脇腹を悪戯されて、ユジュンはケタケタと笑った。仕返しに、とイリヤの脇へ腕を伸ばすが、狭い中でイリヤは器用に身を捩り、それを避けてしまう。
「こら、二人とも!」
懺悔室の戸が開いて、まろびでた二人の少年を、仁王立ちで見下ろす人物がいた。彼はここの神父、ヒューゴーという三十代半ばの男性だった。
「ユジュン、寄り道しないで、真っ直ぐ家に帰らなければならないだろう」
「だってー」
学校帰りに教会で道草していることを咎められて、ユジュンは気まずくなった。
「だっても、デモもない! ストもな!」
「ごめんなさぁい」
「イリヤも! 懺悔室で遊ぶのはいけないと、何度言ったらわかるんだ? 途中で本当に懺悔人が入ってきたら、どうするつもりだった?」
「……そのときは、真面目に、話を、聞く、つもりだった」
イリヤはぼそぼそと言葉を吐いた。イリヤはあまりお喋りするのが得意ではない。つまったりどもったりするのが本人も嫌らしく、進んで話をしようとはしない。だが、その見目は麗しく、十二歳にして完璧な美を持ち合わせている。光そのもののようなプラチナブロンドに、透き通るような碧眼は切れ長で、瞬くと音がしそうな程まつげが長い。雪花石膏の肌に、赤く色づいた頬と唇が人目を引く、一見して健康優良児にしか見えない。その風貌から、何となくシベリアンハスキーを連想してしまうのは、ユジュンだけだろうか。
イリヤは家庭の事情で他の仲間たちと教会で寝起きしながら、教会の運営を手伝って暮らしている。
一方のユジュンは九歳。エレメンタリースクールに通っている。くせっ毛の髪はアッシュグリーンで、特徴としては両目の目の色が違うヘテロクロミアであるという事が挙げられる。左が忘れな草色で、右が薄浅葱色である。意思の強そうな顔立ちは、はっきりとしており、将来は美形に数えられるようになるのは目に見えている。スクールでもよく女の子から手紙をもらったりして、その度に返事をするのに困っている。
「イリヤ、昼飯の準備だ。ヨシュアやジュートを手伝ってこい」
ヒューゴーは一つにまとめた鳩羽色の髪の尻尾を揺らして、イリヤに命じた。
「わかった…ユジュン、また午後にな」
「うん」
法衣の裾に付いた埃を払ってから、イリヤは奥の廊下に消えていった。ユジュンも革製の背負い鞄を背負い直しながら立ち上がると、教会を後にした。
ユジュンの家は昔から宿屋を経営している。古いが、歴史ある堅牢な造りの建物は風情があると観光客からも人気で、リーズナブルな値段設定から旅人や冒険者も多く利用する。客が絶えないのもガイドブックに掲載されているのが大きいのかも知れない。
『七曜星』それが宿の屋号である。生け垣の作るアーチをくぐって、裏口から家の中へ入る。
「たーだいま」
のんびりと後ろ手で扉を閉めたが、厨房の方は何やら騒がしい。覗いてみると、父と母がフル回転で昼食作りに励んでいた。
「ユジュン! 帰ったんなら、さっさと鞄置いて、手伝って!」
ユジュンを見つけるなり、姉のメイヨががなるようにして叫んだ。メイヨは十六歳。ユジュンとはちょっと年の離れた姉弟だった。
そこはさながら戦場であり、ただならぬ雰囲気を醸していた。いつもは穏やかなメイヨもまるでヴァルキュリアのようである。どうやら今日は昼食をここで済ます客が多いようだった。いつもなら、宿泊客のほとんどは外に食べに出るから、昼は外から来る客をさばくだけで暇なのだ。元々、ランチは評判で、近所の人間もよく食べに来るのだが、悪い事は重なるもので、食堂から玄関の前まで行列が出来ていた。
これは大変だぞ、とユジュンは鞄を控え室に置くと、屋号のロゴが入ったエプロンを着けて厨房へ出、出来上がった品から指定された席に配膳し始めた。
「おまたせしました!」
にっこり笑って両手に器用に持った皿の数々をテーブルに並べる。すると、健気に働くユジュンを見て、客は微笑ましそうに頬を緩める。ユジュンは天性の明るさと人懐っこさで、接客ならお手の物だった。
行列の整理は、ここで唯一雇っているアルバイト従業員のアキユキ、通称キユが行っている。キユは気持ちのいい青年で、ユジュンの宿題の手伝いや面倒を見てくれる、いい兄貴分だ。住み込みで働いているので、ほとんど家族同然である。
行列が落ち着いてきた所で、食堂に戻ってきたキユが、食器を下げていたユジュンに手を貸してくれた。
「どうして、今日に限ってこんなにお客さんが多いのかなぁ?」
「んー。土曜だからからとか? もしかしたら、また新しいメディアに紹介されたのかも知れないな」
ユジュンの疑問にも、キユは曖昧な返ししかしなかった。彼も急に押し寄せた客の多さに辟易としているらしかった。
やっとのことで一息つけたのは、午後二時を回った頃だった。
厨房に置かれたダイニングテーブルを従業員一同、…といっても家族プラスアルファなのだが…で囲み、まかない飯を食べた。
「どうして、今日はこんなに人が多かったのかしら? それに、どうしてこんな時に限ってユジュンの帰りは遅いのかしら?」
メイヨはそんな嫌み混じりの科白を吐いた。
「ちょっと、イリヤのとこに寄っててぇ……」
「また、イリヤ? ユジュンってその子にご執心なのね」
「まぁまぁ、メイヨ。ユジュンもしっかり働いてくれたじゃないの」
母がユジュンを庇ってくれようとするも、
「お母さんは、ユジュンにすぐ甘くする」
と、メイヨは気に入らない様子である。
「まぁ、遊びたい年頃だし、いいじゃないか」
「お父さんまで……」
「実際、ユジュンはよく励んでいたよ。将来の跡取り息子なんだから、大事にしないと」
キユがそう言う。みんなユジュンの味方だ。絶壁に立たされたメイヨは、崖から落ちる事は避けて、後退することにしたらしく、
「ま、まぁ、接客業に関しては、よくやってるわよ」
と、渋々ユジュンの功績を褒めたのだった。
食後は山と成した食器洗いが待っていた。メイヨが洗浄し、キユが水ですすぎ、ユジュンが水気を布巾で拭うという作業を分担しながら、片付けていった。
それが終わると、ユジュンはエプロンを取り去って、
「じゃあ、おれ、遊びに行ってくるネ」
と、メイヨとキユに告げた。後の宿の作業は両親とメイヨとキユで回す。ユジュンはお役御免である。
「いってらっしゃい」
「五時の鐘が鳴ったら、帰ってくるんだよ。ああ、それから」
と、キユがパックに入った大学芋を持たせてくれた。低温でじっくり揚げた、甘い蜜の絡まったおやつだ。腹が減ったらみんなでお食べ、ということらしい。
メイヨとキユに見送られて、ユジュンは裏口を出た。
脇に設置されている犬小屋に向かって声を掛ける。
「おじさん、行くよ」
『おう』
犬小屋の中では黒と白に毛並みの分かれた、ボーダーコリーの雄がくつろいでいたが、ユジュンの声に応えて、腰を上げた。無駄吠えもしない、毛並みの美しい中型犬で、番犬としても抜群の存在感がある。年はユジュンと同い年の九歳。犬年齢で言えば、立派な成犬のおじさんである。クーガーという名が一応はあるが、ユジュンは『おじさん』と親しみを込めて呼んでいる。
『今日もいつもの噴水広場か』
「うん、そだよ」
『街外れにある屋敷に探検しに行くって話はどうなったんだ』
「それはね、まだ保留だよ。計画を練ってるとこ」
『そうかよ』
クーガーはぶっきらぼうだ。
物心ついた頃には、クーガーとこうして言葉を交わせるようになっていたので、これがユジュンにとっては普通だった。最初は『腹減った』とか、『遊べ』とか、『散歩』とか断片的な単語だけが一方的に届いて来た気もするが、これがごく自然なことだった。
かといって、他の動物と会話が出来る能力でも備わっているのかといえば、そうでもないらしい。他の犬を始めとした動物の言葉はさっぱり分からないし、彼らの考えもまるで分からない。あくまで特別なのはクーガーであるらしかった。
クーガーは牧羊犬としても優秀で、季節になると牧場で羊を追い立てる仕事で活躍し、ユジュンに小遣い稼ぎをさせてくれる。生まれた時から一緒の頼もしい相棒である。
クーガーは知能も高くて、人を襲ったり、悪戯したりもしないので、リードを付けたりはしない。たまにそれを見て大人が渋い顔をするが、頓着しない。クーガーと併走しながら、目的地の噴水広場を目指す。
やがて市民の憩いの広場、通称噴水広場にたどり着く。広場には屋台が出ていたり、ストリートミュージシャンが演奏を行っていたりと、それなりに賑やかだが、そんなに人出は多くない。
噴水のへりに腰を下ろして、たむろしている少年が二人いる。
土器色のくせ毛を頭の上で一つに結ったチャイナ服姿の少年が、隣で本に目を落としている少年にしきりに話しかけている。だが、その本に気を取られている方の少年は、生返事を返すだけである。アクア色の髪を二対八で分けており、少々つり目気味の瞳は川蝉色だ。
「あ、ユッちゃん」
チャイナ服の少年の方がユジュンに気付いて腰を上げ、手を振った。正面から見ると尚更、彼の優しげな糸目が際立つ。だが、ひとたびその瞳が開くと、結構鋭い目つきをしているのをユジュンは知っている。
「テンちゃん!」
ユジュンもテンに向かって手を振り返す。
「今日はちょっと、遅かったんやねー」
テンのしゃべり方はちょっと変わったなまりをしていて、個性的である。絵描きの祖父と世界中を旅していて、ここ数ヶ月はこのアースシアに落ち着いている。
「うん。お客さんが多くてさ。片付けに手間取っちゃったんだ」
二人の元へ走り寄って、ユジュンは言い訳をする。
と、本を読んでいた少年も顔を上げた。
「イリヤは一緒じゃないのかよ」
彼はヒース。半ズボンをサスペンダーで吊り、白いシャツを着て緩くネクタイを締めている。いいところのボンボンで、貴族らしいのだが、兄が失踪していたり、その名が本名ではなく、愛称であるらしいことくらいしか、ユジュンは知らない。いつも分厚い本を持ち歩いていて、活字を貪ることが趣味、いや、ライフワークだ。
ちなみに『テン』というのも本名ではなく、ヒースが長いからという理由で縮めたものであるらしい。本名は確か天竜。祖父からは『小竜』とか『チビ竜』とか呼ばれている。
「うん、もうすぐ来ると思う」
ユジュンはテンの隣に腰を下ろした。
広場の一角では、テンの祖父が風景がを描く合間に、観光客相手に似顔絵を描く商いをしている。筆を走らせること五分、水彩画であっという間に描き上げてしまう手前は、似ているという理由で好評らしかった。
「今日も着いてるの…?」
ユジュンはこそっとテンの耳元で囁いた。
「うん、今日もしっかり着いてはるわぁ」
ユジュンはヒースの右肩に目を凝らした。ユジュンの目には何も映らないが、本人曰く『視えたらいかんもんが視える』というテンには、ヒースの左肩に常時乗っている女性の手が見えるのだという。テンには俗に言う『霊感』があるのだ。『霊感』が強い、とも言い換えられる。
幸い、ヒースの肩に乗っている手の女性は、悪さを働くタチのものではなく、無害なので、ヒース本人には伝えていない。
テンは、よっぽどヒースのことが気に入ってるんや、と言っている。
ヒースは何も知らずに、本に目を走らせている。
「あ、イリヤ!」
ユジュンは歩いてくるイリヤを真っ先に見つけると、一目散に駆け寄っていった。
「早く、早く」
その腕を引いて、イリヤを噴水の側まで引っ張ってくる。
「お、おい……」
イリヤは無理やり引っ張られて、長い足を絡ませている。法衣ではなく、黒地に白いラインの入ったセーラーカラーの上着と、半ズボンをはいている。私服ではなく、教会から支給されている制服のようなものだ。
四人の出会いはちょっとした縁がある。先にユジュンとテンが知り合い、それぞれ連れ合いとしてイリヤとヒースを引き合わせたのだ。
年齢は十二歳のイリヤを筆頭に、一つ年下のヒース、また一つ年下のテン、そのまた一つ年下のユジュンといった風に階段状になっている。
四人は不思議と馬が合って、以来こうしてつるんで遊ぶようになった。
「よし、全員そろったな!」
ヒースが本を閉じて、噴水の淵に立ち上がった。テンも腰を上げて立ち上がり、ユジュンとイリヤと並んでヒースの前に立った。
「いいか、者ども! 幽霊屋敷の探索は、来週末に決行する! 準備を怠るな!」
皆より一段高い場所から、ヒースがそう宣言した。
街外れのおんぼろ屋敷には、夜も深くなると、未練を残して死んだ、ハウスキーパーの女性の霊が出るという噂がある。この街ではポピュラーな都市伝説の一つである。
それを実際確かめに見に行こう、というのが今回の計画の一端だ。
「ホンマに行くん~?」
テンは噂を気にして行きたがらない。
「来週末か。お姉ちゃんとキユに当番代わってもらえるかなぁ」
ユジュンには決まった宿の手伝いという仕事が定められている。自分の果たすべき役割を、年長者たちは快く引き受けてくれるだろうか。何て言って頼もうか。ユジュンの頭はその算段でいっぱいになる。
「俺は、日曜の朝に帰れれば、それで、いい」
イリヤは日曜礼拝の準備にさえ間に合えば、付き合っても良いというスタンスである。特に噂や霊の事に関して興味がある訳ではないから、ヒースの計画に賛同するのもやぶさかではないのだ。
「ユジュンよ、心配するな! 夜中にちょっと家を抜け出して、街外れの屋敷に忍び込むだけだ、夜明け前には帰れる予定だぜ」
ヒースがビシリとユジュンを指さした。
「寝る時間は?」
「冒険には犠牲がつきものだ。睡眠は諦めろ!」
「えぇ~、徹夜なの?」
「文句は言わせん。オレさまの計画だ」
ヒースは隊長の権限で、そう言い切った。
「おまえたちは見たくないのか? 月夜に映える廃屋と化した屋敷を! ハウスキーパーの怨念の権化を!」
そう煽られると、どんどんと興味と好奇心が湧いてくるユジュンである。
「ボク、あんま行きたくない」
逆にテンのテンションは下降気味である。
「テンよ、センサー代わりのおまえが何を弱気なことを!」
ヒース隊長は落胆した。
「ひとを探知機代わりにせんといてくれる?」
「ともかく、おまえの存在なしに、この計画は成立しないのだ。おまえが同行するのは、決定事項である!」
「えぇ~」
テンは本気で嫌そうに、肩と頭を落とした。
その肩を、慰めるように、無言でイリヤが叩いた。
「イリヤ~、今のポンポンってなに~? 諦めろって言いたいん~?」
テンは半泣きでイリヤを見た。
イリヤは黙って頷いた。
「ああ~~」
テンは頭を抱えて嘆いた。
テンは『見える』割にはこの手の話が苦手なのである。怖がりなのだ。気の毒なことに。
そんなテンのことは差し置いて、ヒースは着々と計画を練っていった。持ち物、集合時間、屋敷に到着するであろう時刻、何時間滞在するのか、帰途に就くのは何時か等。
「まぁ、こんなとこだな」
隊長が納得したとき、脇で伏せをして控えていたクーガーが一声鳴いた。
「ワン!」
「『俺も行くぜ、ガキども』っておじさんが言ってる」
ユジュンはクーガーの科白を訳した。
「そうか。護衛としては役に立ちそうだな。いいぜ、連れて行ってやる」
という、隊長の鶴の一声でもってクーガーも探検隊の一味に加わったのだった。