25 本当の悪意は笑顔の中にある
幸福節が終わりを告げて、街は落ち着きを、日常を取り戻す。
ナユタはベッドに寝っ転がって、鼻歌を歌いながら、例の地図に新たな赤丸を付けていた。
「あと、ふたつね」
セラフィータはいつものように、ナユタの左肩に止まっている。
そこに、風呂上がりのユーリが帰ってきた。
タオルで、濡れた髪を拭っている。
ユーリは隣のベッドに腰を下ろすと、コンセントにドライヤーを刺して、髪を熱風で乾かし始めた。
今日、ナユタはユーリと共に、『開かない金庫を開ける難題をふっかけられる』という案件に当たってきた。
金庫の中身に執着した老人の霊が、金庫にしがみついていたのだ。ひ孫夫婦が、どうやっても金庫が開かないと困っていた。
まず、金庫に取り憑いた老人の霊を説得しなければならなかった。
気の短いユーリは力尽くで金庫を開ける、と強気に出たが、老人は『そんな真似したら、二度と金庫はあかんぞ』と脅してきた。
『開けられるもんなら、開けて見ろ』
ダイアル式の四桁の暗号は、忘れてしまった、と老人は偉そうに言った。
「金庫の中には何が入っているの?」
ナユタが説得にかかると、
『うーん……なんだったかのぅ』
「ゆっくりでいいから、思い出してみて、おじいちゃん」
『おお、まるで、玄孫みたいじゃな、小童』
何に執着しているかも忘れてしまった、ややこしい霊に、ナユタは根気強く付き合った。
『あの頃は良かったのう……商売も上手くいって、懐は温かかった。あとは、嫁じゃ』
「ふんふん。奥さんとは、どうやって知り合ったの?」
『皆まで言わせるな』
老人は照れた。
「いいじゃない、教えてよ」
『すれ違ったときに、女房が、ハンケチを落としたんじゃ。それをわしが拾って、恋が始まった』
出会いとしては、ベタ過ぎる。少女漫画か。
それでもナユタは老人の昔話に耳を傾けた。
『女房とは文通をして心を通わせたんじゃ……』
老人は、遠くを見ていたが、はたと瞬きをした。
『そうじゃ、金庫に入っとるのは、文じゃ。女房との愛の記録、恋文じゃった!』
「暗号、思い出せる?」
『んー、なんじゃったかのう……』
「がんばって、思い出して」
ナユタは拳を握って、老人を応援した。
『はっ! そうじゃ。良い夫婦! 一一二二じゃ!』
またしても、ベタな数字の語呂合わせの暗号である。
「ユーリ、聞いてた?」
「ああ」
ユーリは、ひ孫夫婦の見ている前で、たった今老人の口から語られた数字通りに、ダイアルを回した。
カチャリ。音がして、金庫の扉が開いた。
「まあ! どんな鍵師を呼んでも、開かなかった金庫が開いたわ」
「どうやったんだ、あんたら」
ひ孫夫婦が抱き合って喜んでいる。
『小童。その恋文の束は、庭で燃やしておくれ。他は、ひ孫たちの好きにするといい』
老人が言った通り、金庫の中からは恋文の束が出てきた。残りは、金貨や金の延べ棒や宝石の数々だった。総額幾らに上るのか、見当もつかない。
ナユタはひ孫夫婦の許しを得て、庭でたき火をした。
「本当に、燃やしちゃっていいの? おじいちゃん」
大事な物だから、とナユタはメラメラ炎を上げるたき火を見て、戸惑った。
『いいんじゃ。あの世へ持っていく』
持ってはいけないけどね、とは言葉にしなかった。
「じゃあ。えい」
ナユタは燃え盛る炎の中に、恋文の束を投げ入れた。火がついて、あっという間に真っ黒になり、炭になっていく。
その煙と共に、老人の霊が消えていく。
『ありがとうな、小童。わしの心残りを片付けてくれて。これで思い残すことはない』
金庫は、老人を説得しなければ、決して開かなかったのだ。そういう呪いをかけてあった。老人の意向を汲んだからこそ、金庫は開いたのだ。
老人は成仏した。後に、トルコ石を残して。
たき火の煙にいぶされていたトルコ石は、そのうち、亀裂が走って、ひとりでに砕けてしまった。
『第九ゲート、解放』
電子音がそう告げる。
「これが、正解だったようだな」
「うん。おじいちゃんの呪いが解けたんだね」
そうして、アースシアで初の呪い解除を経験したナユタは、ユーリにこう提案した。
「みんなに会いに行かない? 一度くらい、ゆっくり挨拶しておいた方が、この先も円滑に進むと思うんだけど」
「ああ、そうだな。どんな子供か見ておくのも悪くない」
ユーリを連れて、多少迷いながら、噴水広場にたどり着いた。
そこには、いつもの風景といった感じで、ユジュンたちが集っていた。クーガーもいる。
「みんな、こんにちは!」
ナユタが明るく挨拶すると、皆が一斉にこちらを向いた。
「あ、ナユタ!」
大きく手を振ってくれたのは、そっくりさんのユジュンだった。今日も相変わらず似ている。
「ナユタじゃねーか」
ヒースがよく来たなといった風に迎え入れてくれた。
「いらっしゃい」
テンも笑顔で歓迎してくれる。
「後ろにいる奴は、誰だ」
イリヤが鋭くユーリについて言及した。年上だから、目端が利くのだろう。
「あーえーと。紹介するね、この人が、僕の連れで保護者のユーリだよ」
ナユタが紹介すると、
「ユリアン・ユリシーズだ。ユーリと呼べ」
と、自分に出会ったときと同じような挨拶をした。それがユーリの流儀らしい。
ナユタはユジュンたちを順に紹介した。
彼らは年かさのユーリに軽く会釈するなどして、挨拶に代えた。
それにしても、ちらと視線を投げたのみで、ユーリはナユタのそっくりさんのユジュンを見ても、何らリアクションを示さなかった。もっと絶句するなり、驚くなりすればいいのに。面白みのない。
「僕たちさっき、『開かない金庫を開ける難題をふっかけられる』っていう件を片付けてきたんだ」
「へぇーどうだった?」
ユジュンたちが興味津々だったので、ナユタは詳細を話して聞かせた。
ナユタがユジュンたちとお喋りに興じている間、ユーリは離れた生け垣になった花を愛でていた。
「あのね、ユーリ。ユジュンたちが、もう二つも呪いを解放したんだって」
ナユタが声を掛けると、ユーリは近寄ってきた。
「昨日の今日で、もう?」
ユーリは唖然としている。
「まぁ、慣れているのもあるか」
四人の顔を見比べて、ユーリは勝手に自己完結してしまった。
「ゲートは開放されたか」
「うん、いつもの電子音が聞こえたよ。あれって何なの?」
ユジュンがユーリに答えた。
「……呪いが解除されたという、サインだ」
ユーリは、多少口ごもりながらも、そう告げた。
「なんか、胡散くせーな。男女。女男か? オレらに何か隠し立てしてんじゃねーのか」
ヒースが鋭い一言を吐いた。
「別に何も」
ユーリは白けている。
「向こうで煙草を吸ってくる」
煙草を吸えない時間が続いて、そろそろ限界だ。ユーリはニコチン中毒者なのだから。
「ユーリって、いつもああなの?」
ユジュンが不思議そうな顔を向けた。
一瞬、自分がそういう顔をしているような錯覚に陥るが、
「うん、まあね。愛想がないのが玉に瑕かな。悪い奴じゃないよ」
と、ナユタはユーリを援護しておいた。
さっきから、黙ったままのイリヤが、去って行くユーリの姿をじっと見つめていたのが印象的だった。
「僕たち、明日、最後の呪いを解きに行こうと思ってるんだけど……」
「おれたちも、明日、最後に残ったやつを片付けにいく予定だよ」
ユジュンの科白に被せて、クーガーが鳴いた。
「だったら、明日の集合場所は、ここから北の、中央広場にしない?」
ナユタがそう提言すると、
「なんで?」
ユジュンたちが、揃って不思議顔を向けた。
「そこに、立派なモノリスが建っているんだ。呪いを全部解いたら、何が起こるか、見たいでしょう?」
ナユタのその科白は効果覿面だった。
「やっぱり、なにか起きるの?」
ユジュンが簡易椅子から立ち上がった。
「まやかしじゃねーだろーな」
ヒースの表情は言葉とは裏腹に、興奮している。
「何が起こるん?」
「明日のお楽しみ、だよ」
テンの疑問に、ナユタは笑顔で応じた。
「………」
イリヤはやっぱり言葉を発さない。じっとこちらを観察しているようだ。
そうして、ユーリと仲間たちの顔合わせは、いまいち盛り上がらず、ぱっとせずに終わったのだった。
宿のベッドで、黒いペンで丸をした箇所が、二つに減ったことに満足しているナユタを見て、髪を乾かし終わったユーリが言う。
「明日で全てが終わる。そして、全てが始まる。覚悟は決まっているか」
「うん。上手くやってみせるよ」
「全てはルキさまの計画通りに進んでいる」
「そう、上手く行くかな?」
「イレギュラーは許されない」
ユーリの口調はきつかった。
「僕は、僕の思うままにやるだけだよ」
ナユタは地図を片付けると、ベッドに入って目を閉じた。
明日になったら、
全てが、
終わる。
ナユタたちが成そうとしているのは、それだけ大がかりな計画だった。その一端を担っているナユタも重要なファクターだ。
明日は満月。
何かが起きる予兆のような気がしてならなかった。




