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ORATORIO (E)SCAPE  作者: しおん
16/29

16 ヒースの事情3ーすべては終わっていた

 そして、夜半。

 フナーゴォォオ……

 と、猫の鳴き声が館中に響き渡った。

 ヒースはクーガーに顔を舐め回されたことで、目を覚ましたした。生暖かく、ざらついた舌が頬や口周りを舐める違和感で、やっとこさだ。

 ヒースはのっそりと起き上がると、足下のテンの顔を、足を伸ばして蹴りつけ、叩き起こした。

「う、うーん……ヒースぅ?」

 向かいのソファーでは、ユジュンとイリヤが既に目を覚ましていたが、ぼんやりとして未だ夢の中、といった感じだ。

「おい、おまえら、しっかりしろ!」

 と、また、フナーゴォォオ……という、化け猫の鳴き声がヒースの鼓膜を叩いた。それは誰しも同じだったようで、ソファーから立ち上がり、辺りをきょろきょろ見回した。

「今のって……!」

 ユジュンが確信を持って、ヒースとテンを交互に見た。

「うん。ご主人が活動を始めたみたいや。ビリビリ来るでぇ」

 テンが頷く。やっと、彼の霊感のレーダーにも化け物の反応が引っかかったようだ。

「だったら、ご主人さまの寝室へ行こうぜ」

 一同が立ち上がって部屋を出ると、廊下でランタンを持った奥様と家政婦とかち合った。

「ああ、皆さん。あの鳴き声、聞きましたでしょうか」

「確かに聞きました」

 そう答えたテンに、奥様は自分が持っているのとは別のランタンを渡した。

 この暗さでは、廊下を歩くのもままならない。

 光源を得て、合わせて六名が、列を成して主人の寝室を目指した。しんがりを務めていたのはクーガーだった。クーガーはちらちらと辺りを気にしながら歩を進めている。

「テン、なんか、見えんのか? 人魂とか、悪霊とか」

 ヒースはてっきり、クーガーがそれらを見ているのだと思ったが、テンからの返答は意外なものだった。

「ううん。そういう、悪霊の類いはおらへんみたい。いっこも見えへん」

「ふぅん……」

 と、ヒースは先頭の奥様が持ったランタンが照らした、目の前にある絵画を見て、思わず飛び退いた。

 誰か、人が現れたのかと勘違いしたのだ。

「うわぁ!」

「どうしたん、ヒース」

 テンがランタンで、情けないポーズを取ったヒースを照らした。

「な、なんでもねぇよ! さっさと行くぞ!」

 ヒースは恥ずかしくて、テンの背を押して、前に追いやった。

 そうこうしているうちに、ご主人の寝室の前までたどり着いた。

「いいですか、皆さん。扉を開けますよ?」

 奥様がもったい付ける。

 いや、確認してくれたのだが、

「いいから、さっさと開けろよ、ばあさん」

 と、ヒースは乱暴な返答をした。

「では……」

 奥様が、両開きの扉を開け放った。

「フナーゴォォオ!」

 ベッドで半身を起こしていたご主人が、扉の方を見て、鳴いた。

「誰、だぁ……!」

 意識の奥底を震わせるような、不気味な声だった。

「あなた! 気をしっかり持って」

 一番に部屋に飛び込んだ奥様が、そう言って部屋の明かりを灯した。

 一気に視界が開ける。

 ベッドに寝ているご主人は、顔の包帯が半分取れていた。むき出しになった部分は、まるで猫のように毛むくじゃらで、黄金の目がらんらんと燃えていた。

 ご主人はベッドから起き上がり、絨毯の上に降り立った。

 むくむくとご主人の身体が一回り、二回りと大きくなった。寝間着が破け、包帯も完全に取れた。

 そこに現れたのは、猫というより、虎。人虎だった。

「血を、肉を寄こせぇぇぇ」

 人虎が襲いかかってくる。ターゲットになったのは、ユジュンだった。向かってくる人虎に、ユジュンは動けないでいる。その前に立ちはだかり、かばったのはイリヤだった。

「フシュウウウ」

 人虎の牙が、イリヤの左肩に食い込む。

「イリヤ!」

 ユジュンが悲鳴を上げる。

「俺は、食いもん、じゃ、ねぇ」

 イリヤが痛みに僅かに、その柳眉を歪めたが、右の拳で人虎のこめかみを殴って反撃に出た。

「グルゥゥゥ!!」

 そのとき、先鋒として人虎の喉笛に噛みついたのは、クーガーだった。

 人虎の口がイリヤから離れ、取り付いたクーガーを腕でなぎ払って後ろへ飛ぶ。クーガーは空中で一回転して、床に降り立った。鮮やかな動作だった。

「まったく、どこまでも頼りになる愛犬さまだぜ」

 言いながら、ヒースは前もってテンに渡されていた護符を取り出した。テンの霊力は高い。最初は探知機代わりにしか思っていなかったが、こうやって戦闘シーンを見るにつけ、ヒースは舌を巻くのだった。標的に向かって駆けるテンを見て、強く思う。

「イリヤ、ケガ、だいじょうぶ? 平気?」

 自分の代わりに傷を負ったイリヤを、ユジュンが心配している。

「平気、だ。それより、下がってろ」

 イリヤは傷など負っていないかのように、出血した傷口を気にせず、人虎に向かって走り出した。

「ユッちゃんも、護符、出しといて!」

 テンがイリヤに続く。

 腕に覚えあり、のイリヤは得意の格闘術で、人虎に立ち向かった。殴ると見せかけて、姿勢を低くとり、正拳突きを腹に食らわせる。

 そこに、クーガーが体当たりをかまして応戦した。

 人虎は体勢を崩した。

「悪霊退散! 姿を現せ、物の怪!」

 テンが退魔の力が宿った札を、人虎の胸に貼り付けた。

「ぐああああ………!」

 人虎に雷が落ちたように、白い稲妻に身体全体が包まれる。

「ぐあはぁ!」

 人虎が口からどす黒い何かを吐き出した。

「怨霊や!」

 黒い霧は瞬く間に形を成し、巨大な頭だけの猫に化けた。

「化け猫や、これがこいつの正体や!」

 化け猫は口から、黒い息を吐く。吐息の塊だ。それをユジュンとヒースも食らったが、護符で護られている為に、跳ね返されて無事だった。塊が護符の領域に届いた部分が薄紫色に輝いて、弾いたであろうことを、視覚としてヒースたちに知らせた。

「イリヤ、この黒い塊に当たったら、アカン! ひとたまりも無いから、下がってて!」

「分かった」

 イリヤはテンに言われるがまま、ユジュンの元まで下がった。クーガーも同じく。

 後は、テンの独壇場だ。

 悪霊との戦いは、テンの専売特許だ。彼にしか見えないものがあり、攻撃を加えられないものがある。腕力ではどうにもならない現実が、そこにはあった。

 黒い塊が次々と吐き出され、テンを捉えようとするが、ことごとくそれを避けて、テンは部屋を駆け巡った。塊の当たった部分は浸食されて、陥没している。

「雷廷招来! 急急如律令!」

 テンが塊を吐き出す化け猫の隙を狙い、術を唱えて、右手から雷の塊を繰り出した。

 それは巨大な塊に変化し、化け猫に襲いかかった。化け猫はまともに食らってのたうち回った。

 そして、テンは腰にぶら下げていた剣を抜いた。

 パオペエと呼ばれる、神の力が宿った神剣だと聞く。これまでも幾度となく、テンはその剣で悪霊を斬ってきた。テンは相手に反撃の機を与えずに、更に攻撃を加えた。

「悪霊撃退!」

 テンは神剣でお札ごと、化け猫を突き刺した。

「ギニャアアアア!」

 傷口から、閃光が放たれる。

 化け猫が浄化されていく。霧のようになって消えていく。

 取り憑かれていたご主人が、これで人間の姿に戻るのかと思われたが、化け猫が消えたあとに残った痩せ衰えた老人は、ごぼりと宝石の塊を吐き出したのち、灰になって消えてしまった。

「?!」

 その事実は、神剣を振るったテンをも驚愕させた。

 どういうことだか分からずに、その場にいた全員が奥様の方を見やった。

「主人の命はとうに尽きていたのです。主人と化け猫は一蓮托生。わたくしどもが、強い想念で化け猫ごと押さえつけておりました」

「ですが、私どもの命もまた、既に失われて久しく、この世のものではありません」

 奥様と家政婦の姿が、どんどん薄くなっていく。

「主人を解き放ってくださって、どうもありがとう。小さな戦士さんたち」

「これで、私たちも心残りなく、あの世へと旅立てます」

 さようなら、さようなら……

 二人の姿はその場から消え去り、身に付けていた衣服だけが、主人を亡くして淋しげに残っていた。

「どういう、こった」

 ヒースは呆然と呟いた。

 すると、みるみるうちに、ヒースたちを取り囲んでいた景色が、一変した。キレイだった館の内装は荒れ、調度品は欠けて失われ、雨戸も壊れて、月光が窓から室内を照らし出していた。破れたカーテンが、頼りない風になびいた。

「おれたちが見てたのって、ぜんぶ、まぼろし?」

 ユジュンの科白が答えだった。

 全てはとうの昔に終わっていた。

「こりゃあ、二年前にご主人がおかしくなったってのも怪しいな。もっと昔かもしんねぇ。犠牲者も、もっと多いのかもな」

 ヒースは、ご主人が吐き出した宝石、琥珀を手に取ろうとしていた。

 だが、触ろうとした瞬間、琥珀にヒビが入って、粉々に砕け散ってしまった。

 テンが、神剣を鞘に収めて、こちらに歩み寄って来た。

 『第四ゲート、解放』

 そして、いつものように響き渡る、謎の電子音。

「また、か」

 それが何を意味するのか、分かる日が来るのだろうか。

「イリヤ!」

 しゃがみ込んだイリヤに、ユジュンが取り付いている。

「傷、痛む?」

「そんなに、傷は、深く、ない」

「でも、血が流れてるよ」

 ユジュンは酷く心配して、イリヤを労っている。

 今回の人的被害はイリヤの噛み傷だけだ。

「イリヤ、これで止血して」

 テンがチャイナ服の腰帯を解いて、イリヤに手渡した。

「すまない」

 イリヤは素直に受け取ると、帯の端を口で噛んで、片手を使い、肩の辺りを縛り上げた。

 手当も済まして、一息ついた一行は、館を出た。ご主人の寝室から、玄関までの道のりも、行きと違って荒れ放題であり、ガラス片などが散らばっていて、歩きづらかった。

 外に出て、改めて館の外観を、その朽ち果てた空き家の姿を、信じられない思いで見て、その場に立ちすくんだ。

「おれたち、幽霊とやりとりしてたんだ」

 ユジュンが呆然として言った。

「全部、作りもんやったなんてなぁ。ボクも気付けへんかったわ。上手いことだまされた」

「それは、自分もだ、っておじさんが言ってる」

 テンとユジュンのやりとりを聞きながら、ヒースは考えていた。

 果たして、幽霊に振る舞われた料理が一回の食事にカウントされるのだろうか。それだけが、疑問なヒースだった。


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