22 仕組まれた邂逅
朝の手伝いを全て完了したユジュンは、クーガーを連れて、家の外に飛び出した。
今日から幸福節。
街中がおもちゃ箱をひっくり返したような、わちゃわちゃした騒ぎになる。
スクールもお休み。ユジュンはウキウキ気分で人波の中を歩いた。
収穫祭の間は、街に普段の三倍の観光客が流入する。通りを一本通るのにも二倍の時間を要したりする。
どこもかしこも、人、人、人である。
ユジュンは年一回のお祭り騒ぎを、大変楽しみにしていた。
宿の手伝いは一部免除されるし、特別に小遣いは貰えるし、で二重にオイシイ。
屋台もたくさん出ていて、どこも盛況だ。
ユジュンは好物のベビーカステラを購入して、食べ歩きをしながら、浮かれた街の様子を巡回して回った。
とある広場では獅子舞ならぬ、虎舞が人を集めていた。虎の頭を被って、虎柄の衣装を着て踊る、という簡素なものだったが、評判は上々そうだった。
別の広場では、龍が舞っていた。テンの故郷でよくあるヤツだそうだ。成る程、龍舞の発祥はテンの国なのかも知れない。
アースシアは他国との交易が盛んなので、遠方の国の文化が伝わってきていても何らおかしくはない。
昼は外で済ませて来いと言われている。まだ、そんなに腹は減っていない。そのうち、屋台で美味しそうなものがあれば、買って食べよう。
そんなことを思って歩いていると、ふいに奇妙な感覚がした。言葉には言い表しにくいが、第六感が働いた、とでも表現するのが最も近いだろうか。
独特の直感。
ユジュンは足を止めた。
人波が、ユジュンを避けて流れて行く。
目の前の人波がはけた。
そこに、最初からいたように、その少年は立っていた。
屋台の売り物の、キツネ面を被って、顔を隠している。背格好はユジュンとちょうど同じくらい。旅人なのか、マントを羽織っているし、武器らしいホルダーを腰に装備しているのも見受けられた。
お面からはみ出した髪は、ダークブラウンだった。視覚から得られる情報はそれだけだった。
「やあ。こんにちは。今日はとても天気がいいね。空が真っ青だ。こういうの、蒼穹っていうのかなぁ」
キツネ面の少年の声色は、不思議だった。聴く者を心地良くさせる、揺らぎのようなものがあった。
ユジュンは戦慄した。コワイ、ヤバイ、逃げなきゃ、でも、懐かしい。何で? 様々な感情が脳内で流転し、体中の細胞が四方八方を向いて暴れ出すような感じがした。
「……だれ?」
そう、一歩退いて絞り出すのがやっとだった。
「僕は、ナユタ。トルキア聖王国から、列車で七日かけてここに来たんだ。君は?」
「おれは、ユジュン」
うっかり答えてしまった。
よく見たら、目の前の少年の左肩には、物珍しい生き物がとまっていた。
四枚の輝くような羽根を背に生やした、妖精だ。
じっとりとした視線で、舐めるようにして見つめてしまった。
「なに見てんのよ、アンタ!」
「しゃべった!」
実際に初めて目にする妖精が動いて、しかも人の言葉を話した。それだけで驚愕だった。
「嫌だわ。ホント、双子みたいにそっくり! 気持ちワルイ」
どういう意味か分かりかねたが、妖精の機嫌を損ねてしまったのは確かだ。
こいつ、性格に難ありだ。
「ああ、妖精がめずらしい? セラフィータって言うんだ。はぐれ妖精だよ。僕が森で保護したんだ」
「ちょっと、ナユタ! あたしはアンタに拾われてやったのよ! 奉仕活動に付き合ってやったのよ」
「うるさいなぁ。アースシアに来てまで毒づくなら、妖精の瓶詰めにしちゃうよ」
「そんなの嫌よ!」
「じゃあ、黙ってなよ」
「ふん!」
妖精はキツネ面の少年から、プイとそっぽを向いた。
「妖精の瓶詰め……?」
ファンタジー小説によく出て来るアイテムだ。特に、『カイムの冒険』ではたびたび登場する、知られすぎた魔導具だ。マジックポイントを五百五十消費して、オーディンに献上することが出来るアーティファクトである。他にも用途は多々ある。
「ああ、知ってる? 有名なアーティファクトだもんね」
ポトリとユジュンはベビーカステラの入った紙袋を足下に落とした。
「あ、落としたよ」
ナユタがユジュンの足下にしゃがんで、拾って渡してくれる。
「『カイムの冒険』、好きなの?」
受け取りがてら、訊いてみた。
「うーん、色んな作家のを読みふけったけど、やっぱり子供向けかなぁって」
ナユタは如何にも自分は大人です、とでも言いたそうだ。
背が低いだけで、ユジュンよりも年上なのだろうか。
お面で顔を隠していることに、だんだんユジュンは腹が立ってきた。
「なんで、顔隠してるの?」
ナユタは一呼吸置いた。
遠くで爆竹が鳴っている。
「それはね、顔にひどい火傷を負っているからだよ」
「えっ」
うっかり踏み込んではいけない地雷だったろうか。
「ウソばっか! ナユタ、アンタ、性格悪いわよ!」
「そうなの?」
ユジュンはセラフィータに目をやったが、セラフィータはナユタの付けているお面の紐を解くところだった。
しゅるり、と紐が解けて、お面が落ちる。落ちる速度がやたらと遅く思われた。
そこに現れた顔は。
一瞬、そこに鏡が前に置かれてあるのかと思った。
ナユタの顔は、ユジュンと瓜二つだった。髪の色と長さこそ違うが、顔の作りは一卵性双生児のようにそっくりだったのだ。
ヘテロクロミアの双眸も同じ。右が忘れな草色で、左が薄浅葱色。ユジュンと逆だ。そこだけが唯一の相違点で、だから、ちょうど、鏡を覗き込んだ場合と同じなのだ。外見以外だと、声質が違う。ユジュンの方が力強く、ナユタはやや柔い。
「な……な……」
余りのことに、寒くもないのに、ユジュンは身体の芯から震えが来た。それは、根源の恐怖から来る震えだったのかも知れなかった。
知ってはいけない、触れてはいけない現実を知ってしまった気がした。だが、それも一瞬のことで。持ち前の陽気さが発揮され、すぐに興味の方が凌駕した。
「あーあ。もうちょっと引っ張ろうと思ったのになぁ。つまんない」
セラフィのバカ、と言いながら、地面に落ちたキツネ面をナユタは拾った。
「ナユタが意地悪するからよ。相変わらず、回りくどいのが好きね!」
やいのやいのと言い合っている少年と妖精の前で、ユジュンは、興奮がこみ上げて来た。
「すっげーー! どうしておれとナユタは顔がそっくりなの?」
「それはねぇ……まだ秘密」
ナユタはもったいぶった。
「そのときがくれば、分かるよ」
ナユタはお面を頭にくくり直して、横向きに被った。気に入っているらしい。
「これから、どうするの?」
ナユタがユジュンを向き直った。
「お昼ご飯を屋台で食べようかと思って。一緒に食べる?」
「いいね。僕もお腹が減ったよ」
ナユタはお腹の辺りを手で押さえた。
「おいしい店が屋台を出してるんだ。そこの軽食を食べに行こう。案内するよ」
ユジュンは警戒心ゼロで、ナユタに笑顔を向けた。
「あのね、ユジュン……」
ナユタが俯いて、何やらモジモジしながら、つま先で石畳の地面にのの字を書いていた。
「僕と友達になってよ」
「うん、別にいいよ。顔が同じなのも、何かの縁だ」
ユジュンは右手を差し出して、ナユタと握手をした。
「同じ年頃の友達なんて、初めて出来たよ」
ナユタが何やら、気恥ずかしそうに呟いていた。
「ねぇ、同じ顔が並んで歩くと気持ち悪いから、お面被っててくれない?」
ユジュンは言いにくかったが、そうナユタに進言した。
「うーん、やっぱり、そうかな」
「似すぎだよ。みんながびっくりするよ」
「うん」
ナユタは片手で横にしていたお面を、正面に被り直した。
「オッケー」
ゴーサインを出すと、ユジュンはナユタの手を引っ張って歩き出した。
「その、犬は?」
ナユタがユジュンの隣に付かず離れず寄り添っているクーガーを指さした。
「おれの、相棒。クーガーっていうボーダーコリーだよ。九歳で犬的にはおじさんだから、おじさんって呼んでる」
クーガーはナユタと遭遇して以来、言葉を発していない。注意深くナユタを観察している様子だった。
「へぇぇ。犬を飼ってるんだね」
ナユタの科白に、初めてクーガーが否定の言葉を口にした。
『飼われてるんじゃねぇ、面倒見てやってんだ』
「なんか鳴いてるね。僕のことが気に入らないのかな」
「いや、そうじゃないけど」
ユジュンは苦笑した。そして、
「世の中にはさ、自分と同じ顔した人間が三人いるって言うじゃない。おれたち、それかなぁ」
とナユタに言った。それも一つの都市伝説と言えるのかも知れなかった。
「もしくは、ドッペルゲンガーかもね」
「どっぺる?」
ナユタは難しい単語を使う。ユジュンは首を捻った。
「ああ、ドッペルゲンガーだよ。自分の姿をした、幻のことだよ」
ナユタがにこやかに解説をする。
「ユジュンは、友達と、最近は何して遊んでるの?」
「んー今、取り組んでるのは、都市伝説の謎を解明することかなぁ。全部で十個もあるんだよ」
「へぇー、アースシアには十個も都市伝説があるの」
ナユタは興味深そうだった。
セラフィータはナユタの左肩の上で大人しくしている。人の多さに辟易としているらしかった。
「ここ、ここだ」
ユジュンはとある屋台の前で足を止めた。クーガーは店の前で待機させる。
行列に並んで、順番を静かに待ち、たこ焼きと焼きそばと、ミルクレープを購入した。
たこ焼きと焼きそばはナユタとシェアして食べる為。ミルクレープはデザートとして、とセラフィータ向けに。そう、ナユタに頼まれたのだ。
イートインスペースに席をとって、購入したものを広げる。
「さあ、食べよう」
ユジュンは手を合わせていただきますをした。
ナユタも同じようにする。
セラフィータだけが、紙の皿に乗ったミルクレープにフライングでかぶり付いていた。
ナユタは面の下から、器用にたこ焼きを楊枝で突き刺し、口もとに持っていった。
「あつ、あつ」
熱かったのだろう、はふはふしながら食べている。
「たこ焼きは殺人的に熱いから、気を付けて」
助言するのが遅い、とはナユタは文句を付けなかった。
「この、中に入ってる固くて、歯ごたえがグニグニしたのは、なに?」
たこ焼きを嚥下したナユタが質問をしてくる。
「タコだよ。知らないの? たこ焼き」
「この国の人は、タコなんて食べるの?」
「お刺身、煮物、お寿司、なんでも料理にして食べちゃうよ。トルキアの人は食べないワケ?」
「タコなんて、見たことも、食べたこともないよ」
トルキア聖王国って海から遠いところにあるのかな、とユジュンはナユタの故郷を空想してみる。
焼きそばも初見であり、初めて食べるというナユタは、面の下から、麺をずるずる吸っていた。それはかなりシュールな画づらだった。
「この、ジャンクフードっていうの? けっこう美味しいね」
セラフィータが食べ残したミルクレープを、二人してフォークで突きながら、ナユタがそう感想を述べた。
「お祭りのときに、外で食べるから、三割増しで美味しく感じるんだよ」
「魔法みたい」
「そうだね」
ユジュンは、あははと笑った。
「ユジュン、歯に緑のやつがついてる」
「え、ああ、まじで。青のりだ、カッコ悪い」
ユジュンは口もとを隠して、楊枝で前歯をカリカリ削った。
「取れた?」
「うん」
ナユタが頷いた。面の下できっと笑っている。
「アンタ、だっさいわねぇ」
ユジュンの目の前で、コップに着いた水滴から水分を摂取していたセラフィータがそう言い放った。
「うるっさいなぁ」
ホントに、可愛くない、生意気な妖精だ。よく、ナユタはこんなのと付き合ってられるなぁと、内心でごちる。自分だったら、一日保たずして瓶詰めにしているところだ。ナユタはきっと我慢強いのだろう。
「セラフィのことはあんまり気にしないで。いっつもこうだから。逐一相手してたら、気がおかしくなるよ」
「きーー! なんてこと言うの、ナユタ!」
セラフィータが机の上にあったナユタの手の甲を引っ掻いた。でも、ナユタは痛くもかゆくもなかったらしく、セラフィータごと手を払った。セラフィータは吹っ飛ばされて、机の下に落ちた。
「わあ!」
幾ら生意気でも、そんな雑に妖精を扱っていいものだろうか。驚いたユジュンは、セラフィータが落っこちた机の横を覗き込んだ。
「いったぁい!」
セラフィータは床の上で大股を開いて座り、頭の天辺を押さえていた。
「君だって、だっさいじゃない」
「悪かったわね! アンタ、助けなさいよ。いたいけな妖精よ、あたしは!」
「自分で飛べば? その羽根は飾り?」
言葉では突き放しながらも、ユジュンはセラフィータを右手ですくい上げると、ナユタの目の前に下ろしてやった。
「構わないでいいのに」
キツネ面は無表情だった。ただ、声色は面白おかしく弾んでいる。
「まぁ、そういうわけにも」
ナユタはナユタで妖精の扱いがぞんざいで、過激だ。
この組み合わせは案外、上手いこと転がっているのかも知れない。デコボココンビ。
ユジュンはナユタがコップのお冷やを飲み干したのを見計らって、席を立った。




