24 呪われたピアノとトイレの花子さん
ユジュンたちがまず着手したのは、『コンサートホールをいっぱいにしてリサイタルをしたいピアニスト』の霊の願いを叶える、という案件だった。
何でもそのホールには、古いピアノがあって、壊したり、動かそうとしたりすると、必ず災いが起きるのだという。支配人は処分出来ないことにすっかり困っていた。しかも、弾いた者が必ず死に至るという呪いまでかかっていた。
霊は、そのピアノに宿っていた。
その霊の未練が、先述したことだった。
ユジュンたちに霊感はないのだが、テンの影響もあり、数々の霊と接してきた三人は感度が良くなっていた。土地に根ざしている霊の姿は大方見えるようになってしまったようだ。
まぁ、この都市伝説の件が特別なのだろうが。
その霊は分かりやすく、首から二連の真珠のネックレスを身に付けていた。おそらくは、それが鍵。
霊に接触してから、話を詳しく支配人にすると、『アシュリーナ・リリー』という名前に反応した。昔、活躍した有名なピアニストらしい。不幸にも、コンサートホールを初めて満員御礼にしたその日に、ホールに向かう道すがらで雷に打たれて非業の死を遂げてしまったのだという。
「そりゃあ、さぞかし無念やったでしょうねぇ」
そう言ったのは、テンだった。
テンの肉体を依り代にして、アシュリーナの霊を降霊させて、リサイタルを完遂しよう、という話になった。
アシュリーナもそれで納得した。
『ホントは、そっちの美形の子の方が良かったんだけど』
霊のくせにイリヤを見て、そんな、選り好みをしたが、イタコ体質なのはテンだけだったので、仕方がない。
「イタコやのうて、口寄せって言うて」
テンはそのへんにこだわっていた。
支配人は話がまとまると、すぐに『アシュリーナ・リリーの再来!』と銘打ったチラシを刷ってくれ、その日のうちに四人で外にまきに出た。
幸福節の二日目、通りは人でいっぱいだ。チラシはすぐにさばけた。無料リサイタルとはいえ、ひと昔前のピアニストの演奏を、どれだけの人が興味をもって聞きに来てくれるか。千五百人収容の大きくて立派なホールである。
「まぁ、やれるだけのことは、やったぜ」
舞台袖で、ヒースがそわそわしているユジュンの肩を叩いた。
ユジュンは怖くて座席の方を見られなかった。
テンは、大衆の目にさらされる、ということで、ヒースから拝借した燕尾服を着て、借りてきた猫みたいになっていた。長い髪を下ろし、額を露出させて、前髪をワックスで固めて後ろに流している。
ざわざわと、人々が集まって出来る独特の喧噪が、舞台袖まで届いて来た。
ユジュンが怖々と覗くと、客席はほぼ、人で埋まっていた。
「チラシの『アシュリーナ・リリーの再来!』というコピーが効いたね! ネームバリューは健在だった。満員御礼だよ!」
支配人が鼻息を荒くしていた。
開演時間が迫ってきた。
テンは浮いているアシュリーナの霊に話しかけた。
「もう、降りてきてもらっても、いいですよ」
『じゃあ、お邪魔するわね』
アシュリーナの霊が、テンの中に入っていった。目を閉じていたテンが、背後から覆い被さって来たアシュリーナの霊のと重なって、ビクンと身体を硬直させた。
カッと目を開けると、もう、それはテンではなく、肉体を得たアシュリーナになっていた。
「ああ、この感覚、ずいぶんと久しぶりだわ」
テンことアシュリーナは拳を開いたり、閉じたりを繰り返していた。
そして、アシュリーナは薄暗い舞台袖から、ライトに照らされた、眩しい舞台へと歩んでいった。
ピアノの側で、燕尾服をちょんと掴んで、つま先を床につけて礼をした。ドレスを着ている感覚だった。
巻き起こる拍手。
ピアノに向かったアシュリーナは、踊るように鍵盤を叩き、華麗な演奏を聴かせた。それは聴衆を魅了する、確かな実力に裏打ちされた、見事な演奏だった。
一時間余りのリサイタルは、つつがなく進み、終わった。
万雷の拍手喝采に、ホールが沸いた。
ピアノから離れたアシュリーナは、深々と礼をして、拍手の雨を全身に浴びていた。
舞台袖に帰ってくる。
ユジュンは事前に頼まれていた通り、アシュリーナの背中を、思い切り両手で張った。そうすることで、アシュリーナの霊が抜け、テンはテンに戻るのだ。
「ふぅ……」
テンは照明に当てられて、額に浮かんでいた玉のような汗を袖で拭った。
『ああ、すっきりした! 私が欲しかったのは、あの拍手よ。これで、思い残すことはないわ。ありがとう、坊やたち』
アシュリーナの霊は浄化されて、光と化し、消えていった。
後に残ったのは、真珠のネックレスだった。
それが、宙に浮いているのを目撃した支配人が、度肝を抜かれていた。
ネックレスは糸が切れて玉がバラバラになり、床に散らばった。
「ああ、もったいない」
意地汚い支配人は、床に落ちた真珠の粒を拾い集めようとしたが、その前に真珠は灰になって無に帰した。
『第六ゲート、解放』
聞き慣れた電子音が響いた。
と、ドスンと凄い地響きがした。
何かと思えば、アシュリーナの霊が取り憑いていた古ぼけたピアノが、壊れた音だった。脚が折れ、鍵盤は虫食いになり、弦は切れて酷い有様になっていた。
「これで、処分してもだいじょうぶやと思いますよ」
テンが説明すると、支配人は何だかキツネにつままれたような顔をしていた。
ともかく、この案件は解決だ。
幸福節三日目。
ユジュンたちはとある学園の理事長室にいた。
休みだというのに、登園している理事長は、どこか怯えて周囲をきょろきょろしていた。
「この学園で、奇妙な出来事が巻き起こっているとお聞きしましたが」
切り出したのは、もちろんテンだ。
理事長が語ったその内容は、学校怪談でお馴染みのトイレの花子さんにまつわるものだった。深夜、二階の女子トイレの、奥から三番目の個室に、それはいるという。
トイレをノックして、名を呼んだ生徒が、何人も犠牲になっているのだという。だが、誰も彼女の姿を見た者はいない。
「まぁ、彼女の名前は花子さんではなく、ビアンカと言うのですが……」
最初の犠牲者が病に倒れてからというもの、噂が広がると共に、面白がった生徒が我先にとビアンカと接触し、犠牲者は雪だるま式に増えて行った。
「犠牲とは、具体的には?」
「病気になったり、怪我をしたり、不慮の事故にあったり、いろいろです。幸い、死者は出ておりません」
やがて、呪われた学園として不名誉な汚名を着せられた学園は人々に知れ渡り、去年、ついに入学志望者が定員を割り込んだ。
「噂は流れ、尾ひれが付いて幽霊学園と揶揄されるまでに……このままでは、廃校になってしまう」
今年もどれだけ集まるか、心配でならないと理事長は心境を語った。
『廃校寸前まで追いやられた学園を、トイレのビアンカさんの支配から解き放つ』、それが二件目の案件だった。
深夜、照明の落ちた学園の校舎を、ランタンの明かりを頼りに列になって歩く。
目指すのは、二階の女子トイレだ。
「ビアンカさん、ビアンカさん、いらっしゃいますか」
テンが決まり文句を口にしながら、個室のドアを三回、ノックした。
すると、ドアがひとりでに開き、便器の上に一人の少女が体育座りをして、こちらを見ていた。
『なに、あんたたち。今までのガキと違うわね』
「えーと、なんで、名前呼んでノックした生徒を呪ってるんですか」
テンは話しにくそうだった。
『わたしをいじめた奴らを見返す為よ』
その少女は制服姿をしていた。
よくよく話を聞いてみると、虐められた上に、トイレに閉じ込められて、天井から水をぶっかけらえたりしたらしい。弁当を食べるのも、教室ではなく、ここトイレだったという。
そして、とうとう、彼女はいじめを苦に、自死した。
以来、呪わしいこの場所にとどまり続けて、地縛霊と化してしまったようだ。
「そろそろ、成仏しませんか」
『いやよ。ただじゃあ、あの世になんて行ってやるもんか。そうねぇ。わたしを追いかけ回してここに追いやった奴らとは反対に、あんたたちが逃げて、今度はわたしが追っかけるの』
「ボクらとかくれんぼしようってことですか」
『そうよ。範囲はこの学園の校舎内。グラウンドに出ちゃダメよ。期限は夜明けが来るまで。どう?』
四人は固まって、顔を見合わせた。
「こんなもん、朝まで付き合ってられっかよ」
ヒースがひそひそ声を出した。
「見つけやすい適当な場所に隠れてやり過ごそうよ」
ユジュンもヒースにならって、ひそひそ声だ。
「めんどくせ」
イリヤは右手でうなじを撫で、首を折ってばきばき言わせていた。
「でも、やらんことには呪いも解けへんで」
テンのその言葉に、四人と一匹は納得するしかなかった。
『どう? 話はまとまった? やるの? やらないの?』
「やります」
テンが代表して手を挙げた。
『じゃあ、三十秒数えるから、その間に隠れなさい』
ビアンカの霊は、数を数え始めた。
四人と一匹は散り散りになると、それぞれ隠れられそうな場所を見つけて、身を隠したのだった。
ユジュンは、音楽室の教卓の中に隠れて、息を潜めた。
チッチッチッチと時計の針が進む音だけが響く。
すると、遠くで、テンの声らしき、絶叫が聞こえた、ような気がした。
「?!」
ユジュンはビクっと身体を硬直させて、周囲の音に耳を澄ませた。膝の上のクーガーもハァハァ息をしている。
ドシン、ドシン、と大きな足音のようなものが、近寄って来る。
『もうすぐ、来るぜ』
クーガーが小さく鳴く。
「………!」
その足音は、音楽室の前で止まった。
ガラリとドアをスライドさせる。
『こーこーねー?』
ユジュンはクーガーと共に教卓の下からまろびでた。
「うわ!?」
目の前に現れたビアンカは、ビアンカの姿をしていなかった。一つの肉塊に触手が何本も生えて、それぞれに顔のパーツが張り付いている。ある触手には目が、耳が、鼻が、口が、ついて伸びている。
これがビアンカの正体。悪霊と化した化け物の姿だ。
「ひえぇぇぇ!」
ユジュンは上手くビアンカだった化け物の足下をすり抜けると、そのまま音楽室から遁走した。
『まーちーなーさーい』
「待てと言われて待つバカはいないよ!」
追いかけられれば、逃げる。それが人間の悲しい性である。
「うーわー!」
ユジュンは走った。走って、ひたすら逃げた。クーガーも先を疾走している。
『ユジュン、この先は!』
「あ、しまった!」
ユジュンは袋小路に追い詰められていた。
ビアンカが迫ってくる。
『あーんーたーまーちーなーさーい』
「ギャーー!!」
ビアンカの触手が伸びてきて、ユジュンの身体に巻き付いた。その瞬間、ユジュンは自己防衛本能が作動して、寝落ちした。クーガーのキャンキャン鳴く声は聞こえなかった。
次に目を覚ますと、テンたちが心配そうな顔で覗き込んでいる所だった。クーガーがぺろぺろ頬や口周りを舐めている。
「あ、ユッちゃん。目ぇ覚めた? いける?」
ユジュンは身を起こして、身体に異常がないことを確かめた。
「うん、なんともない。あのビアンカ、すごい化け物になってたけど、平気なの? テンちゃん」
「ボクも一瞬、神剣抜きかけたんやけど、危害を加える様子はなかったから、斬る必要はないかなって」
「安心しろ、ユジュン。オレさまも気絶したクチだ。気を落とすな」
何故か、ヒースに慰められた。
「イリヤは?」
ユジュンは元のトイレに、イリヤの姿がないことに気が付いた。
「イリヤはまだ、見つかってないみたいやねん」
「あの野郎は、いちばん見つかりやすい場所に、分かりやすく隠れると思ってたんだがな」
結果としては、一番最後になってしまったようだ。
しばらくすると、ひたひたと、トイレに向かってくる足音が響いた。
「イリヤかな?」
ユジュンは色めき立った。
「ビアンカじゃねぇの」
ヒースは投げやりだった。最初に見つかったのが、自分だったから、拗ねているのだ。
足音の正体は、イリヤだった。
イリヤは、ビアンカをお姫さま抱っこしてトイレに帰ってきた。
「なんだ、なんだ、一体全体、どういう寸法だ!」
ヒースがイリヤに噛みついた。
「化け物が、向かってきたから、これで、浄化した」
イリヤは首に掛かっている逆十字のペンダントを顎で示した。普段は、懐に仕舞ってあるが、この状況だ、出しっぱなしは仕様がないのだろう。
「あー、あの、退魔の力だね」
ハウスキーパーの霊の探索のときに使っていた、あの強烈な力だ。それを、ユジュンは思い起こしていた。
「そしたら、倒れて、動かなくなったから、ここまで、運んで来た」
『う、うーん』
ビアンカが目を覚ました。霊も気を失うのか。素朴な疑問だった。
ビアンカは状況を理解して、ぽっと頬を赤く染めた。
『やだ。男子にこんなに優しくされたのって、初めて』
イリヤの顔を見上げて、ビアンカはぼーっとなっている。
「気が付いたんなら、下ろすぞ」
『ま、ま、待って! このまま逝かせて欲しいの。お願い』
ビアンカはぎゅっとイリヤの首に腕を回した。
「………」
イリヤはちょっと、迷惑そうな顔だった。
ユジュンはちょっと、ビアンカに妬いた。
「ほんだら、もう、思い残すことはないんですね?」
テンが改めて確認をとる。
『ええ、ええ。もう、最高よ、嫌なこと、全部、忘れちゃった』
言いながら、ビアンカの身体が透けていく。頭や腕、つま先から光の粒になって消えていく。
イリヤの腕に抱かれていたビアンカは、跡形もなく消え去った。
イリヤは腕を下ろして、逆十字のペンダントを大事そうに懐へ仕舞い込んだ。
トイレの個室を覗くと、ルビーの塊が、ふわふわと浮いていたが、時が来ると、亀裂が走って、ひとりでに砕け散った。
『第七ゲート、解放』
電子音が響いた。
「いつも通りだな。これで、この件は解決だ」
ヒースの科白を合図に、一行は女子トイレを出て、理事長室へと向かった。
理事長室では、ソファーで理事長が仮眠を取っていた。
「こんの。オレら子供が身体張って、駆けずり回ってたってぇのによぉ」
ヒースは乱雑な手つきで、理事長の肩を揺すった。
「う、う、うが……?」
「うが、じゃねぇ。ビアンカこと、悪霊の浄化は終わったぜ」
「本当ですか!?」
理事長は一気に覚醒した。
ヒースの手を、両手でがっしりと掴む。
ヒースはかくかくしかじかで、と事の顛末を理事長に話して聞かせた。
「ほほう、そんな気の毒な生徒が、我が学園にいたのですか……もっと、生徒に寄り添って、いじめのない校風を作らねばなりませんね」
理事長は気の毒な程、ペコペコと腰を折って、お辞儀をし、ユジュンたちが立ち去るのを見送った。
そうして、二件目も無事解決を見たのだった。




