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ORATORIO (E)SCAPE  作者: しおん
17/29

17 イリヤの身の上1ー鬼の子

 イリヤの朝は早い。

 早朝五時。まだ、夜も明けきらぬうちから起き出して、共に暮らす仲間を起こして回る。

 部屋には二段ベッドが三組、ぎゅうぎゅう詰めで設置されている。

 まず、隣のベッドに寝ている、ジュートとヨシュアを起こしに掛かる。二人は赤の他人なのに、まるで双子のように性質や仕草が似通っていて、最近のブームはノリツッコミだったりする。

 二人はイリヤより一つ年下の十一歳である。

 イリヤはまず、上に寝ているヨシュアから起こした。

「おい、ヨシュア。起きろ」

「う、うーん。もう朝?」

 ヨシュアは半身を起こして、欠伸をした。

 その次は下に寝ているジュートを起こす。

「おーはよー。今日もいい朝だねぇ」

 ジュートはやはり、半身を起こすと、思いっきり伸びをした。

 この二人は比較的寝覚めも良く、一度声をかければ素直に目を覚ます。

 問題は、最年長、十四歳のギルだ。

 ギルは二段ベッドの上下を独り占めしていて、その日の気分で寝る高さを変える。狡賢いし、作業もよくサボるし、飄々としていて掴み所がなく、神父であるヒューゴーの言葉も中々聞こうとしない。いわゆる『反抗期』というやつらしい。

「おい、ギル、起きろ。朝だ」

 イリヤは掛布を剥ぎ取り、ギルの胸ぐらを掴んで乱雑に揺さぶった。これでも起きない。イリヤは容赦なく、右手でギルの頬を往復ビンタした。

「いてぇ」

 ようやっと、ギルが起きた。

 最後は、イリヤの下のベッドで眠っている、最年少のハイネだ。まだ、七歳と幼い。

 イリヤはさっきのギルの時とは打って変わって、優しい手つきでハイネの肩を揺すった。

「ハイネ、起きろ。朝だぞ」

「……おはよー、ごさいます、イリヤ」

 大人しく、ハイネは目覚めた。このハイネは臆病で、あまり話をしない。ちょうど、イリヤの実の弟と同い年なので、どうしても重ねて見てしまう。だから、イリヤはハイネには特別優しかったし、面倒をよく見てやっていた。

 この四人の仲間たちと、イリヤは寝食を共にしていた。

 朝一番にやることは、みそぎだった。

 神に仕える身として、早朝のみそぎで身体を清めるのだ。白いワンピース状の寝間着のまま、教会裏の井戸までぞろぞろと一塊になって歩く。

 ポンプ式の井戸から水を汲み上げて桶に移し、頭から被る。それを各自三回ほど繰り返して、ついでに顔も洗ってしまう。

「ひゃー、だんだん、水が冷たい季節になってきたなぁ」

 ヨシュアが震えながら、両腕を組んでいた。

「目がさぁ、冷めてさぁ、スッキリするから、いいじゃん」

 そんなジュートの背後から、ギルがイタズラで冷水を頭の天辺にぶっかける。

「ひゃあああ! 何、すんのさぁ、ギル!」

 ジュートが抗議するが、ギルは涼しい顔をして、どこ吹く風だ。

「つ、つめたぁい……」

「一気に、被れば、平気、だから」

 躊躇しているハイネを見かねて、イリヤは手を貸してやる。汲んだ井戸水を、ハイネの頭から勢いよく掛けてやった。

「うひゃあああ」

 ハイネは水の冷たさに、その場でジタバタした。それを三度。最後にはハイネは小さな身体をぶるぶると震わせていた。

「どーしたんだよ、イリヤ。その傷。昨日まではなかったろ。おまえ、昨日帰ってくんの遅かったもんなァ」

 ギルはなんにも興味がないフリをして、その実、周りをよく観察している。

 化け猫に噛まれた傷は、テンの『じぃちゃん』に看てもらってから、その上で治癒術という不思議な力でもって治してくれた。縫う必要もなく、傷跡が多少残るくらいだ。

 寝間着が水で肌に張り付いて、傷跡が透けて見えたのだろう。

「猫に、噛まれた」

 嘘はついていない。正確には化け猫に、だが。

「ふーん? 猫、ねぇ」

 ギルは納得はしていないようだが、それ以上突っ込む気もないらしかった。

 井戸に通じる廊下から、最短の動線で脱衣所がある。

 そこでタオルを使って、水気を拭き取り、沈んだ赤紫色が美しいビロードの法衣ローブに着替える。

 法衣に着替え終わったイリヤは、最後に逆十字のペンダントを首にかけた。この呪いのアイテムをヒューゴーからもらって以来、いつしかイリヤにとってなくてはならないものになった。今では精神的支柱だ。これを身に付けていると、気持ちが和らぐ。

 それから礼拝堂に移動して、朝の祈りを捧げる。

 この祈りの言葉が長い。全部で四十五分はかかる。

 とてもじゃないが、覚えきれないので、冊子になった経典を見ながら、横一列に並んで聖なる言葉を読み上げる。

 変声期を経ていない少年たちの澄んだ声が、礼拝堂に響き渡る。昇った太陽の光が差し、正面のステンドグラスが七色に輝いて、床を彩る。

 たった一人、声変わりを終えているギルがお祈りをサボるとすぐに分かる。隣に立ったイリヤはギルが声を途切れさせると、すかさず蹴りを入れた。

 そうすれば、すぐにギルはお祈りを再開する。イリヤの技とも言える蹴りは効くのだ。

 お祈りを済ませば、次は教会内に散らばって、それぞれ担当の場所を清掃して回る。塵一つ落ちていてはいけない。小姑みたいなヒューゴーが確かめて回るので、これもサボれない。

 そうして、七時丁度に係の者が鐘楼に登って鐘を鳴らせば、当番表に従って、これも係の者が、朝食の準備に取りかかる。

 今朝の当番はイリヤとハイネだった。レシピ通りにピザトーストとアボカドとトマトののサラダとカボチャのスープを調理する。包丁を握るハイネの手つきがあまりに怪しいので、イリヤは後ろからハイネの手に手を添えて、

「左手は、猫の手、だ」

 そう教えながら、アボカドを一緒に切った。

「で、出来ました!」

 身長が足りずに踏み台に乗ったハイネが、嬉しそうに顔を輝かせるものだから、つい、イリヤは苦笑してしまう。

 トマトは切りにくいので、補助なしでは失敗するだろうと思っていたら、案の定、

「トマトが、潰れて、切れません。あっ、いたい!」

 指を包丁で切ってしまったようだ。

 ハイネは血を見て怖くなったのか、今にも泣き出しそうな面構えになった。

「こんなの、舐めてりゃあ、治る」

 イリヤはハイネの手を引っ張ると、切った指を口に持っていった。舌先で傷口を抉ると、鉄の味が口腔内に広がった。

 しばらく、ちゅうちゅうと指を吸ってやった。

「ほら、もう、血は出ない」

 イリヤが優しい声色を出すと、ハイネは不思議そうに切った指を見つめた。

「ホントだぁ」

 ハイネに包丁を持たせるのはまだ早計だった。

 カボチャのスープをかき混ぜる役を与えて、後はイリヤが調理を行った。

 調理場の隣にある食堂へと朝ご飯を配膳する。そこにはヒューゴーの姿もあった。

「やぁ、おまえたち、朝のお勤めご苦労」

 三十も半ばのヒューゴーは嫁ももらわずに、神父職に殉じている。朝の五時から活動しているイリヤたち使徒に比べて、朝七時の鐘で起きてくる神父をどう思うかは、各個人の自由だ。

 朝食を美味しく頂いたあとは、皆揃って、

「ラートン」

 と両手を組んで、神にお礼を捧げた。

「さあ、一服したら、楽しい、楽しい、勉強の時間だ」

 ヒューゴーが手を鳴らして、使徒たちを鼓舞するが、彼らの様子は一様にどんよりしている。もとより、勉強が好きな子供などいない。だが、学校に行けない代わりに、午前中はヒューゴーがみっちり授業を行って、知恵を付けようとするのだ。

 イリヤは結構、勉強は好きだった。学べるのは楽しいと少しだけ思う。知らないことを知れるというのは、世界に新しい発見をすることができる。

 ヒースやユジュンのように、本好きにはなれなかったが。

 ここにいる子供たちは、親の愛に恵まれなかった、不幸な子供が身を寄せ合って生きている場所だった。

 イリヤは母に愛されていなかった。いや、憎まれ、疎んじられていた。

 乳幼児の間はそれなりに構っていたようだが、赤ん坊が泣いてもあやそうとしない母親だったという。近所から苦情が出るくらいだった。

 三歳を過ぎた辺りからは、食事は与えられるものの、世話は焼かなかった。育児放棄に限りなく近い。

 それが顕著になったのは、五歳のとき、弟のリィヤが生まれたことだった。母親はリィヤに掛かりっきりになり、イリヤを完全に顧みなくなった。ネグレクトというやつだ。

 言葉の暴力も酷かった。

『おまえなんか、生まなきゃよかった』

『生まれてこなければよかったのに』

 等というそしりは、耳が腐るほど、繰り返し聞かされた。

 暗い屋根裏に隔離されたイリヤは、満足な食事も与えられず、身体は痩せ細り、平均体重の半分ほどしかなかった。それでも、夜中にパントリーに忍び込み、未調理の素材を食って凌いだ。

 ある日、それがバレて母親に殴り付けられたイリヤが睨み返し、牙を剥くと、母親は怯えてこう言った。

『おまえは鬼だ、鬼の子だ!』

 と、狂ったようにイリヤを殴打し、蹴った。

 それでも年月が経ち、リィヤが家庭の事情をうっすら理解し始めると、たった四歳足らずながら気を回して、一日に一回、もしくは二回、イリヤのいる屋根裏まで食事を運んでくれるようになった。イリヤはリィヤの情けで命を食い繋いだ。

 イリヤは言葉が遅かった。早期にネグレクトされた為、言葉を母親から学ぶことが出来なかったからだ。九歳になっても単語を連発するのみで、ろくに話せないままだった。

 リィヤは何故、母親がイリヤを忌み嫌うのか、まるで理解できないようだった。何しろ、自身は母の愛を一身に受けて育てられたのだ。リィヤにとっては優しく母性に溢れた母親だったのだろう。

 肝心の父親だが、人気の彫金師で、家を空けることが多かった。工房に籠もりっきりになり、家に帰ってくるのは週末のみ、ということが常だった。

 父親が帰る日だけはきちんと子育てをしている、という体で、イリヤの扱いも変わった。父親がいれば、食卓に席を設けてもらい、暖かな食事を囲むことが出来た。

 父親はイリヤの成長が遅いことを大層心配していたが、母親の行っている所業には気付かなかった。毎週、自作のシルバーアクセサリーの指輪やネックレス、ピアスなどをせめてもの償いとして置いて帰った。溜まっていく装飾品を身に付けたり、眺めたりして、イリヤは微かに父親の愛を感じ取ろうとしていた。それだけが支えだった。

 しかし、限界というものは必ず来る。

 九歳を過ぎた頃、たまらず家を飛び出した。

 街を彷徨うこと三日。

 ある雨の日に、力尽きてイリヤは舗装もされていない、スラム街に近い路上で倒れた。

「なんやぁ、ぼん。行き倒れかいな」

「う……」

 泥水をすすっていると、頭上から降ってきた声に、イリヤは僅かに目を開けた。

「おお、生きとる」

 イリヤは視認出来なかったが、イリヤを拾ったのは、人猫族の青年だった。色素の抜けた淡い色の髪は長く、瞳の色はしたたる血のように赤かった。簡素な服装をしており、とても羽振りが良さそうには見えなかった。

 イリヤが次に目を覚ましたのは、暖かで、ふわふわのベッドの上だった。

「あ、起きた?」

「おまえ、俺、違う……」

 青年の頭には、猫耳が乗っかっていた。スラリとした痩身の尻の上からは尾が生えて、ゆらゆら揺れていた。

「えー、もしかして、自分とわいの種族が違うって言いたいん?」

「……?」

 イリヤには青年の喋っている言葉が理解出来なかった。

「わい、イドゆうねん。ぼんは?」

「?」

「わい、イド」

 青年は自分の名を言いながら、胸を指して叩いた。

 どうやら、イドというのがこいつの名前らしいことは推測出来た。

「おまいの、名前は?」

「……イリヤ」

「イリヤゆうんや。磨いたら、偉いべっぴんな顔しとるから、びっくりしたで」

「腹、痛い」

 空っぽになった胃が、きゅうきゅう絞られて、ついにはぐーと鳴った。

「あ、腹減ったん? ほな、これ食いーや」

 イドは幕の内弁当をイリヤの前に置いた。イドが箸を渡す前に、イリヤは手づかみでガツガツと弁当を食べ始めていた。

「うわあ、えらい、ワイルドな食いっぷり」

 弁当は三個あったが、どれも賞味期限切れのセール品だったことは、イリヤには関係なかった。ただ、ある分だけ腹に収めた。

 空腹が満足に満たされたのは、いつぶりだろうか。

 食べ終わったイリヤは、号泣した。意味が分からなかったが、ただ、涙が勝手に流れて落ちた。

 イドに拾われたイリヤは、これも何かの縁だと、イドの世話になることになった。言葉と読み書きはイドから習った。半年も経つと、言葉には困らなくなった。体格も体重も標準値まで回復し、そうなると力を持て余すようになった。

 母親への強い恨みと憎悪が、怒りと化してイリヤを暴走させた。スラム街に出向いては、売られるケンカは全て買って、相手を、例え年上でも、大人数でも、必ず叩き伏せた。

「また、ケガかいな。一体、外で何しとんねん」

 夜は、イドにケンカの際に負った傷を、消毒してもらい、手当を受けるのが日課だった。

 イリヤの荒れた生活を不安視したのか、イドに面倒を見てもらうようになり、一年が過ぎた頃。イリヤは教会に入れられることになった。

 知り合いの神父に預けると、イドに言われたのだ。

「こいつ、別嬪さんな顔してんねんけど、性格ねじ曲がってんねん。矯正したってくれへん?」

「そうか。いいぜ、引き受けた」

 ヒューゴーがイドと玄関先で話し込んでいるのを、遠巻きに、先住民のヨシュアとジュートが覗いていた。

 イリヤがギロリと鋭い眼光を向けると、ひゃあ、と声を上げて奥へ散っていった。


この世界はキリスト教じゃないから、「アーメン」じゃないし、と考えていたら、いいのがあった。「ラートン」。これだと思い、「炎炎ノ消防隊」から頂きました。いいよね、「ラートン」。

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